宇野線の終着駅・宇野は、四国高松への玄関口であった。
この先は国鉄の宇高連絡船が海上21キロメートルを、凡そ1時間で繋いでいた。
急ぐ旅にはホバークラフトと言う選択肢もあり、これは20分程度で海上を高速
で駆け抜けた。
船上からは波穏やかな海と、瀬戸内の島々を間近に見ながらの船旅であった。
甲板には名物の讃岐うどん「連絡線うどん」の店が有り、多くの旅人が小腹を
満たしていた。今では四国の高松駅構内で、その懐かしい味を伝えている。
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この航路の開始は、明治43(1910)年と言うから、今から百年以上も前の
ことである。昭和63(1991)年12月16日には、80余年に渡る営業を終えたが、
平成22(2010)年には、100周年を迎え記念事業などが行われている。
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かつて昭和20年代、大阪から四国の松山や高知に行く夜行準急列車が運行
した時期があった。大阪を出て山陽本線岡山から宇野線に入り、終点の宇野
からは宇高連絡線で瀬戸内海を渡り高松に上陸しそこから最終目的地を目指
すと言うものだ。
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通常貨物列車はそのまま連絡船に積替えて運ぶが、多くの旅客列車は宇野
や高松止まりで、ここで連絡船と接続、乗り換えが行われていた。
1時間ほどの船旅はともかく、連絡船から列車への場合、その先の長い乗車
時間を考えればなんとしても乗り継ぐ列車の座席は確保しなければならず、
その為にホームを走る席取り競争は熾烈を極めていた。
そんな中この準急は連絡船に用意されたスペースに、客車ごと乗り込んで
海を渡っていた。乗客は席取り競争するどころか、知らぬ間に、眠りを妨げ
られることもなく瀬戸内海を越えていたのだ。(続)
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