人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

三つのLと三種の神器

2022-04-06 10:16:21 | 求道、探究
今日は私にとって精神的な道を歩む上での、言わば三種の神器のような、その指針になるアルファベットの頭文字がLで始まる三つの言葉を紹介したいと思います。
どっちが先か分からないですが、確か手島先生(こちらは四つでしたが...)、小池先生がそれぞれ似たようなことを述べられておりました。
予め言いますと、この三つの言葉は、いずれも抽象的に語られるものでなく、具体的に感じられるものなのです。
という訳で...まず、最初は”Light”。
光ですね。私がしばしば”照明”と呼んでいる、思いを超えて光に照らされるような感じのものです。
見られていると言ってもいい...こっちが見るとか、光を当てるとか言うことじゃありません。
自分から自分を見ることも、照らすことも出来ません。だからこれを器に例えると”鏡“とみることも出来るでしょう。
次は、”Love“。
愛。これほど抽象的に、又安っぽく語られるもので、こんなにも具体的に、それがあるのか、無いのかテキメンに示されるものはあるでしょうか?!
愛、愛そのもの...それは愛でないものとは相容れません。この世ではあまりにも、愛でないものを愛と呼んでいる...それは愛そのものを感じられなくなったからでしょう。
ハートの真実。何が真実で何が虚偽か見分けるものは、真理なのかも分かりません。しかし、理、知性に訴えるものは、しばしば欺くのではないでしょうか?
真理を知ったとしても、なおそこに幸福が見い出されないとしたら、それは愛に届いていない、それと切り離されているということではないでしょうか?
三種の神器の剣は、武器というよりも、真偽を見分けるタチ、立て分けるものです。
それは愛なるものとは、結びつかないかもしれません。
しかし、本当にそれを見分けるものは愛、と感じずにおれません。
そして、三つめは“Life”。
生命。具体的に感じられるということは、それは生きているということに他なりません。
他人の言葉をただなぞるだけで、使うほど出涸らしのように、中身が無くなる...そこに命はありません。
何度、それに接しても、同じことの繰り返しではない...
躍動、鼓動...これが具体的に感じられないならば、それは生きたものではない。
魂という...それは全く持って、この私自身にその躍動を覚えるということではないか?!
魂とは玉で表されます。それは回るものであり、生成、成長するもの...正しく生命の象徴でしょう。
そう、それは光、愛と切り離されるものではありません。
この三つは三一、いや全一というものをそのように見立てたものと言っていいでしょう。
言うまでもなく、これはすべてあの神的な、あの御方のことを伝えているのです!
手島先生は、主なるもの、”Lord“を加えて、“四つのLで生き抜こう!”、と講話で述べられていました。
私は、この三つのLは三種の神器みたいなものかな、とか思っているうち、全くそれに対応しているものを感じた次第なのでした。
コメント
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