今度はリゾート地のニースで…フランスのテロ事件は、もはや対岸の火とは言えなくなってきた感があります。先日の英国のEU離脱の背景には英国民の民族排斥感情が有ったといいますが、この負の連鎖はどこまで続くのでしょうか?
30年くらい前、ワールド・ミュージックのブームが世界的に広まりましたが、フランスは戦前から(当時はそういう言葉は無かったでしたが…)ワールド・ミュージックの発信地でした。ルンバ(キューバ音楽)、タンゴ、ハワイアン…これらを世界に先駆けて受容し、文字通りポピュラーな音楽として定着させたのです。これは同国民のエキゾチックなものへの好み、多民族と共存する寛容性が有ったことが伺えます。「音楽に国境は無い」などと言いますが、私は少なくとも音楽などを通じてでも寛容の精神が広まって欲しいと願っています。
ところで、エンリコ・マシアスという歌手を御存知でしょうか?
何枚もLPが紹介され、何度も来日しているので、60,70年代のシャンソン・ファンは勿論、広くポピュラー音楽を愛好していた方ならお馴染みのことと思います。もう忘れられた歌手という感じになってしまったのでしょうか?私は忘れてなどいない!…というか知らなかった!
私はかなり目敏い音楽マニアでして、76年頃にはシャンソンにも触手を伸ばして?いたのですが、うかつにも名前のみ知っていたものの、ノーマークなのでした。岸洋子さんがカヴァーヒットさせた「恋心」という曲は、リアルタイムで聴いていましたが、これがマシアスのオリジナルだと知ったのは、遅まきながら4年くらい前でした。
「L‘Amour, Cest Pour Rien」岸バージョンは和製シャンソンという感じでしたが、これは地中海風?スパニッシュ風?という感じのタンゴです。原題は”愛は何ものにも代えられない”というのだそうです。
マシアスの曲で我が国で最も知られているのは、これと私も耳馴染みの有る「想い出のソレンツアーラ=Solenzara」でしょう。これはボレロのリズム。(嬉しいことに、巷では超マイナーなタンゴとボレロこそ、わが音楽館では主流なのです!この二曲はしっかりカラオケでマスターしたぞい!)
この他、先日物故した作詞家永六輔さんの代表作「遠くへ行きたい=Ma Derniere Chance」も「私の最後のチャンス」と内容を変えてフランス語で歌っています。
彼は日本では大雑把にシャンソン歌手として紹介されていますが、それは単にフランスに帰化して活躍していただけの理由で、このように実際はとてもジャンル分けなど困難な、それこそワールド・ミュージックを体現しているようなユニークな歌手だったのです。
これは間違いなく、彼の複雑な生まれ育った環境から来ているものです。
フランス領だった、アフリカ北部のアルジェリア生まれ。アラブの影響が色濃い国ですが、彼は実はユダヤ人…それもスペインのアンダルシア地方のアラブ系ユダヤ人なのです!
こんなわけで「イスラエルの太陽」はじめユダヤ人としての感情を表した内容の曲も歌われる事は、彼にしたら至極当たり前のことでしょう。
このため、アラブ系の強い国ではコンサートをボイコットされるなどの憂き目にも遭っています。
だが、ユダヤの音楽はよくわかりませんが、私には彼の達者なギター演奏、曲想からハッキリとアラブ、オリエンタルなテイストが感じられます。
歌唱はそれでいてあまりクセは無く、カラッとした汎地中海ヨーロッパ風(要するにシャンソン、カンツォーネファンには馴染みのある…という感じ)なのです。
彼は親ユダヤなのでしょうが、反アラブである訳が有りません。
正直、私にはこのような複雑な民族、宗教などが絡み合った背景をもった人たちの心情が如何なるものか、理解出来ません。
でも、少なくとも私には、彼の歌からはそれらを超えて人生の哀感、喜びというものは切々と伝わってきます。
「オリエンタル=L‘Oriental」
皆は僕をこう呼ぶ”東洋人”と
運命的なまなざしの若者だと…ヘイ…ヘイ…
皆は僕をこう呼ぶ”オリエンタル”と
僕はセンチメンタルなだけなのに
僕が変わった事をするわけでもないのに
・・・・
僕のハートはかくれんぼしてる
辛くてメチャメチャになりそうなときは
過ぎ行く日々と憂鬱を歌うんだ
・・・・
悲しい歌、楽しい歌
僕は気の向くままに歌う
僕を夢中にさせるのは音楽だ
30年くらい前、ワールド・ミュージックのブームが世界的に広まりましたが、フランスは戦前から(当時はそういう言葉は無かったでしたが…)ワールド・ミュージックの発信地でした。ルンバ(キューバ音楽)、タンゴ、ハワイアン…これらを世界に先駆けて受容し、文字通りポピュラーな音楽として定着させたのです。これは同国民のエキゾチックなものへの好み、多民族と共存する寛容性が有ったことが伺えます。「音楽に国境は無い」などと言いますが、私は少なくとも音楽などを通じてでも寛容の精神が広まって欲しいと願っています。
ところで、エンリコ・マシアスという歌手を御存知でしょうか?
