人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

意識の動きにウソは無い!

2022-04-23 09:33:12 | 意識、照明
意識が向くとか向いちゃうとか、意識がおのずと動くということをいつも書いていますが、これはただ心が何かの対象に向かうことを言っているのではありません。
と言って、それと全く無関係という訳でも無いのですが...
単純に言えば、表層で思っていることと、もっと深い意識の次元の違いと言うことになるでしょう。
例えば、自分にある信条などがあるとして、それに合わせようと心を傾けたりする...しかし、どうも何かが滞って、あるいは、意識がある中心に集まる感じがしなくて、散漫になるなどで、す~っとそっちに通って行かないことがあったりします。
自然とそうならないものが感じられる...これが意識の動きの消息を伝えるものに他ならないのですが、表層と深層とにズレが生じたりすることがあるものです。
その理由は、その信条が現在の自分とマッチしなくなったことに依る場合が多いのでしょうが、信条~信じなければならないという思いが強く、固執したりすると中々そのことに気が付かないで、いつも心のどこかにす~っとしない感じを抱えてたりしてしまうものです。
心は容易に本心を欺くものです。しかし、意識の動きにウソはありません!
そしてそれは、信仰だとか思想だとか、あらゆる相対的なものを超えたものなのです。
意識の動きに合わせてたらラク~になれるのに!
このように、表層の思いというのは、いつも変わったりするものですが、もっと根本的な意識の動きはいつもおのずとそうなるのです!
要するに思っていることと、意識に感じていることが合っていたらいいのです!
でも、自分で自分の心の奥を知ることは容易ではありませんね。知ろう、知ろうと思っているだけだったりして。(笑)
そこで祈りというものがあるのです。
最初は神的なものを対象にするということはあります。考えている自分が祈るということもあるでしょう。
しかし、いつの間にか、おのずと心が向いてしまうということがあります!
これは、もう意識が向いちゃうと言っていることと同じなのですが...
意識が向くとか、ある対象に向けられるようなことを言ってますが、正確な表現でなく、そういうものはあるようで無いのです。それは見えない、捉えられない現臨だったりするから...
向くも何も、元々根付いているのでしょう。
何に?...多分、私の知らない私か、私自身の神でしょう...。
コメント (4)
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