『ちやうど梅雨のころであつた。(略)その雨の中を私は、漁師町とも港町とも
つかぬ淋しい檐の低い町並をあるき、諸國商人定宿清水屋とかいた小さな軒燈をみ
つけてはいつていつた。清水といふのはその淋しい町並みの名であつた。
戸数、四五百、人口にして二三千もあるだらうか。淋しいそんな町に(略)
お四國まゐりの遍路をとめる宿であつた。』
(田宮虎彦集「足摺岬」 昭和27年河出書房より原文のまま)
現在の土佐清水市は、ほとんどが「足摺宇和海国立公園」の中に属している。
虎彦が小説「足摺岬」の中で書いた町は、今では世帯数が8,000、人口は16,000人
余りを有する水産業の町に成っている。
そんな町並みをバスの中から眺めていた。
民宿「旅路」に泊まった折、39番に向かうルートが話題に成った。
ここから延光寺に至るルートは、幾つも有る。
当初は、西海岸を周り、下益野から646メートルの今ノ山峠を越えて、三原村に至る
33キロ余りのルートを考えていた。
同じ道をまた引き返す東海岸の打ち戻るルートでは詰まらない、どうせ歩くなら知ら
ない道が良いだろう。
計画の折から、厳しい山道の認識は有ったが、西海岸の魅力も捨てがたく、特に
ジョン万次郎の中ノ浜や清水の町に興味も有ったのでこのルートに決めていたのだ。
しかし、どうも評判は芳しくない。
誰もが「峠越えが大変で、厳しいから止めた方が良い」と言う。
ここは素直に忠言に従った方が良さそうだ。
そんなことから、同じコースを歩くのも詰まらないので、この間はバスで行こうと言う
ことになった。(続)
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つかぬ淋しい檐の低い町並をあるき、諸國商人定宿清水屋とかいた小さな軒燈をみ
つけてはいつていつた。清水といふのはその淋しい町並みの名であつた。
戸数、四五百、人口にして二三千もあるだらうか。淋しいそんな町に(略)
お四國まゐりの遍路をとめる宿であつた。』
(田宮虎彦集「足摺岬」 昭和27年河出書房より原文のまま)
現在の土佐清水市は、ほとんどが「足摺宇和海国立公園」の中に属している。
虎彦が小説「足摺岬」の中で書いた町は、今では世帯数が8,000、人口は16,000人
余りを有する水産業の町に成っている。
そんな町並みをバスの中から眺めていた。
民宿「旅路」に泊まった折、39番に向かうルートが話題に成った。
ここから延光寺に至るルートは、幾つも有る。
当初は、西海岸を周り、下益野から646メートルの今ノ山峠を越えて、三原村に至る
33キロ余りのルートを考えていた。
同じ道をまた引き返す東海岸の打ち戻るルートでは詰まらない、どうせ歩くなら知ら
ない道が良いだろう。
計画の折から、厳しい山道の認識は有ったが、西海岸の魅力も捨てがたく、特に
ジョン万次郎の中ノ浜や清水の町に興味も有ったのでこのルートに決めていたのだ。
しかし、どうも評判は芳しくない。
誰もが「峠越えが大変で、厳しいから止めた方が良い」と言う。
ここは素直に忠言に従った方が良さそうだ。
そんなことから、同じコースを歩くのも詰まらないので、この間はバスで行こうと言う
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