通例、道院と言ったり、紅卍と言ったり大雑把に、ごっちゃに呼称されているこの団体ですが、正式にはその母体としてある秘教的、修養団体のことを道院と呼び、世界紅卍字会とはその付属機関である慈善団体のことです。
内側で密かに秘教めいたものが行われていて、外側でそれをカモフラージュしているかのような慈善団体の存在…
そのスローガンは、”世界は一家、人類皆兄弟”(覚えていますか?)のようなフレーズ(故・笹川良一さんは長年、同会の会長をされていました)
いかにも、あの結社を彷彿とさせるではありませんか?…という事は出口王仁三郎師はじめ、五井先生も、合気道の植芝先生も、安岡正篤先生もあの関係なのか…知りません!…ただ、どんなものにも表と裏が有るということだけ言うにとどめておきます。
しか―し…あの結社をモデルにしていたという事は充分に考えられることです。
私は、実のところ求修(入会)については、深く考えた訳でも無く、成り行きに任せたようなところが有りました。
道院の籍に入ったものの、実にイイカゲンなもので、一度として所謂信者といった自覚を持ったことがありません。
むしろ一宗教の信者という意識を乗り越えようという気持ちから入ったとも言えるのです。
そして何度か、足を運んで、先輩の同修たちと接しているうち、何となく宗教のようで宗教らしくない(実際に宗教というものを標榜してませんが)一種の様々な精神的、宗教的な幾筋かの流れが相依り、合流する拠点のようなものを見出してもいたのです。
あまり宗教に特有の、あの相対的な観方に着した、捉われた心情を露にする人は見られません。(番頭格のNという人は突然、豹変してすごーくある種のクセを出す人ではありましたが…ただ、こういう人の役目というものも認めなくてはならないでしょう。この人の存在なくして東京の拠点は存続出来なかったかも知れないのですから…)
これには、この多くの会員は、別の団体に所属しながらも、ここに在籍しているという事情も関係しているのでしょう。
このように求修してから東京を離れるまでの2年ほど定期的に参会してましたが、程よい通気性も感じられ、何よりもその場に満ちていた気(これは何人かの人からも同様のことが聞かれました)に浴していたことなど得難い想い出が有ります。
これが数年後メンバーがすっかり変わってからは感じられなくなりました。
本来、宗教を超えた道を伝え、開く機関として出現した団体も相対に着した見解が表れ始めるや通気性を失うに至ります。
道で語られるものは字義に捉われるものでは有りません。壇訓に曰く「道は方無く、体無し(固定したやり方も、形も無い)」
道院では創立以来、フーチなる自動書記の一形式による神霊の教示を伝えてきましたが、これを壇訓と言います。
これには多く、迷信、妄信が付きまとうものです。しかし、これにかかる神仙自体が「これは方便である」と言っているのです。
方便とはその奥にある隠された真理を象徴して表しているものでしょう。それは心象で受け、解する他はないものでしょう。
私が”見えざる導師”というものを意識し始めたのは、求修した頃からで、それから次々と導きらしきものに預かり始めたのです。
それが何ものによるものであるかは、ずっと心象に留められているのは言うまでもありません。
追記…私は何度か昭和54年初頭、意識が遠のくような精神的不安定な状態が、道院の静坐によって沈静に向かったらしい旨のことを書いていますが、書き忘れていたことが有ります。
それは聖号、神呪の存在です。聖号とは道院の主神「至聖先天老祖」の名を称え続ける、念仏や回教のズイクルのような修法であり、神呪とは清め払いとか悪因縁から免れる効果が有るとされるなどの、いくつかのマントラです。それは声に出さずとも良い訳で、これを心の中で唱えながら坐をしていると、容易に雑念から離れる事が出来ました。又…それどころか、しばしばある種の感応?が有りました。
あるマントラに感応するというのは、このように自覚が有ることなのですが、どうしてかは分かりません。思い出したので久しぶりに称えようとするなり、感応が…風向きのせいでしょうか?(ちなみにですが、これらのマントラを買った覚えは一切ありません。ただで頂いた道院のお経のダイジェスト版に載っていたのです)
