簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

二川宿(東海道歩き旅・三河の国)

2021-11-08 | Weblog
 目標としていた新幹線の高架橋がようやく右手に近づいて来た。
何の工場だか知らないが、シンフォニアテクノロジーと言う会社の前で、
左にカーブする国道1号線を離れ、右に折れる。



 新幹線高架下の暗いトンネルを潜り、その先で梅田川に架かる筋違橋
を渡る。
道なりに東海道線の踏切を越えた所で直ぐに左折、線路に沿って進む。
やがて左程広くはない道の両側に、民家の建ち並ぶ町並が見えてくる。
ここが、二川宿の東の入口に当る場所である。



 東海道33番目の二川宿は、本陣と脇本陣が各1軒、旅籠は38軒、家数
300軒で、人口は1,400人余と言うから、さほど大きな宿場ではない。
当初は二川村と隣の大岩村の二ケ村協働で宿業務を行っていたらしいが、
その後に当地に移転して二川が主となり、大岩は加宿とされている。



 この地は昔から宿駅業務以外さしたる産業もなく、住民の殆どが農業
の従事者であったと言う。
その為賑わいは街道筋に限られ、その外側には田畑が広がっていた。
特に山側の北側一帯には、多くの神社や寺院が配されていたらしい。



 宿場の入口の町屋の前に、一里塚跡を示す石碑が、コンクリート床に
建てられていた。
その塚の前の建物は、「二川宿案内所」の看板を掲げている。
 この日は休館日らしく、生憎入口の戸を閉ざしていたが、二川宿まち
づくりの会の会員が運営する宿場町のPR活動の拠点だと言う。



 元々は、「川口や」という屋号の旅籠らしい。
今の建物は大正期のもと言うが、折角の建物も、車庫が造られ、アルミ
戸や戸袋などに大きく手が加えられている。
生活もあろうが、その歴史的価値を下げているのが残念だ。(続)



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