簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

整備された旧街道(東海道歩き旅・三河の国)

2021-11-24 | Weblog


 戦災を受けた豊橋市は、戦後になって都市計画により市内が整備され、
新たな町並が再構築された。
道路は広げられ、区画は整然と整理され、直線的な交差点が町中の至る
所に出現した。

 その為、戦災を受けたとは言え、旧街道の痕跡は悉く消滅し、昔を偲
ぶ物は何も無くなってしまった。
従って市内を通り抜ける道は、旧街道と言うよりも新道に近いものだ。



 鍛冶町を抜けると曲尺手町で、京へは52里と書かれている。
道路の緑地に、史跡曲尺手門の石碑が立てられている。
地名は残されているが、曲尺手の痕跡は道路が広すぎて良く解らない。



 昔は丁度この辺りに曲尺手が有り、吉田城の曲尺手門があったらしい。
当時は、街道のすぐ北側まで吉田城が迫っていたが、今はかなり後退し
一帯は「吉田城址・豊橋公園」となっている。
公園までは距離も有り、ビルも多く、賑やかな町並が形成されていて、
街道から城を見ることは出来ない。



 更にその先の呉服町を抜けると、宿場の中心の札木町で、お城の大手
門が近かった。その先で上伝馬町を抜けるが、この辺りに西の惣門(宿
場の西口)があったらしい。
更に湊町を抜け、豊川に架かる大橋を渡って次の宿場に向かう事になる。



 ここまでの道中には問屋場跡や高札場跡、曲尺手跡、本陣跡等を示す
サインは有るものの、その痕跡は何も残されてはいない。
「東海道」との道路標識がなければ、ただの町中の道に過ぎず、都市化
が進んだ旧宿場町は、街道歩きにはつまらない。
唯一の慰めは、まだまだ古を彷彿させる地名が残されている事だ。(続)





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