内側で密かに秘教めいたものが行われていて、外側でそれをカモフラージュしているかのような慈善団体の存在…
そのスローガンは、”世界は一家、人類皆兄弟”(覚えていますか?)のようなフレーズ(故・笹川良一さんは長年、同会の会長をされていました)
いかにも、あの結社を彷彿とさせるではありませんか?…という事は出口王仁三郎師はじめ、五井先生も、合気道の植芝先生も、安岡正篤先生もあの関係なのか…知りません!…ただ、どんなものにも表と裏が有るということだけ言うにとどめておきます。
しか―し…あの結社をモデルにしていたという事は充分に考えられることです。
私は、実のところ求修(入会)については、深く考えた訳でも無く、成り行きに任せたようなところが有りました。
道院の籍に入ったものの、実にイイカゲンなもので、一度として所謂信者といった自覚を持ったことがありません。
むしろ一宗教の信者という意識を乗り越えようという気持ちから入ったとも言えるのです。
そして何度か、足を運んで、先輩の同修たちと接しているうち、何となく宗教のようで宗教らしくない(実際に宗教というものを標榜してませんが)一種の様々な精神的、宗教的な幾筋かの流れが相依り、合流する拠点のようなものを見出してもいたのです。
あまり宗教に特有の、あの相対的な観方に着した、捉われた心情を露にする人は見られません。(番頭格のNという人は突然、豹変してすごーくある種のクセを出す人ではありましたが…ただ、こういう人の役目というものも認めなくてはならないでしょう。この人の存在なくして東京の拠点は存続出来なかったかも知れないのですから…)
これには、この多くの会員は、別の団体に所属しながらも、ここに在籍しているという事情も関係しているのでしょう。
このように求修してから東京を離れるまでの2年ほど定期的に参会してましたが、程よい通気性も感じられ、何よりもその場に満ちていた気(これは何人かの人からも同様のことが聞かれました)に浴していたことなど得難い想い出が有ります。
これが数年後メンバーがすっかり変わってからは感じられなくなりました。
本来、宗教を超えた道を伝え、開く機関として出現した団体も相対に着した見解が表れ始めるや通気性を失うに至ります。
道で語られるものは字義に捉われるものでは有りません。壇訓に曰く「道は方無く、体無し(固定したやり方も、形も無い)」
道院では創立以来、フーチなる自動書記の一形式による神霊の教示を伝えてきましたが、これを壇訓と言います。
これには多く、迷信、妄信が付きまとうものです。しかし、これにかかる神仙自体が「これは方便である」と言っているのです。
方便とはその奥にある隠された真理を象徴して表しているものでしょう。それは心象で受け、解する他はないものでしょう。
私が”見えざる導師”というものを意識し始めたのは、求修した頃からで、それから次々と導きらしきものに預かり始めたのです。
それが何ものによるものであるかは、ずっと心象に留められているのは言うまでもありません。
追記…私は何度か昭和54年初頭、意識が遠のくような精神的不安定な状態が、道院の静坐によって沈静に向かったらしい旨のことを書いていますが、書き忘れていたことが有ります。
それは聖号、神呪の存在です。聖号とは道院の主神「至聖先天老祖」の名を称え続ける、念仏や回教のズイクルのような修法であり、神呪とは清め払いとか悪因縁から免れる効果が有るとされるなどの、いくつかのマントラです。それは声に出さずとも良い訳で、これを心の中で唱えながら坐をしていると、容易に雑念から離れる事が出来ました。又…それどころか、しばしばある種の感応?が有りました。
あるマントラに感応するというのは、このように自覚が有ることなのですが、どうしてかは分かりません。思い出したので久しぶりに称えようとするなり、感応が…風向きのせいでしょうか?(ちなみにですが、これらのマントラを買った覚えは一切ありません。ただで頂いた道院のお経のダイジェスト版に載っていたのです)