人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

真夜中のオカルト考察ー前世、生まれ変わりー

2015-06-14 19:48:01 | スピリチュアル?
今日は普段はほとんど触れないオカルト的な事、前世とか生まれ変わりについて書いてみます。
まず、最初に断わっておきますが、私はこういう事に関しては一切決めつけたことは書けません!
理由は簡単! 本当のところは分からないからです。いや、私自身分かろうとしてない、と言ったほうがいいかも知れません。
先日もテレビで観ましたが、そっち系の特番なんかでよく”アレは間違いなくUFOだ!”などとよく叫んでいますが、冗談じゃありません!
未確認飛行物体なのに…間違いなく未確認じゃありませんか…
しかし”何かが空を飛んでいる”んです…だから面白いんです!自由に妄想出来るからいいのです。自由にね…(これが肝心)
でも本当の妄想というのは、ホントだかどっちだか分からないことを、信じ込んでしまう事でしょ?
私の前世はOO…こういう事に捉われて生きるのは絶対にイヤですね!前世からの宿命で雁字搦めだなんて…
私は所謂霊能者でなくて本当に良かったです…。

しかしながら、これから述べる事はただの空想という訳ではありません。
だからと言って、実際にこの目で、あるいはまた所謂霊眼で観たという訳でもありません。
こりゃあ、語るに微妙です!普通この世では無い有り様で感じたことです。あるいは意識に直接そう映った?ことです。
そう、人生の裏側で垣間観た一コマです。(いや観てないか…感じたんです、とりあえず…)
私の意識に開示されたもの…それは葡萄の樹を思わせる普遍的な有機体とでもいうべきものでした。
私の意識体?(とりあえずそう名付けます)はそこに帰属しています。つながっているのです。
その全体と一体になるという事も出来ますが、溶けたように一つになってしまう事とは違いました。私の感じた限りでは…
(しかし、異なる側面から感じられるのはその有機体全てが私の意識体だったりします)
で、そこに葡萄の一粒一粒を思わせる無数のやはり意識体が有って、それが皆私と近しい縁で結ばれているのです。
そこには、仮にですけど、イスカリオテのユダやアマノワカヒコやドストエフスキー、ベルジャーエフなどの意識体も連なっているかもわかりません。
(これらの人物は私が何となく霊縁のようなものを感じた人です)
この有機体の中では各々の意識体相互にある種の交流が有ります。
そして、私がこの世に生を享けるにあ
たって、その霊縁にある魂からなにがしかの業的なもの、性質を受け継いでいるかもわからないのです。
この部分がしばしば前世の記憶などとして語られているものではないか、と拝察されるのです。
従って、ある個人がそのまま所謂死後の世界の生活を経て、再び同じ個人として生まれ変わることは無い…と言うのがあくまで私の推論です。
転生というものを単純に信じている方とは観方が違うでしょうが、仮に転生というものが有るにしても、この人生に生を享けたというのは一回限りである、という点では同じはずです。
この意味で”人生二度無し”ですね。とかくスピ系にハマる人はこの事を軽く考える人が多いようです…
あの普遍的有機体にあった時、実はとても重要な気付きを受けていたと感じたのですが、そ、それが…ウーン、何だったっけ?意識が朦朧としていたもので…
ただ、この世に生を享けた意義といったことに関するものだったようです。…ワザと忘れたのかもわかりません。
”お前の小賢しい頭は知らなくてもいいことだ”と声なき声が告げたと思いました。
どっちみち、本当のところは分かりません…皆さんも機会が有ればご自分の目で、意識で確かめてみて下さい…。












コメント
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