簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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会津のシンボル・鶴ヶ城

2017-11-06 | Weblog
 会津のシンボル・鶴ヶ城は古くは「会津城」とも呼ばれたお城である。
公式には「若松城」と言うが、これは当時の文部省が所在地を登録名にする慣例
が有ったからだ。今日「会津若松城」などと呼ばれることもあるが、一般的には「会
津鶴ヶ城」として知られている。



 市街地と隔てる外堀や、内堀などが残されているが、高さ的には余り変わらない。
本丸に向かうにつれ、辺り周辺がやや高くなる程度の平山に建てられた城である。



 幕末の戊辰戦争では、一か月もの籠城に耐え砲弾に晒されても落ちなかったが
大きく損壊し、その後政府の命令により取り壊された。



 市民のシンボルとも言える天守閣が再建されたのは昭和40年だと言う。
近年天守閣の屋根が赤瓦に葺き替えられ、明治以前の姿に戻されている。



 七重の天守閣は地上五階地下二階の鉄筋造りで、内部は一階から四階までが
博物館として公開されている。
高さ36mの最上階は展望室になっていて、ここからは城下の町並みと、その背後に
聳え立つ磐梯山が一望の筈だが、生憎この日は雲の中であった。



 城内には茶室・麟閣もあり、公開されている。
また一角には有名な「荒城の月」の歌碑も建てられている。
作詞した土井晩翠が、仙台・青葉城と鶴ヶ城をモチーフとしたことから建てられた。
石碑に刻まれた歌詞は、氏の直筆と言う。





 この時期場内の木々は色付き、紅葉のシーズンを迎えていた。
市内でも人気の観光地とあって、ガイドに引率された多くの観光客やカメラを抱え撮
影に忙しい人々で随分な賑わいを見せていた。(続)

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