人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

好きこそものの上手なれ

2016-01-06 14:53:32 | 雑感
”私はね、特別な修行も、勉強もしたことないんですけど…いつの間にか、ジンジンしてくる感じを身に覚え初めて、それが見えざる現臨の訪れとなッて、もう得も言われぬ感じになってしまうんです…”

私は以前、このように凡人のくせに、まるで超人みたいなことを平然と語ってしまう事が有りました。
そしてある人から「何もしないで、そんなことになる訳ないでしょう!…あなたは、修行とは言わなくても、それなりに努力とか研鑽を積んできたのでしょう、読書量だって半端ないみたいだし…」
とかなり強い口調で突っ込まれた事が有ります。
言われてみれば…そうかも分かりません…
ただ…私には、修行したとか、研鑽したとか、努力を積み重ねた…という実感が無いのです。
これはどういう事かと言うと…”好きだからやっていた!”としか言いようが有りません。
「好きこそものの上手なれ」と言いますが、好きでそうする、という事は何のため、何の意味が有るから…といったことと関わりなく出来る、という事です。
これが無条件的な事という訳でしょう。
それでも、私にはやはり特別な修行というのはやはり無縁だったと思います。
”教外別伝”形無き、方法無き瞑想、祈りというものは身に覚えが有りますよ…
でもそれはまさに形の無いものなので、ルーティンのようなものは有りません。
本質的な事は見えざる命がもたげてきて、心身が包まれた時に起きるという事なのです。
又、何かの研鑽らしき事で言えば、私にとっては読書、書物との縁というのは特別な意味が有ったのは確かな事です。
と言っても、そこから知識を得よう、修行法を得よう、何々を掴もう、というのは二の次で、その読書体験の主要な意味は、書かれたものを通して、見えない息吹に触れる、という事に尽きると思います。
これは何度か経験してて味をシメているからそうなるまでです。
何をどう読んだか分からないけど、忽然と喜ばしい息吹が立ち上ってくる…30数年前の今頃の時分など毎日のようにそんな気分に浸っていたものです。
そうなる事…好きだからそうなる…これはある意味酔っ払いみたいなものでしょう。
何かそのニオイが漂って来たら、ジッとしていられなくなるように…
要するに、喜ばしいものに触れる事が無条件に好きなのだという事なのですね。
こういう事はあらゆる事柄にも言える事ですね。
何かをしようとして、”出来る、出来ない”ということに何と多くの人は捉われていることでしょう!
それ以前に自分自身に問うてみる事は、”それをする事が本当に自分が好きな事なのか、やって楽しいことなのか…”ということではないでしょうか?
好きな事だったら、出来ようと、出来まいと…やろうと意図しようと、しまいと、”既にやっている”ことだったりすることに気が付くことでしょう…
人に認めてもらう必要も無いので、何が上達したとか、進歩したとかという事も関係ありません。
しかし、又この事が如何に職業、役に立つこと(実益)、人の評価…といったものに結び付けられてしまう事か!
もう、そこで無条件的なものでなくなります。
好きな事は無条件…無条件の愛と共に居られるという事です…。
どうしたら、幸福になれるか? 好きなことしていたら分かります…。
















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