休憩したお菓子屋さんのご主人に教えられた道からは、完全に逸れて
しまった。富士見大通りに出て南進しているので、どこかで右折しなけ
ればと思い蓼原の交差点で曲がったがこれも確証が有っての事ではない。
訝りながら不安を抱え、数百mほど進むと、左に曲がる角が有った。
道路の向こう側を見ると、この道に接するように合流してくる少し狭い
道が見える。
不思議なもので、こうして旧街道を歩いていると何となく雰囲気で
「旧道らしさ」「旧道ぽくも感じられ、これが意外と間違っていない
事に気付く。まさにここがそうであった。
実は蓼原の一つ手前の交差点・塔の木で右折していればそのまま旧道
に戻ることが出来、ここに出られたのである。
ここまで来れば今晩の予約をしている宿までは30分足らずの距離だ。
散々迷っては来たが、距離的に大きなロスをしたわけでもなく、予定通
り到着出来そうだ。その宿は、旧街道筋にあり、かつて駿河の大地主と
言われた「松永家」の邸宅跡に建てられていると言う。
この松永家は、東海道の吉原宿と蒲原宿の中間に位置する平垣村に住み、
その財力を背景に領主から領土の取締役を命じられ、屋敷内に陣屋を構え、
領主に成り代わって年貢の取り立て業務を代々担ってきたという。
武家風様式の豪壮な邸宅と庭園は、明治の頃には静岡県の名所案内でも
紹介される程のもので有ったという言い、母屋だけでもその建坪が150坪
にも及んでいた。その建物の一部が富士市の「ふるさと村」に移築保存さ
れ、市の指定文化財の指定を受けている。(続)
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