知和を過ぎると加茂川の流れはますます狭くなり、両側から急峻な山々が迫っ
てくる。因美線はこのあたりから、厳しい25パーミルの上りが続き、因幡と美作国
境の物見トンネル(3075m)を目指す。

このトンネルは地質の大部分が固い花崗岩であったことが幸いし、工事は順調
に進み昭和7年に開通した。これにより因美南線と因美北線として建設が進められ
ていた因美線が全通したことになる。

そのトンネルの手前、雪深い地にあるのが美作河井駅で有る。
切妻の赤いトタン屋根、外壁は下見板張りで、軒下の部分が白い漆喰壁はこの
路線で見られる他の駅舎の造りとほぼ同じである。

開通当時の駅舎らしく鄙びた佇まいを見せているが、窓枠がサッシに変えられる
など手が加えられていることが歴史的な価値を下げているようだ。
内部の出札窓口や手荷物のカウンターなどの造りは、重厚感のあるしっかりとした
木組みで使い込まれ風格を出しているだけに残念だ。

ここは立派な島式のホームを持っているから、かつては島式二線の駅と言うこと
になる。現在使われているのは山側の一線のみで、片側の線路や、かつての留
置線は今では本線から切り離され使われていない。

山裾の少し高台にある駅の構内は、この路線の駅にしては驚くほど広い。
この広いヤードは、かつて木材などの積みだしで大いににぎわった名残であろう。
今も構内には木材が積み上げられ、その横で作業が行われている。
そんな姿を目にすると当時の繁栄ぶりが目に浮かぶようだ。
賑わいの消えた駅の所々に忘れられた赤茶けたレール、哀れで可哀相で、取り
残された寂しさを感じないわけにはいかない。(続)

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てくる。因美線はこのあたりから、厳しい25パーミルの上りが続き、因幡と美作国
境の物見トンネル(3075m)を目指す。

このトンネルは地質の大部分が固い花崗岩であったことが幸いし、工事は順調
に進み昭和7年に開通した。これにより因美南線と因美北線として建設が進められ
ていた因美線が全通したことになる。

そのトンネルの手前、雪深い地にあるのが美作河井駅で有る。
切妻の赤いトタン屋根、外壁は下見板張りで、軒下の部分が白い漆喰壁はこの
路線で見られる他の駅舎の造りとほぼ同じである。

開通当時の駅舎らしく鄙びた佇まいを見せているが、窓枠がサッシに変えられる
など手が加えられていることが歴史的な価値を下げているようだ。
内部の出札窓口や手荷物のカウンターなどの造りは、重厚感のあるしっかりとした
木組みで使い込まれ風格を出しているだけに残念だ。

ここは立派な島式のホームを持っているから、かつては島式二線の駅と言うこと
になる。現在使われているのは山側の一線のみで、片側の線路や、かつての留
置線は今では本線から切り離され使われていない。

山裾の少し高台にある駅の構内は、この路線の駅にしては驚くほど広い。
この広いヤードは、かつて木材などの積みだしで大いににぎわった名残であろう。
今も構内には木材が積み上げられ、その横で作業が行われている。
そんな姿を目にすると当時の繁栄ぶりが目に浮かぶようだ。
賑わいの消えた駅の所々に忘れられた赤茶けたレール、哀れで可哀相で、取り
残された寂しさを感じないわけにはいかない。(続)

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