「此附近露國皇太子遭難之地」
旧東海道沿い、中央二丁目交差点の角に、所謂「大津事件」の碑が立っ
ている。うっかりしていると、見過ごしてしまうほど目立たない石碑で
あるが、歴史教科書で習った記憶がある重大な事件発生場所を示す碑だ。
事件は明治24(1891)年、大津を遊覧中のロシア皇太子ニコライに、
警備中の巡査・津田三蔵がサーベルで斬りつけて発生した。
大国ロシアの次期皇帝となる人物に怪我を負わせ、同国から国際問題
として圧力のかかるのを恐れる明治政府は、津田三蔵を大逆罪で死刑に
するよう司法に迫った。
問題は、政府と司法との抗争にまで発展したが、時の大審院長の児島
惟謙は、それを拒み刑法どおり無期徒刑とし、最後まで司法権の独立を
貫いた、と後に賞賛されることになった。
背景は色々取り沙汰されているが、津田は裁判で「愛国の情、忍ぶこ
と能わざるに至りたるより、害を加え奉りしものなり」と述べたと伝え
られている。
当時ロシアは全世界の6分の1の領土を有し、世界最強の陸軍を持ち、
更にシベリア鉄道の建設によりアジアへの進出をはかっていると見られ
ていた。こうした中、今回の来日では各地を探り、日本侵略の為の下調
だとの噂が流れ、日本にとって非常に大きな脅威となる国との認識が背
景には有ったと言われている。
事件碑を過ぎると京町で、この辺りには、嘗ての旅籠を思わすような
連子格子の町屋が幾らか残されている。
京町の西の外れが「札の辻」で、大津宿の中心的な場所である。
道路脇の片隅に、「大津市道路元標」がある。
ここは北国街道の追分けでもあり、東海道はこの辻を左に曲がる。(続)
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