簾 満月「バスの助手席」

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番町線の環状化計画(岡山市内路面電車・番町線)

2021-08-04 | Weblog


 「万町」は、岡山駅北方の構内線路敷きから、現在の新幹線の高架下
(現在の岩田町と奉還町が隣接する)一帯らしい。
嘗ては旧山陽道(西国街道)の「万町口」と呼ばれ、城下では最大級の
柱間3.3mの惣門と番小屋、常夜灯が立ち、城下町の西入口とされた場
所である。



 この辺りには明治31(1898)年に、中国鉄道により開通した津山線
の岡山市駅が有った。鉄道は後に国鉄津山線となるが、開業の6年後に
は国鉄岡山駅まで延伸し、乗り入れている。
番町線が後楽園口まで開業した当時は、既に岡山市駅は存在していない
が、番町線の環状化計画はかなり早い段階で立てられており、この駅と
の接続も考慮しての経由地で有ったようだ。



 創業当初の計画では、番町線の環状化は番町から西進、山陽鉄道の線
路に突き当たり南に折れ、線路伝いに岡山駅に到る。
ほかにも、内山下支線を京橋の手前で西に折れ、今日の大供交差点に向
かい、更に大元まで行く黒住線が計画されていた。
黒住線は大供から岡山駅前に向かう、環状線化の計画も視野に入れてい
たのであろう。



 岡電の路面電車・番町線が、せめてもう四半世紀持ち堪えていたなら。
当初計画通り番町から延伸され、万町を経て岡山駅に到る環状化が実現
していたなら。
黒住線が環状化され岡山駅前に繋がり、今日まで生き残っていたら・・。



 年間240万人余りの観光客が訪れる「岡山後楽園・岡山城」へのアク
セスと成っていた。
「岡山カルチャーゾーン」の美術館や博物館、新しく建設中の「市民会
館」等を訪れる市民の足となれていた・・・筈。
今当地では、路面電車の延伸・環状化の議論が再燃している。(続)





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