この正月は久しぶりに古い日本映画の動画を何本か観ました。
戦後間もない頃の片岡知恵蔵主演、多羅尾伴内ものでは、今は見られなくなった古いダンスホールか”カフェ”で、ジャズやハワイアン、タンゴなどが奏でられていました。戦時中は規制がうるさかったので、人々は軽音楽(死語?)に余程飢えていたという事が伺えます。
いやあ、昔の文化の発掘は実に楽しい…コツコツと地道にやっていきたいです。
”十年かかるか二十年かかるか…まるで敵討ちみたいなもの”です。
そうして色々漁っているうち、”ヤヤッ!見つけたぞ!コケ猿の壺!”殿、これは看過なりませぬゾ!
「丹下左膳余話・百萬両の壺」昭和10年日活 山中貞雄監督
「しぇいはたんげ、なはしゃじぇん!」
というかつて一世を風靡した、時代劇のヒーロー、丹下左膳の当たり役、大河内伝次郎の決めゼリフも、今じゃ声帯模写をやる人も居なくなって、ピンと来る人も少なくなってしまったようです。
私が初めて観たのは平成二年、京都の自主上映会でした。
この映画は数年前リメイクされましたが、私はまだ観てません。リメイクといっても、これまで何度もこの作品を下敷きにして、設定を微妙に変えるなどして撮られてきたので、昔からの時代劇ファンには内容はお馴染みのはずです。
密かに百萬両のありかを記しているという壺を求めてのテンヤワンヤ劇です。
その名もコケ猿の壺というのは、どうも”虚仮”に憑かれた者たちのストーリーか、と想起させるものが有ります。
隻眼隻手、異様な風貌で、剣の腕前はスゴイらしい…なにやら江戸町のとある矢場の用心棒…と言えば聞こえはいいが、そこの居候…いや早い話が”お藤”という、矢場の女主のヒモなのです。この二人とも見かけも口っぷりもとてもドライなのですが、どうもそれは内心思っている事とは、相反しているらしい…
”こんな汚いガキはイヤだよ!” ”子供なんて大キライだ!”という薄情な二人のやり取りの後…場面はちゃっかり”叔父ちゃん、叔母ちゃん”となついてしまった、身よりの無い男の子(チョビ安)との親子さながらの共同生活に切り替わる…”いやあ、上手い…”ウナるしかないです。これは当時では、とても斬新な手法だったようですが、西欧人には無い日本人の機微というものをよく捉えていると思います。
ウナるというと…”ウウッ…”とついに左膳の剣が火を吹いて、斬られてしまう悪人…という剣劇ならではの見せ場というのは一場面しかありません。
(もう一つの場面があったそうですが、検閲でカットされてしまったそうです。)
後は金策に困った左膳が道場破りをやらかし、バッタバッタと門人を打ち負かし、ついに道場主柳生源三郎(沢村国太郎…長門、津川兄弟の親父さん)との一騎打ち…かと思いきや、二人は旧知の中で、女房の手前名門道場主としての面目を保ちたい、という源三郎との思惑が一致。デキ試合に負けてまんまと金をせしめるというアンチ・ヒーローぶり…
小学校の頃テレビや映画で観た、丹下左膳のお馴染みのキャラクターというのは、大体このようなめっぽう強いが、気は優しい市井のヒーローといったものです。
実は初めて小説、映画に登場した時は、全く違っていた…自らの運命に対してか、無常の世に対してか憎悪をぶつけるように、夜な夜な非道な辻斬りを繰り返しすヒール(悪役)だった…しかも脇役だったそうです。大河内伝次郎はサイレント時代、その映画「新版大岡政談」で、主役大岡越前守と左膳の一人二役を演じて以来当たり役となったのです。これは”乾雲、坤竜”という妖刀を巡る攻防で、丹下左膳の物語にはこの二つに大別されるのです。
私は確か昭和最後の年、50年代のオリジナル・バージョンのリメイク版を観て、それまで抱いていた左膳像とあまりに異なる妖気漂うニヒルぶりにとても衝撃を受けたものです。
それはしかし、このように鬼才山中貞雄監督によって生まれたもう一人の左膳に接した多くの従来のファンにとっては、逆パターンでの衝撃だったことでしょう。
惜しまれつつ早逝した山中貞雄の残した作品は数少ないですが、どれも傑作として名高いです。
十年経っても、二十年経っても、百年経っても色褪せる事が有りません。敵討ち? 輪廻?みたいなものです…。
戦後間もない頃の片岡知恵蔵主演、多羅尾伴内ものでは、今は見られなくなった古いダンスホールか”カフェ”で、ジャズやハワイアン、タンゴなどが奏でられていました。戦時中は規制がうるさかったので、人々は軽音楽(死語?)に余程飢えていたという事が伺えます。
いやあ、昔の文化の発掘は実に楽しい…コツコツと地道にやっていきたいです。
”十年かかるか二十年かかるか…まるで敵討ちみたいなもの”です。
そうして色々漁っているうち、”ヤヤッ!見つけたぞ!コケ猿の壺!”殿、これは看過なりませぬゾ!
