「くたびれた やつが見付ける 一里塚」(江戸川柳)
街道は旧高富村(旧石薬師村)から旧植野村(現上野町)に入ると、
この鈴鹿川の支流・蒲川には、土橋が架けられていた。
当時の道中案内には、この付近では「うなぎ」が捕れ、提供する茶店が
描かれている。当時うなぎは滋養強壮、疲労回復の特効薬であるらしい。
道なりに蒲川橋を渡ると、その左側に大きな石標と常夜燈が立っている。
「ここは石薬師の一里塚があったところで、江戸時代には榎の木が植
えられていたが、昭和34年の伊勢湾台風で倒れてしまった」と案内板に
記されている。
江戸日本橋から102番目(約401km)で、京都三条大橋からは23番目
(約96km)に位置する一里塚だ。昭和52年(1977)に新たに植えられ
た榎が、今は大木と成って街道の目印となり足元には日陰を広げている。
実はこの辺りが出発前に「辿れるのか?」と、心配をした地域である。
本来の旧東海道は、JR関西本線の線路を斜めに横切るように突っ切って
いて、その先も道なりに鈴鹿川の流れに沿っていたものと思われる。
現在の道は国道1号線の開通等もあり消滅し、本来の道筋が大きく変わっ
てしまった。
そんな失われた旧道だが、心配は取り越し苦労であった。
迂回ルートではあるが、要所には手作りと思われる簡素な道標が立てら
れ導いてくれる。
一里塚跡から先は、緩やかな坂道を進み、その先のJR関西本線の線路
下のガードを潜る。 潜ると目の前は広々とした畑の農道で、右手の国
道1号線に沿うように進む。幾度も曲がりながら畦道を進み、宇名木川
を越えた上野町辺りで、国道1号線に出る。
ここから庄野宿の入口までは、1.4km程の距離である。(続)
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