お土産屋さんなどが建ち並ぶ473段の石段参道の分かれ道で、左に取れば、「熊
野那智大社」に行き、右に取れば仁王門を潜ってその境内のすぐ隣に立つ「那智青
岸渡寺」に行き着く。
共に熊野信仰の中心的な古社で、古くから多くの参拝者を集めてきた。
元々ここは神仏習合の修験道場で、明治の分離令が出た後も、仏殿が残りその後
今日の寺として復興された歴史を秘めている。
一重杮葺き入母屋造りの本堂は、豊臣秀吉が再建したと伝えられている。
この地の標高は500m余りで、周りを見渡すと随分と山深いことが良く解り、ここか
らの眺望は、標高以上に深山幽谷に踏み入れたような趣が有る。
那智山原生林(国の天然記念物)を抱える1000mクラスの山々が取り囲み、那智
の谷が深く抉れていて、遥か望めば彼方には太平洋だ。
その谷には今登って来た大門坂があり、ここからは杉並木やそれを取り巻くように
広がる那智の集落や門前町を見下ろすことが出来る。
かつてその集落には参拝者のための宿坊などが有ったと言う。
目を転じると木立の欠けた岩肌に、再建された三重塔を前景にして流れ落ちる
一条の滝が目に留まる。「熊野那智大社」の別宮「飛瀧神社」の御神体として崇め
られる「一の滝(別名、那智の滝)」だ。
その幅は13m、落差は日本一の133mで、滝壺は深さが10mもあり、殆ど垂直に
落下する日本三大名瀑の一つだ。
かつてはこの地に本殿が有り、滝の神様を祀っていたと言う。
そんな滝を見下ろす展望所の欄干には、谷風を受け悠然と留まる烏がいたが、
残念ながら足は2本であった。(続)
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野那智大社」に行き、右に取れば仁王門を潜ってその境内のすぐ隣に立つ「那智青
岸渡寺」に行き着く。
共に熊野信仰の中心的な古社で、古くから多くの参拝者を集めてきた。
元々ここは神仏習合の修験道場で、明治の分離令が出た後も、仏殿が残りその後
今日の寺として復興された歴史を秘めている。
一重杮葺き入母屋造りの本堂は、豊臣秀吉が再建したと伝えられている。
この地の標高は500m余りで、周りを見渡すと随分と山深いことが良く解り、ここか
らの眺望は、標高以上に深山幽谷に踏み入れたような趣が有る。
那智山原生林(国の天然記念物)を抱える1000mクラスの山々が取り囲み、那智
の谷が深く抉れていて、遥か望めば彼方には太平洋だ。
その谷には今登って来た大門坂があり、ここからは杉並木やそれを取り巻くように
広がる那智の集落や門前町を見下ろすことが出来る。
かつてその集落には参拝者のための宿坊などが有ったと言う。
目を転じると木立の欠けた岩肌に、再建された三重塔を前景にして流れ落ちる
一条の滝が目に留まる。「熊野那智大社」の別宮「飛瀧神社」の御神体として崇め
られる「一の滝(別名、那智の滝)」だ。
その幅は13m、落差は日本一の133mで、滝壺は深さが10mもあり、殆ど垂直に
落下する日本三大名瀑の一つだ。
かつてはこの地に本殿が有り、滝の神様を祀っていたと言う。
そんな滝を見下ろす展望所の欄干には、谷風を受け悠然と留まる烏がいたが、
残念ながら足は2本であった。(続)
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