”神界、霊界は高い次元で、物質界はもっとも低い次元…”
スピ系では長いことこのような心霊学的階層の観方に刷り込まれて来たように思います。
果たして本当にそうなんでしょうか?
この見地では人間の心は物質以上のものだとされています。
でも何故特殊な人を除いて心、精神力で異常気象や地殻変動をコントロール出来ないのでしょうか?
又我々自身の不随意的な機能、内臓機能などを自由に動かせないのでしょうか?
心や精神というもの、ここでは一括して”思念”と呼ばせてもらいますが、この領域を心霊学では多く幽界と呼んでいます。
物質界に近いがより微細でより次元が高い階層らしいです。
だが、この領域には所謂幽界の生物、地縛霊、悪霊(私はレム睡眠の時は分からないですが、見たことありません)がウヨウヨ彷徨っているらしい世界、地獄界なども含まれてしまうらしいです。
この現世、物質界は地獄の沙汰とか、人間とは思えない鬼畜、サタンの所業と思しきことも時に見られることはあっても、恒常的にそうしたものと付き合わされている訳ではありません。
地獄的状態がずっと続く世界に比べたらこの世はまるで最高天国じゃありませんか?
私は以前、サタンや地獄の存在を信じている原理主義的クリスチャンに、「サタンとか地獄とかというのは我々の思念が作ったものだと思う」と言ったら変な風に誤解されてしまいました。
「あなたはなんてノーテンキなんだ!」と…しかし私がそこで言わんとしたことは、それらは想像の産物だという事でなく、文字通り思念によって造られたバーチャルな客観的に見えるもの…といった意味です。実際に苦しんでいる人たちにとっては「そんなのただの思い過ごしさ」なんて言葉は気休めにもならないでしょう…
でも日月神示にもあるようにこういう人は「無い悪魔と戦い、無い地獄に落ちているのぞ…」と言わざるを得ないでしょう。
これでいくと、この思念によって又天国だって造ることも出来るはずです。
しかし、それは本当の我々の永遠の帰るところかと言ったら疑問です。それはあくまでバーチャルな天国のはずですから…
どうも私には最下層の地獄の様態から最高神がおわす神界…低い次元から高い次元までの段階的階層があるとされる、この見地そのものが幽界的、思念界的なものに思えてなりません。
それは至高なるもの、究極なるもの、真善美のみが有る世界…そうしたものに肖りたいという、人間的なあまりにも人間的な心理が造り出したものではないでしょうか?この心理には一方では悪しき物質界からの解放といったことも底にはあるでしょう…
かくして人々はこぞって最高天国に少しでも近づこうと、終わりなき戦いを始めます。
そして天国だと思っていたものは容易に地獄に変貌します。こぞって戦いに駆られるからです。
ことは相対次元で行われる限り、この宿命はどうしたって付きまといます。
そしてまた、この裏では物質、肉体…これこそは諸悪の根源と見なされてきました。
感ずるに、どうして我々は下位なる?自然や肉体をコントロール出来ないのか?
それはニュートラルなものだからでしょう…言い換えれば”そうなっているもの””ありのままのもの”なのです。
良いも悪いも無く、高いも低いも無い…良いとか悪いとか高いとか低いとかいう思いが有るのです!それはちっともありのままではありません。
ありのままでいいのに、”ありのままでなければならない””個、分離など無い、無い”と言って個的に、分離に見えるものと分離し始める…
思念に捉われなければ、世界はどのようにでも見えるのに…この現世はスピリチュアルからの解放を要するのではないでしょうか?
年とると、この肉体がどうしてもいう事聞かなくって…解放されたいなんて思ってたら、こないだ意識が飛んで行きそうになり”戻らなきゃあ”と必死になり、どうにか戻ってこれました。幽体離脱から…これが有るって本当に落ち着いて有難いです…。
スピ系では長いことこのような心霊学的階層の観方に刷り込まれて来たように思います。
果たして本当にそうなんでしょうか?
この見地では人間の心は物質以上のものだとされています。
でも何故特殊な人を除いて心、精神力で異常気象や地殻変動をコントロール出来ないのでしょうか?
又我々自身の不随意的な機能、内臓機能などを自由に動かせないのでしょうか?
心や精神というもの、ここでは一括して”思念”と呼ばせてもらいますが、この領域を心霊学では多く幽界と呼んでいます。
物質界に近いがより微細でより次元が高い階層らしいです。
だが、この領域には所謂幽界の生物、地縛霊、悪霊(私はレム睡眠の時は分からないですが、見たことありません)がウヨウヨ彷徨っているらしい世界、地獄界なども含まれてしまうらしいです。
この現世、物質界は地獄の沙汰とか、人間とは思えない鬼畜、サタンの所業と思しきことも時に見られることはあっても、恒常的にそうしたものと付き合わされている訳ではありません。
地獄的状態がずっと続く世界に比べたらこの世はまるで最高天国じゃありませんか?
私は以前、サタンや地獄の存在を信じている原理主義的クリスチャンに、「サタンとか地獄とかというのは我々の思念が作ったものだと思う」と言ったら変な風に誤解されてしまいました。
「あなたはなんてノーテンキなんだ!」と…しかし私がそこで言わんとしたことは、それらは想像の産物だという事でなく、文字通り思念によって造られたバーチャルな客観的に見えるもの…といった意味です。実際に苦しんでいる人たちにとっては「そんなのただの思い過ごしさ」なんて言葉は気休めにもならないでしょう…
でも日月神示にもあるようにこういう人は「無い悪魔と戦い、無い地獄に落ちているのぞ…」と言わざるを得ないでしょう。
これでいくと、この思念によって又天国だって造ることも出来るはずです。
しかし、それは本当の我々の永遠の帰るところかと言ったら疑問です。それはあくまでバーチャルな天国のはずですから…
どうも私には最下層の地獄の様態から最高神がおわす神界…低い次元から高い次元までの段階的階層があるとされる、この見地そのものが幽界的、思念界的なものに思えてなりません。
それは至高なるもの、究極なるもの、真善美のみが有る世界…そうしたものに肖りたいという、人間的なあまりにも人間的な心理が造り出したものではないでしょうか?この心理には一方では悪しき物質界からの解放といったことも底にはあるでしょう…
かくして人々はこぞって最高天国に少しでも近づこうと、終わりなき戦いを始めます。
そして天国だと思っていたものは容易に地獄に変貌します。こぞって戦いに駆られるからです。
ことは相対次元で行われる限り、この宿命はどうしたって付きまといます。
そしてまた、この裏では物質、肉体…これこそは諸悪の根源と見なされてきました。
感ずるに、どうして我々は下位なる?自然や肉体をコントロール出来ないのか?
それはニュートラルなものだからでしょう…言い換えれば”そうなっているもの””ありのままのもの”なのです。
良いも悪いも無く、高いも低いも無い…良いとか悪いとか高いとか低いとかいう思いが有るのです!それはちっともありのままではありません。
ありのままでいいのに、”ありのままでなければならない””個、分離など無い、無い”と言って個的に、分離に見えるものと分離し始める…
思念に捉われなければ、世界はどのようにでも見えるのに…この現世はスピリチュアルからの解放を要するのではないでしょうか?
年とると、この肉体がどうしてもいう事聞かなくって…解放されたいなんて思ってたら、こないだ意識が飛んで行きそうになり”戻らなきゃあ”と必死になり、どうにか戻ってこれました。幽体離脱から…これが有るって本当に落ち着いて有難いです…。