何枚もLPが紹介され、何度も来日しているので、60,70年代のシャンソン・ファンは勿論、広くポピュラー音楽を愛好していた方ならお馴染みのことと思います。もう忘れられた歌手という感じになってしまったのでしょうか?私は忘れてなどいない!…というか知らなかった!
私はかなり目敏い音楽マニアでして、76年頃にはシャンソンにも触手を伸ばして?いたのですが、うかつにも名前のみ知っていたものの、ノーマークなのでした。岸洋子さんがカヴァーヒットさせた「恋心」という曲は、リアルタイムで聴いていましたが、これがマシアスのオリジナルだと知ったのは、遅まきながら4年くらい前でした。
「L‘Amour, Cest Pour Rien」岸バージョンは和製シャンソンという感じでしたが、これは地中海風?スパニッシュ風?という感じのタンゴです。原題は”愛は何ものにも代えられない”というのだそうです。
マシアスの曲で我が国で最も知られているのは、これと私も耳馴染みの有る「想い出のソレンツアーラ=Solenzara」でしょう。これはボレロのリズム。(嬉しいことに、巷では超マイナーなタンゴとボレロこそ、わが音楽館では主流なのです!この二曲はしっかりカラオケでマスターしたぞい!)
この他、先日物故した作詞家永六輔さんの代表作「遠くへ行きたい=Ma Derniere Chance」も「私の最後のチャンス」と内容を変えてフランス語で歌っています。
彼は日本では大雑把にシャンソン歌手として紹介されていますが、それは単にフランスに帰化して活躍していただけの理由で、このように実際はとてもジャンル分けなど困難な、それこそワールド・ミュージックを体現しているようなユニークな歌手だったのです。
これは間違いなく、彼の複雑な生まれ育った環境から来ているものです。
フランス領だった、アフリカ北部のアルジェリア生まれ。アラブの影響が色濃い国ですが、彼は実はユダヤ人…それもスペインのアンダルシア地方のアラブ系ユダヤ人なのです!
こんなわけで「イスラエルの太陽」はじめユダヤ人としての感情を表した内容の曲も歌われる事は、彼にしたら至極当たり前のことでしょう。
このため、アラブ系の強い国ではコンサートをボイコットされるなどの憂き目にも遭っています。
だが、ユダヤの音楽はよくわかりませんが、私には彼の達者なギター演奏、曲想からハッキリとアラブ、オリエンタルなテイストが感じられます。
歌唱はそれでいてあまりクセは無く、カラッとした汎地中海ヨーロッパ風(要するにシャンソン、カンツォーネファンには馴染みのある…という感じ)なのです。
彼は親ユダヤなのでしょうが、反アラブである訳が有りません。
正直、私にはこのような複雑な民族、宗教などが絡み合った背景をもった人たちの心情が如何なるものか、理解出来ません。
でも、少なくとも私には、彼の歌からはそれらを超えて人生の哀感、喜びというものは切々と伝わってきます。
「オリエンタル=L‘Oriental」
皆は僕をこう呼ぶ”東洋人”と
運命的なまなざしの若者だと…ヘイ…ヘイ…
皆は僕をこう呼ぶ”オリエンタル”と
僕はセンチメンタルなだけなのに
僕が変わった事をするわけでもないのに
・・・・
僕のハートはかくれんぼしてる
辛くてメチャメチャになりそうなときは
過ぎ行く日々と憂鬱を歌うんだ
・・・・
悲しい歌、楽しい歌
僕は気の向くままに歌う
僕を夢中にさせるのは音楽だ