岡山県の中西部、渓谷沿いの細い道を辿り、急峻な山道に分け入って
上ると、標高約500mの吉備高原上に「赤い家並みの小さな町」が忽然
と姿を現わす。
これこそが「ジャパンレッド」を創出した「鉱山の町」「弁柄の町」、
「備中吹屋(ふきや)集落」である。
ここには江戸中期から、幕府直轄領の銅鉱山があり、良質な銅の生産
が行われていた。更に幕末頃からは、「吹屋弁柄」が加わりその相乗効
果で、中国筋でも第一と言われる隆盛を極めるようになる。
その後昭和中頃までは、日本で唯一の弁柄の産地でもあった。
小さな集落の建物の屋根は赤い瓦葺で、外観の壁や塀は、防虫・防腐
効果のある弁柄を入れ込んだ漆喰壁で仕上げられ、腰高格子や出格子等
も弁柄で染められ赤い町並が続いていた。
そんな建物に混じり、白漆喰海鼠壁の土蔵などがアクセントとなって混
じっている。
第二次世界大戦が終わり、安価な化学工業製品が出回り、次第に取っ
て代わられるようになると、追い被せるように町を支え続けた銅山も廃
坑に成ってしまう。
結果、赤い集落は衰退し、町並の建物も老朽のままに任せる事となる。
町から勢いが消え、商家は廃業、それに引きずられるように他の店も閉
まり、山奥の集落は寂れる一途であった。
その後町並を保存再生させ、観光に生かそうという機運が盛り上がる
のは昭和も後半に差し掛かる頃である。
やがて町は蘇り、繁栄の面影を今に色濃く残す町並は、昭和49年に
「岡山県ふるさと村」に指定され、「吹屋ふるさと村」と呼ばれるよう
になる。更に三年後、文化庁から国の重要伝統的建造物群保存地区の選
定を受ける事になる。(続)
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