簾 満月「バスの助手席」

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伊勢亀山藩(東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-07-05 | Weblog


 亀山宿は、伊勢亀山藩六万石の城下町である。
戦国時代は信長・秀吉に仕えた関氏が領し、その後岡本氏が入城した。
関ヶ原の合戦以降は、東海道の交通の要衝とされ、代々幕府直轄の城持
ち譜代大名、関氏、松平氏、三宅氏、本多氏等が入り、最後は石川氏が
11代に渡り統治してきた。



 城主の幕府格付けは、江戸城「帝鑑之間」詰めとされている。
登城した大名は、将軍との拝謁の場合、格付けにより定められた控えの
間で待つのが仕来りで、これは徳川御三家の「大廊下」、大老・老中格
などの「溜之間」、国持ち大名などの「大広間」に次ぐ序列である。



 更に控えの間は、城主クラスの譜代大名などの「雁之間」、それ以下
の親藩、譜代大名などの「菊之間」、その他の外様大名などの「柳之間」
と続き大名の序列が視覚化されていた。

 全国凡そ300藩と言われているので、亀山藩は可成り上位に位付けられ
譜代大名の中でも高位とされた大名である。



 この事から西国大名は、これを憚り、と言うよりは嫌い、宿泊地とし
ては敬遠したらしい。
庶民にとっても鈴鹿峠越の宿としては少し距離が離れ過ぎている。

 又、お伊勢さん参りの多くは、日永の追分けから伊勢参宮道に入り、
帰路で京・大坂に立寄る場合でも脇往還で次の宿場・関に向かう事が多
く、亀山には泊まらない。
そんな事から、宿場は賑わいに乏しかったらしい。



 街道筋を外れ少し北に入った西丸町に、藩の家老を務めた加藤家(六
百石)の屋敷がある。江戸延享年間以前に建てられた長屋門や海鼠壁の
土蔵、稲荷社などが残されている。武家建築の様式を今に伝える遺構で、
市の文化財の指定を受け、内部は郷土資料館として公開されている。(続)



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