人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

捨聖・一遍上人

2016-01-27 13:52:55 | 日本的霊性
ユダヤ教、特にハシディズムについて貴重な研究をされている手島佑郎先生には、「禅とハシディズムの比較」という、これまた実に興味深い英文の著書が有るとかで訳本の公刊が待たれるところです。
ブーバ―にもそのような研究が有るそうですが…門外漢の大雑把な私見ですが、あまりあの動的な祈りの集団とはイメージが湧きません。
ハシディズムとの類似ということで、私の念頭にすぐ浮かぶのは、鎌倉仏教に異彩を放った一遍上人と時衆と呼ばれる一群です。
一遍上人は他の高僧たちに比べ知名度も低く、業績というのも知られていませんが、私は本当の意味で”日本的霊性”を体現していた聖人だったと思っています。
彼が長い間、その存在が知られて無かったのは、書き物をすべて焼き捨て、後継者も作らず、拠点となる寺も建てず、文字通り自分を消し去ってしまったからです。捨聖(すてひじり)といわれる所以です。
彼は便宜上、時宗という一派の開祖とされていますが、これは他阿という弟子(実質的な開祖)がその師の意志に違えて起こしたものなのです。
貴重な事に弟子たちが図絵入りで足跡を記している巻物(一遍聖絵)見つかったので、今日その存在が知られるようになりました。
この図絵が実に親しみ深い!一遍の周囲には老若男女、貴賤を問わず自ずと集まってきた模様が生き生きと伝わってきます。
浄土門というと法然・親鸞に代表されるものを主流とすれば、いわば裏の浄土門ともいうべき流れを継いでいるのが一遍なのです。
上人の周りに形成された一定の組織、拠点を持たない原初的な信仰集団を時衆(これが一宗派として発展したのが時宗)と呼びますが、全国各地の寺・(浄土系の寺とは限らず、又神社も含まれるのです)などを遍歴し、そこに仮借して布教をしていました。これを遊行(ゆぎょう)といいますが、何時頃から我が国に派生したのか定かではありませんが、このように信仰的に自由、(観方を変えると)いいかげんなところが特徴です。(それにしても実に原始キリスト教、原始仏教などを彷彿させるではありませんか?)
ちなみに上人が布教に行き詰った際、活路を見出したのは熊野本宮に参詣し、そこで有名な「信不信、浄不浄を選ばず…南無阿弥陀仏の六字の名号に衆生の往生は定まっている…お前の行いによって決まるのではない…」といった熊野権現からの諭しに預かったからとされています。(熊野成道)
彼らの布教の在り方で、民衆たちの間で注目を集めたものに”踊り念仏”というのが有ります。
現在では、民俗芸能としての興味でしか観られてないようですが、古来より遊行僧の間で伝わっていたようです。
如何にも暗く、静的な印象の強い主流の浄土系のそれと違って、先の図絵などから伝わってくるのは、歓喜雀躍、実にダイナミックなものです。
私はこれは元々シャーマニックな、自然発生的な現象とみているのですが、神道に伝わる鎮魂ミタマフリの伝などとも相通ずるものが有るかも知れません。
前述のとおり一遍の念仏の理解も、法然・親鸞の主流の浄土系の根幹ともいえる所謂阿弥陀仏の本願思想など、ともすれば我々の心情的なものに傾きがちなに重きを置いた在り方は後退しており、より原初的というか、生命的、ハタラキ的なものが前面に出ている感じがします。それが踊り念仏の集団エクスタシーとなって表出したのでしょう。
そしてそこには、”やれ自力だ、他力だ…”と鎌倉新仏教の主流にしばしば見られる自派の教説を押し立て、護教論に走ることも無く”信不信、浄不浄を選ばず”のとおり、…聖俗の区別も無い、神ながらに包容してしまう生き方を示しました。
私は神道、仏教を問わず、原日本的霊性というものはこのような息吹を伝えるものだと思っています。
ところで、この阿弥陀仏というもの…アミターバとは無量寿、無辺光…限りなき、遍き光と一体の仏のことです。
障壁のようなものに閉じこもるという事態がオカシイのではありませんか?
そしてこの実にシンプルな一遍(一にして遍く照らす)というこの法名がなんとこの消息を表していることでしょうか!

「唱ふれば仏も我もなかりけり南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」(一遍上人)




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