人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

現臨と現実生活

2022-04-27 10:14:37 | 現臨、ハタラキ
今、私は”現臨にある”状態になっています。
度々触れていますが、この状態は、思考機能や為そうとする力は後退しているとは言え、失うまでには至っていない段階のものでして、だからこうして書いていられる次第なのです。
これから書くことを理解するには、私が“神の手がかかる”と言っている、それらを失う状態とは区別する必要があります。この状態にあっては日常生活を送るのは、ほぼ不可能と言っていいでしょう。
一方、現臨にある状態、現臨感覚は、歩いていても、動画を観ていても、読書(この時が特に多い!)をしていても感じられるのです。
ただ、パニくっている時とか、ケンカとかHなこととかで、コーフンしてる時にはそれは感じられませんが、失う訳じゃありません。
失った時は、テキメンに感じられます。一番最近は三年程前、肺炎みたいな症状に見舞われた時でした。そうですねえ、あん時は、まるで私の当たり前の日常が失われたみたいだったですよ!
エエッ!...もしかして私は、この何かが来ては、去ってゆく、移ろいゆく現実生活にあって、驚くべきことを言っているんでしょうか?
日常、現実...現臨にある状態は、日常茶飯事...飯を食ってたってそれは在る!...いやあ、あのですね、現臨の無い現実生活など無いと言ってもいいくらいなのですよ!
それは、私自身の現実、実存在らしめているものなのだから...といって、うまく説明出来ないのですが...ダラダラと、ヒマを持て余している現実よりかは、はるかに現実感覚を覚えているのは確かなことです。(余分な時間は沢山あってもそんなヒマは無い!)
このようにこの感覚は、現実生活と一枚になっているのですが、そうです、それは私がそのように霊的に進化したからであって...そおじゃないんですよ!
これは、どんなに私がとち狂ってようと、おバカなことをしていようと私の思いを超えたところにそのものが現れる通路、回路が開かれている、ということなのです。
私って人間は、昔からそんなに変わりゃあしない!...私からは変われない!...土台が変わった別の私がお目見えしない限り...
私がこういう風に言うのは、そのものに”手をかける“ことをしたくないからです。
私の思念、意志力で、そのものの実体はどうだろう、こうだろうと分かったように決めつけたり、コントロール出来るように錯覚しないためです!
理由は、分かり切ったことです!...そのものを失わないため!
これは、あの御方自らの戒めでもあります。
それでも、このバカバカしい現実生活にあって、ある程度そのものに働きかけることは可能です。
それは、祈ることと言ってもいいでしょう。
祈りを通して、あの御方との密なつながりを覚えることが出来ます。
それによってあの回路が開かれたのに他ならないのだから...
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