簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

一里山(東海道歩き旅・三河の国)

2021-11-03 | Weblog


 「両方の並松見物なり 二川までの間家無し」

 このように伝わる当地を、一里山と言った。
県道173号線を暫く歩き、その先で国道1号線と合流すると、一里山東
交差点付近である。
 かつて街道の左右は、広重が描く画の通り人家とて無い「猿ヶ馬場」
と呼ばれる小松の生えるばかりの原山で、見事な松の並木が続いていた
らしい。



 この日は晩春とは言え気温が上がり、全国300以上の観測地点で夏日
を記録した、と夕方のニュースが伝えていた。
こんな日のアスファルト道は、下からの照り返しもあり真に暑い。
この先は今でも人家の乏しい通りで、何よりも日陰がないのが辛い。
こんな夏ならの強い日差しを、冬なら冷たい北風を防いで、旅人を守る
役割を担っていたのがこの街道の松並木である。



 しかし人々が歩かなくなった今日では不要の長物と化し、恐らく国道
の開通か拡幅工事で、全て伐採されたのであろう。
広々とした鋪装道に変った街道からは、昔からの松は完全に姿を消し一
本の生き残りもなくなってしまった。



 一里山に、「宿場制定400年記念七本松植樹」の案内板が立っていた。
その傍らには何本かの松が見られたが、その復興の情熱も既に冷めてし
まったのか、生い茂った蔓草や雑草がその記念碑さえを覆い隠そうとし
ていた。後々にこうした植樹を経て甦った折角の松なのに、返す返すも
この姿は残念である。



暫く進むとこんもりとした一里山八幡宮の森の中に一里塚が残されていた。
東西11m、南北14m、高さ3m、旧東海道の面影を残す堂々たる遺構だ。
この先、ここからしばらくは国道に付けられた歩道を歩く事になる。(続)



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