海の上にはどす黒い雲が低く垂れ込めているが、遥か前方に見え始めた函館
の上空は晴れているようで、帯状に広がる町並みが白く輝いて見える。

木古内から函館までは特急でおよそ45分、津軽海峡を見ながら、函館湾に沿っ
て進み、夕方7時少し前、函館に到着した。

昭和63年に連絡船が廃止され、平成15年には現在の5代目駅舎ができ、函館駅
は近代的な駅に大きく変貌していた。
青函連絡船で初めてこの地に渡ったのは、今から半世紀近くも前のこと。
直近でも、この地を訪れてからもう十数年以上も経っている。
明るくて開放的な駅は、懐かしむよりも、むしろ初めて訪れた駅のような新鮮な驚
きが感じられる。

駅前に宿を取った翌日、少し早起きをして、300店ほどの店がひしめき合っている
朝市を訪ねてみる。
早朝にも関わらず、沢山の観光客でごった返し、客を呼び込む商店主の声に、品
定めをする観光客の声が雑じりあい活気が溢れていた。

しかしその声は、中国や韓国語が多いようで、そんな中に欧米人も混じり、日本
人観光客を含め国際色も豊かである。最近では特に台湾からの観光客が多いらしい。
市場の中には、どんぶり横丁も有り、ホテルで朝食を済ませてきたことを悔やま
せた。

市場の喧騒を離れ港の方に歩いて行くと、かつて青函連絡船で活躍した摩周丸
が係留されている。初めて函館を訪れた時は確か、津軽丸に乗ってやってきた。
しかし帰りに乗った連絡船は何であったのか、記録も記憶も残ってはいない。
今となっては、摩周丸であって欲しいと、この船を見上げながら、ただ懐かしむば
かりである。(続)


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の上空は晴れているようで、帯状に広がる町並みが白く輝いて見える。

木古内から函館までは特急でおよそ45分、津軽海峡を見ながら、函館湾に沿っ
て進み、夕方7時少し前、函館に到着した。

昭和63年に連絡船が廃止され、平成15年には現在の5代目駅舎ができ、函館駅
は近代的な駅に大きく変貌していた。
青函連絡船で初めてこの地に渡ったのは、今から半世紀近くも前のこと。
直近でも、この地を訪れてからもう十数年以上も経っている。
明るくて開放的な駅は、懐かしむよりも、むしろ初めて訪れた駅のような新鮮な驚
きが感じられる。

駅前に宿を取った翌日、少し早起きをして、300店ほどの店がひしめき合っている
朝市を訪ねてみる。
早朝にも関わらず、沢山の観光客でごった返し、客を呼び込む商店主の声に、品
定めをする観光客の声が雑じりあい活気が溢れていた。

しかしその声は、中国や韓国語が多いようで、そんな中に欧米人も混じり、日本
人観光客を含め国際色も豊かである。最近では特に台湾からの観光客が多いらしい。
市場の中には、どんぶり横丁も有り、ホテルで朝食を済ませてきたことを悔やま
せた。

市場の喧騒を離れ港の方に歩いて行くと、かつて青函連絡船で活躍した摩周丸
が係留されている。初めて函館を訪れた時は確か、津軽丸に乗ってやってきた。
しかし帰りに乗った連絡船は何であったのか、記録も記憶も残ってはいない。
今となっては、摩周丸であって欲しいと、この船を見上げながら、ただ懐かしむば
かりである。(続)



