人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

心掛けから始まる

2019-05-06 11:40:48 | 祈りと瞑想
初めて来訪された方もおられるでしょうが、このブログはハッキリ言いまして一般向きではありません。
言わば私の個人的な覚え書きのようなことを綴っているに過ぎないのです。
スピ的なものを中心に触れている訳ですが、例えばこのブログではお馴染み?のフレーズ..."意識を神的なものに向ければ、向いちゃったら思いを超えて、そうしたものにつながる"なーんてことが...直ちに読者に伝わるなんてことは、私自身は思ってなどいません。(中にはおられるかも分からないが...)
もし、"それで私つながっちゃたんですi"なんていう人が現れたりしたら、それはそれでコワイことです。
このことに関しては、書いている通りのものでして、種も仕掛けもありません。
"そんなアホみたいなことでそんなことになる訳ないだろi"と言われるムキもおられるかもしれませんが、ホントなんだから仕方ありません。
不親切に思われるかもしれませんが、"どうやって"という手順、メソッドなど何も提示されてませんし、その気もないのです。
そういうものを書いたら読者を欺くことにもなりかねません。私自身がそういうものに依拠している訳じゃないので...
ただ...意識が自ずから向かう...それだけ。
これは私の信念であるとか、力、メソッド...といったものに依らない、そこに臨んでくるもの...現臨自体によって成さしめられる、ということを言っているのです。
このものがあるから、意識が向かわせられる、と言ってもいいのです。
と言っても、突然そうなるということも普通は無いでしょう。多分...(私の場合そもそもの端緒は突然だったですよi)
これは意識と現臨とにある種の"回路、パイプ"みたいなものが形成されているということなのです。
言い換えると、何かの"メモリー"みたいなものです。"ぴっ"とやったら自動的に作動するみたいな...これを単なる思いの記憶と区別して、"身に覚える"という風に言っています。
これは私の内部に"原体験"のことが記憶されている、ということであり、それは今生にあったこととは限らず、"未生以前"からのものという方が大きいようです。
で...宗教、スピでは思い、思念、マインドを超える、ということが重要であることは論を待たないことですが、この回路がつながるということは、超えられているということに他なりません。
前述したように、この手順、メソッドみたいなことは申し上げられませんが、私自身ずっと心掛けてきたことはあります。
それは精神を特定の教え、修行への固執など、思い、思念で固めないこと、閉ざさないこと...裏返せば思いを超えたものに開いておく、ということです。
そして、自分の奥の方で息づいているものを感じてみる...意識してみる...これは形、言葉を超えた祈りといったものにならざるを得ません。(何の神仏に帰依するか、あるいは特に対象があるとか無いとかは、人それぞれの機根によるでしょう)
これはその気の無い人には何を言ってもムダですi...その気のある人には全く自明なことだろう...
この心掛けこそが、もう既に"意識が向いて..."ということを言い表しているように感じるでしょうか?...心掛けから始まる...
なーんにも、特別なことなどありゃしません。
宗教、スピには特別な教え、メソッドで溢れかえっています。そーゆーのが一般的なんですi
それに自分を合わせて、従おうとしたり、ホントに合っているのか、どうか...ホントにごくろうさんなことです。
私はそーゆーものに飽き飽きしているもので、どういう方が読まれるのか知りませんが、あるいは一般的でない人の目にとまることもあるのかもしれません。
個人的な覚え書きみたいなものに過ぎず、多分参考の域を出ないものでしょう。
私が声を大にして言いたいことは、"あなたの真実はあなたの神に聞けi" ということですi
独りよがりと言われるかも分かりませんが、私自身は一般向き、特別な何かでない、万人に向けて書いているつもりなのです。
コメント
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