簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

吉田宿(東海道歩き旅・三河の国)

2021-11-22 | Weblog
「吉田通れば二階からまねく、しかも鹿の子のふり袖が・・・」



 三河湾に面し三河の国・渥美郡に有り、東海道34番目の宿場町吉田は、
松平伊豆の守・七万石、吉田城の城下町でも有った。
吉田宿は、このように唄われる程の繁昌ぶりを見せていたらしい。



 東八町交差点の秋葉灯籠の立つ反対側には、復元された惣門の模型が
建っていて、ここが吉田宿の東の入口である。
門は東海道を跨ぐように、南向きで建てられていて、近くには番所や駒
寄場もあった。明け六つ(午前六時)から、暮れ四つ(午後十時)の間
で通行が許可されていたと言う。



 宿内の町並には、旅篭や茶屋が続いていたといい、戸数は1,293軒、
人口は5,000人余で、旅篭の数も多く65軒と伝えられている。
街道を行き来する旅人を、店先からおおっぴらに手招きする私娼も多
かったらしい。



 それを裏付けるかのように、街道筋を中心とした、「表町十二町」だ
けではなく、その裏にも「裏町十二町」と言われる町並が広がっていた。
清洲屋と江戸屋と言う本陣が有り、そのほかにも脇本陣が1軒あった。
東海道では、規模的には比較的大きな宿場町で、その賑わいは浜松に並
ぶものと称されている。



 東八町で宿内に入ると、宿場特有の幾つかの角を曲がりながら鍛冶町
を抜ける。当時のこの辺りは、「宿内に鍛冶どもあまたにて、相打つ音
左右に響きて」と言う有様で、鍛冶屋が建ち並んで槌を打つ音があちら
こちらから聞こえていたらしいが、今日それを目にすることは殆ど無い。
戦後に整理された広々とした通りで、町の名だけが残されている。(続)





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