”人生は見たまま思われたままでは無い、だから人生の裏側に立ち返り、それに根ざした生き方をしましょう”
如何にもこのブログでは、いつもそのような事を書いているみたいに思われるかもしれませんが、(どう読まれようと自由なので、要らんことかもしれませんが)私自身はそういう事とはちと違うつもりのことを綴っています。念のため…
微妙な言い回しですが、大事なことは見たまま、思われたままなのも人生なのだ、という事です。
だから私は全くスピ系に関心のある方にとっては、(おそらくはそれ以外の人にとっても)何の役にも立ちそうにない全く俗っぽいことも綴っています。
ただそこでも私のひねくれた精神構造が如実に出たような、”自己満ここに極まる”様な事なども書いています。ホントなんだからしょうがないです。
自分の人生について想起した時、印象に強くあるものなど、ああでなきゃウソになります。
私は二年くらい前、自分をモデルにした小説を書こうと思い立ち、当初自分をどこにでも居るようなありきたりの人間という設定で描こうとしたのですが、書いているうちにだんだん白々しくなってきました。”なんというウソッぽさであろう…”と。
全体、そもそもありきたりな平均的な人間なんてもの居るのだろうか…
(植木等主演の映画「ニッポン無責任時代」の”たいらひとし”は逆説的で面白かったですが…)
”そういう人間が居たら、風船のように空気を入れたらきっとどっかに飛んで行くだろうな…”と思いました。
私は姿、恰好こそ地味でどこにでも居そうかもしれませんが、その実はまったく上記のようではありません。
そういう事ををありのまま綴っているのです。
でも、ひねくれた観方をすれば、”人間というものは一人一人がそういうものでユニークなものであり、記号や数字などで置き換えることは出来ないもの…”とも言えます。
その意味では私もありきたりの人間の端くれ、という事になりそうです。
そこで、ひねくれ者らしく”隠れていたものが顕わになる”というこのブログの基調の一つを利かしている次第なのです…。
これが何だか謎めいていて、いくつも裏側があるような、私の表側の人生の一端なのですが、肝心なことはそれだけが人生の全てでは無い、という事ですね。
”本当の意味での人生の裏側を蔑ろにしていると、とても窮屈で不自由な生き方になってしまう…今までは見えるもの、形あるもの、捉えられるものばかりに偏り過ぎていた…そこには裏側ってものがちゃんとある…それ有っての表側…”と耳タコのような話が続くのですが…。
”見えるものは皆無くしてしまう…”なんてことは言ってません!
こういう事は実に当たり前な事だと思うのですが、改めて書いてみました。
そして”真理はこれしかない!、 どっちかが真実でどっちかが幻想…”といった、偏った物言いというものを自戒しているつもりです。
私はかなり極端でコダワル性格ですが、他者へはそれを押し付けたくありません。
自分も押し付けられたくないからです。
要するに…好きなことを書いているだけです。
従って…読むのも好き好き…
今後ともよろしくお願いします。
如何にもこのブログでは、いつもそのような事を書いているみたいに思われるかもしれませんが、(どう読まれようと自由なので、要らんことかもしれませんが)私自身はそういう事とはちと違うつもりのことを綴っています。念のため…
微妙な言い回しですが、大事なことは見たまま、思われたままなのも人生なのだ、という事です。
だから私は全くスピ系に関心のある方にとっては、(おそらくはそれ以外の人にとっても)何の役にも立ちそうにない全く俗っぽいことも綴っています。
ただそこでも私のひねくれた精神構造が如実に出たような、”自己満ここに極まる”様な事なども書いています。ホントなんだからしょうがないです。
自分の人生について想起した時、印象に強くあるものなど、ああでなきゃウソになります。
私は二年くらい前、自分をモデルにした小説を書こうと思い立ち、当初自分をどこにでも居るようなありきたりの人間という設定で描こうとしたのですが、書いているうちにだんだん白々しくなってきました。”なんというウソッぽさであろう…”と。
全体、そもそもありきたりな平均的な人間なんてもの居るのだろうか…
(植木等主演の映画「ニッポン無責任時代」の”たいらひとし”は逆説的で面白かったですが…)
”そういう人間が居たら、風船のように空気を入れたらきっとどっかに飛んで行くだろうな…”と思いました。
私は姿、恰好こそ地味でどこにでも居そうかもしれませんが、その実はまったく上記のようではありません。
そういう事ををありのまま綴っているのです。
でも、ひねくれた観方をすれば、”人間というものは一人一人がそういうものでユニークなものであり、記号や数字などで置き換えることは出来ないもの…”とも言えます。
その意味では私もありきたりの人間の端くれ、という事になりそうです。
そこで、ひねくれ者らしく”隠れていたものが顕わになる”というこのブログの基調の一つを利かしている次第なのです…。
これが何だか謎めいていて、いくつも裏側があるような、私の表側の人生の一端なのですが、肝心なことはそれだけが人生の全てでは無い、という事ですね。
”本当の意味での人生の裏側を蔑ろにしていると、とても窮屈で不自由な生き方になってしまう…今までは見えるもの、形あるもの、捉えられるものばかりに偏り過ぎていた…そこには裏側ってものがちゃんとある…それ有っての表側…”と耳タコのような話が続くのですが…。
”見えるものは皆無くしてしまう…”なんてことは言ってません!
こういう事は実に当たり前な事だと思うのですが、改めて書いてみました。
そして”真理はこれしかない!、 どっちかが真実でどっちかが幻想…”といった、偏った物言いというものを自戒しているつもりです。
私はかなり極端でコダワル性格ですが、他者へはそれを押し付けたくありません。
自分も押し付けられたくないからです。
要するに…好きなことを書いているだけです。
従って…読むのも好き好き…
今後ともよろしくお願いします。