簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

従是東沼津領 (東海道歩き旅・駿河の国)

2020-02-07 | Weblog


 街道は浅間神社の辺りで北西に向かい折れると、西見附である。
この辺りの地名は昔から「出口町」と言うらしく、沼津宿の出口にある
ことから名付けられたようだ。



 途中に「六代松」と書かれた立派の石碑が建っていた。
平家没落後、源頼朝に捉えられた平維盛の子・六大御前は、文覚上人の
命乞いで一旦は助けられたが、その後北条時政により再び捉えられ殺さ
れた悲劇を悼む所縁の松らしいが、その詳しい謂われは良くは知らない。



 新中川橋を渡ると西間門の交差点だ。
その昔、この地の浜で閻魔大王像の首が網に掛かり、見れば首の後ろに
「天竺摩伽陀国」と彫られていた。
マガダ国と言うのは古代インドの仏教の発祥地とも言われる国のことで、
そこから流れ着いたものなのか?
驚いた村人がお堂を建て、胴体手足を造り足して像を安置したと伝わる
土地である。



 ここを左に取れば千本松原に沿った千本浜公園で、そこには千本街道
が貫ぬき、左には駿河湾が広がっている。
旧道は交差点を右に行くことになるがそのすぐ右手を東海道本線が走っ
ていて、途中三本松辺りで線路を越えるが、これらの道と線路は田子の
浦辺りまでほぼ真っ直ぐに並走している。



 この辺りが沼津藩の西堺らしく、それを示す立派な榜示杭が立てられ
ている。沼津藩により立てられた石柱であるが、明治末期頃に下半分が
折られ、上部だけが残されているが、そこには、「従是東沼津領」と書
かれていたと推測されている。
ここで沼津の領地を外れ、この先は1里半(約5.9㎞)先の原宿を目指す
ことになる。(続)





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