遅まきながらではありますが、私のブログネームの由来について書いてみます。別に深い意味など無いのですが…
実は当初決めていた名前が有ったのですが、悔し残念! 既に使われていた…それはアマノワカヒコという名です。
この名は日本神話でも悪名高い反逆者、裏切者として知られています。
この神はいわば日本神話のユダみたいな存在なのです。
記紀に依れば彼は、高天原から天孫降臨に先立ち、葦原中つ国平定のために使わされました。
ところがその国のオオクニヌシの姫神、シタテルヒメと恋仲になり、結婚してしまい何時になっても戻ってきません。
そこで朝廷の主神は使いをやって偵察させたのですが、ワカヒコはそれを弓矢で撃ち殺してしまいました。
その血の付いた弓矢が戻って来たのに怒った主神は「ワカヒコに邪な心が有るのなら当たってしまうがいい!」と再び放ち、哀れ彼はそれに射抜かれ絶命してしまうのです…
神話のことなのでこの話にどんな意味が有るのかは分かりません。
ただアマノワカヒコのイメージで伝わるものと言えば、天つ神の分際で国つ神と結ばれ、任務など放ったらかしにして恋愛至上主義に走るエロ神
勝手に中つ国乗っ取りを企てた、謀叛神…というものです。
しかし私は昔からその掟破りの婚姻の話の裏には、天つ神(天系)と国つ神(地系)との和合という意味合いが隠されているように思われてなりません。
ワカヒコ自身にそのような意図が有ったかどうかわかりませんが、平定という名目の神代の朝廷による武力支配で無しに、和合という型が示されたのではないか、そのような神意が働いていたのではないかと感じているのです。
この国譲り、天孫降臨を巡る話には他にも様々な事が秘せられているらしいのですが、私が出雲大社を中心に周囲を訪れてみて疑問に感じたことは、国つ神の中心であるオオクニヌシが何故、ほとんど大社の主神だけで、他の神社ではスサノオ、クシイナダヒメばかり祀られているのか?という事なのです。
大国主とはいかにもとってつけたような名前で、造られた神という気がしてならないのです。
一説ではシタテルヒメの父神はニギハヤヒであるとも言われ、本当の国王を抹殺するために、でっちあげられた可能性もあります。
ニギハヤヒはある筋では、天系地系の和合を地上に満たすべく再び世に顕れる日の出の大神であると比定されています。
アマノワカヒコとはその先触れだったのでしょうか?
勿論真相は神様に聞いてみなければ分かりませんが…
で、このシタテルヒコなるネーミングですが、なんてこたない、この曰くつきの夫婦神の名をくっつけただけです。
実は先の神話の後半に、死んだアマノワカヒコと瓜二つの、アジスキタカヒコネという神が出現するのですが、これが復活したアマノワカヒコと同一
神だとも言われ、もしかしたらシタテルヒコなる別名もあったかもわかりません。
まあ、とっさに思いついたブログネームですけど…
シタテルヒメとは別のところで御縁が有りまして、大阪で働いていた頃丹後の某所で、ある霊感者を通じこの神様のお諭を受けた事が有るのです。
この方こそかつて豊岡の某教会で「要の伝え」という神示を降ろしていたO氏その人です。
確か「めぐる景色は移り変われど、その本にある変わらぬ根をたずねるべし…」という神歌の一節はずっと私の念頭に残っています。
実は当初決めていた名前が有ったのですが、悔し残念! 既に使われていた…それはアマノワカヒコという名です。
この名は日本神話でも悪名高い反逆者、裏切者として知られています。
この神はいわば日本神話のユダみたいな存在なのです。
記紀に依れば彼は、高天原から天孫降臨に先立ち、葦原中つ国平定のために使わされました。
ところがその国のオオクニヌシの姫神、シタテルヒメと恋仲になり、結婚してしまい何時になっても戻ってきません。
そこで朝廷の主神は使いをやって偵察させたのですが、ワカヒコはそれを弓矢で撃ち殺してしまいました。
その血の付いた弓矢が戻って来たのに怒った主神は「ワカヒコに邪な心が有るのなら当たってしまうがいい!」と再び放ち、哀れ彼はそれに射抜かれ絶命してしまうのです…
神話のことなのでこの話にどんな意味が有るのかは分かりません。
ただアマノワカヒコのイメージで伝わるものと言えば、天つ神の分際で国つ神と結ばれ、任務など放ったらかしにして恋愛至上主義に走るエロ神
勝手に中つ国乗っ取りを企てた、謀叛神…というものです。
しかし私は昔からその掟破りの婚姻の話の裏には、天つ神(天系)と国つ神(地系)との和合という意味合いが隠されているように思われてなりません。
ワカヒコ自身にそのような意図が有ったかどうかわかりませんが、平定という名目の神代の朝廷による武力支配で無しに、和合という型が示されたのではないか、そのような神意が働いていたのではないかと感じているのです。
この国譲り、天孫降臨を巡る話には他にも様々な事が秘せられているらしいのですが、私が出雲大社を中心に周囲を訪れてみて疑問に感じたことは、国つ神の中心であるオオクニヌシが何故、ほとんど大社の主神だけで、他の神社ではスサノオ、クシイナダヒメばかり祀られているのか?という事なのです。
大国主とはいかにもとってつけたような名前で、造られた神という気がしてならないのです。
一説ではシタテルヒメの父神はニギハヤヒであるとも言われ、本当の国王を抹殺するために、でっちあげられた可能性もあります。
ニギハヤヒはある筋では、天系地系の和合を地上に満たすべく再び世に顕れる日の出の大神であると比定されています。
アマノワカヒコとはその先触れだったのでしょうか?
勿論真相は神様に聞いてみなければ分かりませんが…
で、このシタテルヒコなるネーミングですが、なんてこたない、この曰くつきの夫婦神の名をくっつけただけです。
実は先の神話の後半に、死んだアマノワカヒコと瓜二つの、アジスキタカヒコネという神が出現するのですが、これが復活したアマノワカヒコと同一
神だとも言われ、もしかしたらシタテルヒコなる別名もあったかもわかりません。
まあ、とっさに思いついたブログネームですけど…
シタテルヒメとは別のところで御縁が有りまして、大阪で働いていた頃丹後の某所で、ある霊感者を通じこの神様のお諭を受けた事が有るのです。
この方こそかつて豊岡の某教会で「要の伝え」という神示を降ろしていたO氏その人です。
確か「めぐる景色は移り変われど、その本にある変わらぬ根をたずねるべし…」という神歌の一節はずっと私の念頭に残っています。