手作りの道標に導かれ、農道の中を歩き何とか国道に出た。
鈴鹿川に沿って緩やかに登る国道を暫く歩き、左にカーブしながらJR
加佐登駅前のコンクリート工場の尽きる辺りの交差点・庄野町北で右に
折れる。
本来の街道はこれより少し手前で右に折れ、正面にJR関西線の加佐
登駅を見る辺りで左に折れる道らしいが、今は工場が建っている。
交差点で右折し、工場に沿って100m程も行かないうちに左折する。
するとそこが東海道45番目の宿場町・庄野の江戸方入口となる。
石薬師宿からは二十五丁(2.7㎞)と近く、歩いても1時間と掛からない。
是は、三河国の御油と赤坂の間、十六丁(1.7㎞)に次ぐ短さである。
庄野宿は記録によると、人口855人、家数211軒、本陣と脇本陣が各
1軒、旅籠15軒である。その長さは南北八丁(約900m)で、宿場とし
ては極めて小規模で、はなはだ振るわない宿であったようだ。
その事情は、石薬師宿と同じようなもので有る。
それでも他の宿場と同様、人口比では女性が多いというから、飯盛り
女が多かったのであろうか。当時の旅行情報誌「旅枕」では、その相場
は他の宿場と比べると随分と安いと伝えている。
案内はそれ目当ての長逗留を勧めていて、そうした客は多かったらしい。
ここは伊勢七宿の中では、最も新しく開かれた宿である。
宿場の設置に当り、鈴鹿川対岸の古庄野から移住を行なったが、当初は
それまでの36戸と合わせても僅か70戸での成立と伝えられている。
因みに現在でも対岸は庄野町で、東に平田町が隣接している。
有名な鈴鹿サーキットのへのアクセス駅となる、近鉄鈴鹿線の終着駅が
有る町だ。(続)
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