”このドラマを通して人間的成長というものを感じ取っていただければ、と思っています…”
と、TVドラマ制作発表での成長株の女優さんのコメント
人間的成長?…難しそうなことはともかく、面白そうだったら…お気に入りの女優さんが出てたらそりゃあ観ますって!
しかし、俳優さんも大変ですね。ゴシップ記事でも出ようものなら、成長は止まるか?
成長…”どんな困難にも前向きに立ち向かい、持てる力を振り絞って切り抜けよう…逃げちゃあダメ…その先に待っているんだ、成長が…”って…
”成長期”の人ならいざ知らず、こういうこと言う人ってーのは、初老の人間の気持ちを分かっているんでしょうか?
一日何かが成長して、その倍何かが後退して行く…
会社などでは、私よりずっと若い成長途上の(でなきゃ、そんな言葉は出ないでしょう)上司からそんなことお構いなしに聞かされますけど…
これがブラック企業などで、タダ働きさせられていても、”置かれた立場で精いっぱい頑張れるか、成長のため…”んなもん、やってられるか、ってんです!
皆分かってるでしょ…芸能界だろうと会社だろうと、誰かが潤わなけりゃ成長など無いんです。
要するに成長するのは人というより利益なのです!
会社が潤えば、社会が潤う、だがいつも底辺では誰かが憂いてる
頑張らなくてもいい人たち、頑張れない人たちだっているんです!
成長を目指す人たちというのは、”前向きに、弱音を吐かずに、頑張って、自分の力で壁を乗り越えて、成長しないと、いい人間にゃなれないんだぞう…”というどっかから聞こえてくる声に迫られて、そうしているみたいです。そして”おい、そこで何をやっているんだー、何もしてない?、さっさとやらんか―い、何かを!”何かをし続けなければならないように…
何かが燃え尽きそうです!
そして又、成長しなければならない思いの裏には、”何かが足りない、劣ってる、改善されなければならない、悪い自分に打ち勝たなければならない…”とポジティブの裏にはネガティブな感情も見え隠れしているのです。
貯まったネガ感情は職場で、家庭などで放出される…ああ、たまらない…
成長というか、私がここ数年で目覚ましく進歩したと感じているのは歌唱力かと思います。まるである日突然音域が覚醒したかのようです。
もっともそれは私が勝手にそう思っているだけなので忘年会とかで、ヤンヤとなるか”お通夜”みたいになるとかで試されることでしょう。
こういうのは好きでやっていることなので、こんなんが人間的成長につながるのでしょうか?
でも、隠されていたものが引き出され、キャパの広がりを示されるっていうのは、やはりある意味の成長と言えるかも知れません。
つまりは見たままの自分がどうこうなる、というよりもそれまで自分の見えなかったものが忽然と顕われる事にこそ、その妙があるのです。
それは技術の習得などより先に、本来的に在るものではないでしょうか?じゃ、もっと歌がうまくなるように”さあ、歌の特訓しましょう”なんて…
”ヤダよ!”
一遍に楽しくなくなりますもん!
私が自分自身を褒めたい、と感じるのは、今でも美しい夕日を見るなどして、意識の高揚感を覚える事です。
狡猾な智慧が回ったようでも、まだまだ感受性は失われていないみたいです。
これは観方によれば子供の時分より成長してない、と言えそうです。
でも、それはどんなに自分を高めようとしても、獲得することは出来ないものでしょう。それは元々あるものなのです。どんな境遇にも関わらず…
何も成長してない、けれど何も後退してない…今のところは…
いつもこんな風でしたら間違いなくずっと幸福でいられます。(しかし、そうならないのがシャバの定めというもの)
成長だろうと何だろうと、幸福と共になければ一体何のガマン大会なのでしょうか?
