人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

みたまのふゆ

2022-04-17 10:03:02 | スピリチュアル
「我が砕けて汝が生きる。心が裂かれてみ霊が宿る。聖霊にあって聖言が生命になった。...
この聖愛のキリストの霊性を陽光の如く、大気の如く、清水の如く、受霊(うけひ)する現実においてはじめて質的に受けとられ得る」(小池辰雄「キリストの霊性」)
「北斗の星の気を受けてみたま振りをば起こすべし 直霊の神霊(みたま)の神座立てば宗教宗派の争いも夢と消え、世界人類元の道へと帰るなり」(神聖神言録第103号)
「大命は 今ぞ降れり受霊(うけひ)なせ 神子の目覚めに世は新生す」(同 101号)

昭和54年の今頃、立て続けに魂がいやが上にも高揚させられるような文章に接したのでした。
特に惹きつけられたのは、“みたま”、“うけひ”という言葉でした。
みたま...身魂、御霊...それは、神道などで言われる、人それぞれに授けられているとされる霊なる命のことですね。神直々の分け御霊であると、これを直霊(なおひ)と言います。
又、キリスト教では、聖霊のことをみたまと言ったりします。
どちらも、与えられる、賜るものということ、わが内に賜っているものであり、我を超えて賜るものだ、ということです。
つまり、そこには二重に霊なる命を賜るという意味が示唆されているのです。
霊なるものは、超越的にして、内在している...
この二つのみたまの消息は、両義があると言う他ありません。分けることが出来ない!
その言葉に触れただけで、もうじっとしてなどおれない!
魂が高揚してこざるを得ない!...このことがそれを物語っているではありませんか?!
ここで肝心なことは、人間は本来神の子、神と一つのもの、ということを信仰題目のように、信じ込んでいても何にもならないということです。
受霊...聖霊のバプテスマ...現実に神の恩寵の力に与らなければならないということです。
古来わが国では、これを“みたまのふゆ”と呼んで来ました。
みたまと言うことが賜物、霊の賜物なのです!
そこに宗教宗派の垣根などあろうはずがありません!
私のすべてに関わるものなのだから...
又、みたまの現実に目覚めれば、そういうものは夢と消えるでしょう。
小池先生の詩文も、但馬の地から発せられた”知られざる神示“も、私にとり今も色褪せること無く、“みたまのかて”として愛読しているものです。
思えば、あの時私の道の指標は定められていたことを覚えずにおれません!...
コメント
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