インドの伝統的宗教では、弟子を言葉を超えたあるハタラキの伝授により、直接経験へと導く導師のことを"サットグル"と呼んでいます。
その存在として有名なのはラマナ.マハルシですが、こういう人たちは残されているその文字化された教えだけに接してみても、その存在と共にした人でなければ、おそらくその真っ中心にあるものは伝わってこないだろうと思います。
私はこれまで人生の教師として影響を受けた人は何人かおり、その方々の存在無しで私の精神的な歩みは考えられなかったとはいえ、生意気かもしれませんが、特に導師として意識していた訳では無いのです。
でも、敢えて一人念頭に浮かぶのは謎の秘教団体、大調和協会の命位(みょうい)様の存在で、この人こそは私が直接会った人たちの中でもサットグル的存在の資質に恵まれた人だったのです。
と言っても、正式に私と師と弟子の関係にあった訳でもなんでもなく、私が勝手にそう思っているだけなんですが...
命位様。ウィキで検索したって出てきませんし、そんな人が存在したことなどほとんどの人は分からないでしょうね。
私の他の教師たちと違って、文章として残っているものはほとんど無く、それに接したとしてもその存在を通して伝わるものを感取するのは困難でしょう。
大調和協会の関係者ならその大御業(おおみわざ)と呼ばれるハタラキの伝達者であり、その存在と相対した時の自己が何とも言えない風に変容されてしまうことなどは、誰もが知っていることです。
しかし、命位様はそのサットグル的存在としてその生を完うしていた訳では無いのです。
ただ協会が伝えるその大御業、大調和世界の成就に生き、死に抜かれたと言ってもいいでしょう。
ここが私が全存在を投げ打ってそれに邁進出来なかったことで、結果的にこの方との関わりにズレが生じた要因ともなったのですが、ほとんどの場合、一対一のその交流の有り様は、私をそちらの方に引っ張るでなしに、私の中に息づいている"我ならぬ我"を目覚ませることに向けられていたのです。これがサットグル的存在と言っている所以なのです。
今でもその交流のことを思い返せば、アリアリとその生きたものーそう、現臨そのものと言ってもいいーを身に覚えずにおれません。
昭和55年春、初めて深く相対した時が、まさに私の人生では極めて忘れ難いものとなったのです。
「あなたの中には、どうしてもこうしても、天地と一つにならなければ居れないあなたが居るんですi」
"この人は私自身でも分からないけど、この息づいてやまない、何ものかのことが分かるんだi 人生でこんな人とお目にかかれるとはi"
この出会い無しには、その数年後の爆発的体験のことも考えられません。
命位様は私のうちに地殻活動が息吹いているのを見ていたのです。
その後も幾度かこういう交流が持たれましたが、いつもそれはこういう感じで始まります。
「今日のあなたはどうなんですか?」
私の中のフォッサマグマが、冷えきらないようにちゃんと見通しているのです。そう、見通されているのです。"お前はどうなんだ?"とあの声なき声の主のように...
「あなた自身の声を聞くまで私は、いつまでもいつまでも待ちますよi」
それでも、命位様はこの私の知らない私自身が、協会が宣べ伝える大調和世界の開示につながることを願っていたのです。
私はこのことに触れざるを得なかったであろう、平成8年春命位様突然の帰天の前に、何としても私の全存在をもって交流せずば居れないものを感じながらも、果たせなかったことを返す返すも残念に思えてなりません。
その存在として有名なのはラマナ.マハルシですが、こういう人たちは残されているその文字化された教えだけに接してみても、その存在と共にした人でなければ、おそらくその真っ中心にあるものは伝わってこないだろうと思います。
私はこれまで人生の教師として影響を受けた人は何人かおり、その方々の存在無しで私の精神的な歩みは考えられなかったとはいえ、生意気かもしれませんが、特に導師として意識していた訳では無いのです。
でも、敢えて一人念頭に浮かぶのは謎の秘教団体、大調和協会の命位(みょうい)様の存在で、この人こそは私が直接会った人たちの中でもサットグル的存在の資質に恵まれた人だったのです。
と言っても、正式に私と師と弟子の関係にあった訳でもなんでもなく、私が勝手にそう思っているだけなんですが...
命位様。ウィキで検索したって出てきませんし、そんな人が存在したことなどほとんどの人は分からないでしょうね。
私の他の教師たちと違って、文章として残っているものはほとんど無く、それに接したとしてもその存在を通して伝わるものを感取するのは困難でしょう。
大調和協会の関係者ならその大御業(おおみわざ)と呼ばれるハタラキの伝達者であり、その存在と相対した時の自己が何とも言えない風に変容されてしまうことなどは、誰もが知っていることです。
しかし、命位様はそのサットグル的存在としてその生を完うしていた訳では無いのです。
ただ協会が伝えるその大御業、大調和世界の成就に生き、死に抜かれたと言ってもいいでしょう。
ここが私が全存在を投げ打ってそれに邁進出来なかったことで、結果的にこの方との関わりにズレが生じた要因ともなったのですが、ほとんどの場合、一対一のその交流の有り様は、私をそちらの方に引っ張るでなしに、私の中に息づいている"我ならぬ我"を目覚ませることに向けられていたのです。これがサットグル的存在と言っている所以なのです。
今でもその交流のことを思い返せば、アリアリとその生きたものーそう、現臨そのものと言ってもいいーを身に覚えずにおれません。
昭和55年春、初めて深く相対した時が、まさに私の人生では極めて忘れ難いものとなったのです。
「あなたの中には、どうしてもこうしても、天地と一つにならなければ居れないあなたが居るんですi」
"この人は私自身でも分からないけど、この息づいてやまない、何ものかのことが分かるんだi 人生でこんな人とお目にかかれるとはi"
この出会い無しには、その数年後の爆発的体験のことも考えられません。
命位様は私のうちに地殻活動が息吹いているのを見ていたのです。
その後も幾度かこういう交流が持たれましたが、いつもそれはこういう感じで始まります。
「今日のあなたはどうなんですか?」
私の中のフォッサマグマが、冷えきらないようにちゃんと見通しているのです。そう、見通されているのです。"お前はどうなんだ?"とあの声なき声の主のように...
「あなた自身の声を聞くまで私は、いつまでもいつまでも待ちますよi」
それでも、命位様はこの私の知らない私自身が、協会が宣べ伝える大調和世界の開示につながることを願っていたのです。
私はこのことに触れざるを得なかったであろう、平成8年春命位様突然の帰天の前に、何としても私の全存在をもって交流せずば居れないものを感じながらも、果たせなかったことを返す返すも残念に思えてなりません。