「丹下左膳余話・百萬両の壺」昭和10年日活 山中貞雄監督
「しぇいはたんげ、なはしゃじぇん!」
というかつて一世を風靡した、時代劇のヒーロー、丹下左膳の当たり役、大河内伝次郎の決めゼリフも、今じゃ声帯模写をやる人も居なくなって、ピンと来る人も少なくなってしまったようです。
私が初めて観たのは平成二年、京都の自主上映会でした。
この映画は数年前リメイクされましたが、私はまだ観てません。リメイクといっても、これまで何度もこの作品を下敷きにして、設定を微妙に変えるなどして撮られてきたので、昔からの時代劇ファンには内容はお馴染みのはずです。
密かに百萬両のありかを記しているという壺を求めてのテンヤワンヤ劇です。
その名もコケ猿の壺というのは、どうも”虚仮”に憑かれた者たちのストーリーか、と想起させるものが有ります。
隻眼隻手、異様な風貌で、剣の腕前はスゴイらしい…なにやら江戸町のとある矢場の用心棒…と言えば聞こえはいいが、そこの居候…いや早い話が”お藤”という、矢場の女主のヒモなのです。この二人とも見かけも口っぷりもとてもドライなのですが、どうもそれは内心思っている事とは、相反しているらしい…
”こんな汚いガキはイヤだよ!” ”子供なんて大キライだ!”という薄情な二人のやり取りの後…場面はちゃっかり”叔父ちゃん、叔母ちゃん”となついてしまった、身よりの無い男の子(チョビ安)との親子さながらの共同生活に切り替わる…”いやあ、上手い…”ウナるしかないです。これは当時では、とても斬新な手法だったようですが、西欧人には無い日本人の機微というものをよく捉えていると思います。
ウナるというと…”ウウッ…”とついに左膳の剣が火を吹いて、斬られてしまう悪人…という剣劇ならではの見せ場というのは一場面しかありません。
(もう一つの場面があったそうですが、検閲でカットされてしまったそうです。)
後は金策に困った左膳が道場破りをやらかし、バッタバッタと門人を打ち負かし、ついに道場主柳生源三郎(沢村国太郎…長門、津川兄弟の親父さん)との一騎打ち…かと思いきや、二人は旧知の中で、女房の手前名門道場主としての面目を保ちたい、という源三郎との思惑が一致。デキ試合に負けてまんまと金をせしめるというアンチ・ヒーローぶり…
小学校の頃テレビや映画で観た、丹下左膳のお馴染みのキャラクターというのは、大体このようなめっぽう強いが、気は優しい市井のヒーローといったものです。
実は初めて小説、映画に登場した時は、全く違っていた…自らの運命に対してか、無常の世に対してか憎悪をぶつけるように、夜な夜な非道な辻斬りを繰り返しすヒール(悪役)だった…しかも脇役だったそうです。大河内伝次郎はサイレント時代、その映画「新版大岡政談」で、主役大岡越前守と左膳の一人二役を演じて以来当たり役となったのです。これは”乾雲、坤竜”という妖刀を巡る攻防で、丹下左膳の物語にはこの二つに大別されるのです。
私は確か昭和最後の年、50年代のオリジナル・バージョンのリメイク版を観て、それまで抱いていた左膳像とあまりに異なる妖気漂うニヒルぶりにとても衝撃を受けたものです。
それはしかし、このように鬼才山中貞雄監督によって生まれたもう一人の左膳に接した多くの従来のファンにとっては、逆パターンでの衝撃だったことでしょう。
惜しまれつつ早逝した山中貞雄の残した作品は数少ないですが、どれも傑作として名高いです。
十年経っても、二十年経っても、百年経っても色褪せる事が有りません。敵討ち? 輪廻?みたいなものです…。