神は全知全能、この世のすべてを司っている、良いことも悪いことも...
だから、自分の人生についても、世の中のことでも悪いことばかり起これば、それは神がそうしているに違いない、あるいは神も仏も無い、などと思ったりする人も多いかもしれません。
これは、ほとんど小さい頃から刷り込まれていることと言っていいでしょう。
私もそういうものを全然感じていない訳ではありませんが、昔からそれ以上に神、神的なものに直接触れよう、感じようとする思いの方が強かったのです。
直接関わろうとするということは、そういう固定観念、先入観から自由になるということですが、神が全知全能なのか、この世のすべてを支配しているか、どうかは知らないと言う他ありません。
神が一体どういうものかも分からないのです。
それは、(かなり格下げ?のようですが)守護霊のような存在なのか?...そういう守られている感じは確かにあります。
それは又祖先の霊なのか?...そういうある種の時間を超えたつながりというものを強烈に感じたこともあります。
それは、人格を持っているのか?、あるとして人間人格とどういう関係があるのか?...いや、そりゃ、全くもって私自身のことに関わることではないのか?...そう、それは真我のことなのか?
いや、もうあるある!...みんなそういうものを感じるものばかしなのです。
要するに、何もかもという感じです。といって、それらは皆切り離されたもののようには感じられません。“これっきゃない!“もののように、一なるものに集められたもののようでもあります。
で...神とは何なのか?
それは...分かりません!!
分からなくていいのです!...分からないから神なのです。こんな神った言葉は無い!
神のことを分かって信じるのでしょうか?...ホント~に分かるの?、誰かがそう言ってるだけじゃないの?
私は分からなくてもいい...信じなくてもいいです。
何か分からなくても、そこに愛、平安、リアリティがある!...これは直接感じることなのです!...だから、分かる必要がありません。得たいの知れないものに対する不安とか、バチみたいなのが当たる恐れなど何も無いから...
そういうものを感じるのなら、それは私の知っている神ではありません!
神は人を救うのか?...救うのか、どうかは分かりません。
でも、私は既に言っています。愛、平安、リアリティがある!...これを欠いた救いなどどこにあるでしょうか?!
神を直接感じることが救いと言ってもいいのです。
でも、それは私の主観として片付けられても仕方ないものには違いありません。
それはすべての救いというものではないでしょう。
だから、こうして書いているんじゃありませんか!、分かりきったことです!
私がこうして好き勝手に書いているように、どう読まれ、感じられるかは自由ですが...
だから、自分の人生についても、世の中のことでも悪いことばかり起これば、それは神がそうしているに違いない、あるいは神も仏も無い、などと思ったりする人も多いかもしれません。
これは、ほとんど小さい頃から刷り込まれていることと言っていいでしょう。
私もそういうものを全然感じていない訳ではありませんが、昔からそれ以上に神、神的なものに直接触れよう、感じようとする思いの方が強かったのです。
直接関わろうとするということは、そういう固定観念、先入観から自由になるということですが、神が全知全能なのか、この世のすべてを支配しているか、どうかは知らないと言う他ありません。
神が一体どういうものかも分からないのです。
それは、(かなり格下げ?のようですが)守護霊のような存在なのか?...そういう守られている感じは確かにあります。
それは又祖先の霊なのか?...そういうある種の時間を超えたつながりというものを強烈に感じたこともあります。
それは、人格を持っているのか?、あるとして人間人格とどういう関係があるのか?...いや、そりゃ、全くもって私自身のことに関わることではないのか?...そう、それは真我のことなのか?
いや、もうあるある!...みんなそういうものを感じるものばかしなのです。
要するに、何もかもという感じです。といって、それらは皆切り離されたもののようには感じられません。“これっきゃない!“もののように、一なるものに集められたもののようでもあります。
で...神とは何なのか?
それは...分かりません!!
分からなくていいのです!...分からないから神なのです。こんな神った言葉は無い!
神のことを分かって信じるのでしょうか?...ホント~に分かるの?、誰かがそう言ってるだけじゃないの?
私は分からなくてもいい...信じなくてもいいです。
何か分からなくても、そこに愛、平安、リアリティがある!...これは直接感じることなのです!...だから、分かる必要がありません。得たいの知れないものに対する不安とか、バチみたいなのが当たる恐れなど何も無いから...
そういうものを感じるのなら、それは私の知っている神ではありません!
神は人を救うのか?...救うのか、どうかは分かりません。
でも、私は既に言っています。愛、平安、リアリティがある!...これを欠いた救いなどどこにあるでしょうか?!
神を直接感じることが救いと言ってもいいのです。
でも、それは私の主観として片付けられても仕方ないものには違いありません。
それはすべての救いというものではないでしょう。
だから、こうして書いているんじゃありませんか!、分かりきったことです!
私がこうして好き勝手に書いているように、どう読まれ、感じられるかは自由ですが...