人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

逆説的瞑想法指南

2015-05-05 14:42:02 | 祈りと瞑想
私がよく散歩している公園で、早朝しばしば見かけるケッタイな初老の男が居ます。
謎の瞑想家?ドクター・ザボーです。しかし彼は知人から聞いたような瞑想指導者などでは絶
対ありません!何故ならば、彼とは何度もここで会って話をしているが、ただの一度もその瞑
想の”やり方”を教えてもらったことが無いのです。それに…瞑想らしきことをいつもここで
彼がやっているというのはあくまで私の観方であり、彼自身に聞いたところ…「瞑想?修行?
どう言おうと君の勝手だが、私は何もしちゃあいないよ!何かをやろうとしちゃあ、ことは起
きないんだからね…」と例によって捉えどころの無い話で煙に巻かれる始末です…。
そして今朝、私が目撃したものは…これが何ともケッタイなものでした。確かにあれは瞑想の
ようではありません。何と言うか気功や何かの健康体操ともつかない、実に珍妙なものなの
でした。ひょっとして陽気のせいで気が変になってしまったのか、とも思ったのですが幸い向
こうから声を掛けてきたのを聞いて安心しました。ヘンな霊がかりになったんじゃないと知っ
て…
「私は別に猫の霊が憑りついたわけじゃないから心配ご無用だよ」
―し、しかし一体何をしていたのですか?
「いつも言ってるじゃあないかね。何もしとらんよ!何かをやる以前に何かが立ち上がってく
るのを待っているだけだよ」
―だけど、その何かがお出ましになるには何かをやる必要がある訳でしょう?
「ウーン…朝になると鳥が泣き始めるだろう…私もここで(公園のベンチ)座っていたら心身
がそれに対応するのだ…私が為そう、やろうとしたところでどうにもならない…」
―あのケッタイな動きもそうなのですか…あれは瞑想とは違う…ですよね。あんな気功だか太
極拳みたいなの…あまりおおっぴらにやらない方がいいと思いますが…
「ああ、つい出てしまったのだ…私の大本の方でそう促しているので…大本の意志の発露は極
力為されるに任すしかない…そして出てくるものはただ享受するだけだ。それに対して小賢し
い知恵などで、ジャッジしたり、色を付けたりするべきではない。ただそれが赴くままにし、
自意識で押しとどめてはならないのだ」
―自意識とは無関係に動き出すのですか!自力の瞑想修行とは全く違うというのは分かります。
「自力というのなら、おのずからなる力というべきだね。自力だとか他力だとか…弥陀の本願
というも只管打座というも…その妙味はここに在る…」
―”どうやったら、そうなるのですか?”というのは愚問なのでしょうけど、あなたはどうし
てそうなってしまったのですか?
「簡単に言うと…ある時理由も無く喜ばしい気分になって、神を求めようとして祈っていたら
ふと気が付いた。私が神を求める以前に、そのようにさせて止まない何かが有るのを…そして
こちらがそれを捉えようとする以前に、それに捉えられてしまった!という訳さ…」
―ヤッパリ捉えどころのない話ですねえ…。しかし聞いていると楽しいや…”瞑想のやり方”
だとか、とても面倒くさいものに思えて来ましたよ。
「そろそろ、君も捉えられてしまうんだろう…」

思い出しました。そう言えば私はちょっと前、ここで猫のペロちゃんに”捉えられてしまった”
事が有りました。ペロちゃんが居なくなったと思ったら、彼が突然現れたのです。ドクターは
とても神の化身には思えませんが、ひょっとして…と、見ると彼は上手そうに焼き鳥をほうば
っているのでした…。






コメント
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