それは周囲の声でやらされるものじゃない、あなたの中にやむにやまれないものがあるから、自然にやらされるものでしょう。
成長するものは、成長させられるものによって、そうなるまで…もともとそうなってるものになるのです…。
と、TVドラマ制作発表での成長株の女優さんのコメント
人間的成長?…難しそうなことはともかく、面白そうだったら…お気に入りの女優さんが出てたらそりゃあ観ますって!
しかし、俳優さんも大変ですね。ゴシップ記事でも出ようものなら、成長は止まるか?
成長…”どんな困難にも前向きに立ち向かい、持てる力を振り絞って切り抜けよう…逃げちゃあダメ…その先に待っているんだ、成長が…”って…
”成長期”の人ならいざ知らず、こういうこと言う人ってーのは、初老の人間の気持ちを分かっているんでしょうか?
一日何かが成長して、その倍何かが後退して行く…
会社などでは、私よりずっと若い成長途上の(でなきゃ、そんな言葉は出ないでしょう)上司からそんなことお構いなしに聞かされますけど…
これがブラック企業などで、タダ働きさせられていても、”置かれた立場で精いっぱい頑張れるか、成長のため…”んなもん、やってられるか、ってんです!
皆分かってるでしょ…芸能界だろうと会社だろうと、誰かが潤わなけりゃ成長など無いんです。
要するに成長するのは人というより利益なのです!
会社が潤えば、社会が潤う、だがいつも底辺では誰かが憂いてる
頑張らなくてもいい人たち、頑張れない人たちだっているんです!
成長を目指す人たちというのは、”前向きに、弱音を吐かずに、頑張って、自分の力で壁を乗り越えて、成長しないと、いい人間にゃなれないんだぞう…”というどっかから聞こえてくる声に迫られて、そうしているみたいです。そして”おい、そこで何をやっているんだー、何もしてない?、さっさとやらんか―い、何かを!”何かをし続けなければならないように…
何かが燃え尽きそうです!
そして又、成長しなければならない思いの裏には、”何かが足りない、劣ってる、改善されなければならない、悪い自分に打ち勝たなければならない…”とポジティブの裏にはネガティブな感情も見え隠れしているのです。
貯まったネガ感情は職場で、家庭などで放出される…ああ、たまらない…
成長というか、私がここ数年で目覚ましく進歩したと感じているのは歌唱力かと思います。まるである日突然音域が覚醒したかのようです。
もっともそれは私が勝手にそう思っているだけなので忘年会とかで、ヤンヤとなるか”お通夜”みたいになるとかで試されることでしょう。
こういうのは好きでやっていることなので、こんなんが人間的成長につながるのでしょうか?
でも、隠されていたものが引き出され、キャパの広がりを示されるっていうのは、やはりある意味の成長と言えるかも知れません。
つまりは見たままの自分がどうこうなる、というよりもそれまで自分の見えなかったものが忽然と顕われる事にこそ、その妙があるのです。
それは技術の習得などより先に、本来的に在るものではないでしょうか?じゃ、もっと歌がうまくなるように”さあ、歌の特訓しましょう”なんて…
”ヤダよ!”
一遍に楽しくなくなりますもん!
私が自分自身を褒めたい、と感じるのは、今でも美しい夕日を見るなどして、意識の高揚感を覚える事です。
狡猾な智慧が回ったようでも、まだまだ感受性は失われていないみたいです。
これは観方によれば子供の時分より成長してない、と言えそうです。
でも、それはどんなに自分を高めようとしても、獲得することは出来ないものでしょう。それは元々あるものなのです。どんな境遇にも関わらず…
何も成長してない、けれど何も後退してない…今のところは…
いつもこんな風でしたら間違いなくずっと幸福でいられます。(しかし、そうならないのがシャバの定めというもの)
成長だろうと何だろうと、幸福と共になければ一体何のガマン大会なのでしょうか?
それは周囲の声でやらされるものじゃない、あなたの中にやむにやまれないものがあるから、自然にやらされるものでしょう。
成長するものは、成長させられるものによって、そうなるまで…もともとそうなってるものになるのです…。