わたしたちの年齢は、親の面倒を看ることと、子どもに頼られ孫の面倒をみるという仕事がある。おまけに、若いころから仕事をしているので、仕事をするのが当たり前と思っている。なので、働ける間は働こうと毎日を過ごしながら町内の 行事ごとにも参加しなくてはならない年齢でもある。
子育て支援として、学童や幼児保育にも声がかかれば行く。女性防災にも行く。弓道仲間の仕事はじわじわと増えてきている。カレンダーを見ると11月の日曜は全部埋まっている。ついでに、土曜の出勤も入っている。月曜と水曜は病院へ母を連れていく。自分のためだけに使う時間はいつなのだろう。
ひとりでいると寂しいので、いろいろな誘いに返事をしてしまって、予定が重なって「あちゃぁ。」と、思うこともしばしば。ゆうべも、道場で国体の審判員の話を先輩から聞いて、そうだった、うかつにも返事をしてしまっていたっけ。そのうえ、もう一つ厄介な出来事に巻き込まれようとしている。これは、うかつに返事をしないつもりなのに周りがじわじわと迫ってくる。逃げよう。
仕事が集まってくるのは貧乏性のせいだと思っている。どれも、殆どボランティアではないか。貧乏暇なしという。
会社を辞めたら悠々自適で暮らそうと思っていた。海外旅行は?豪華客船は?殿と話していた夢物語は、いつの間にか生活排水と一緒にどこかへ流れていった。本当はそんなものはどうでもよかったのだ。ささやかな普通の生活がもっと続くことを願っていた。
でも、友達を見回すと、みんな似たり寄ったりだった。集まると弾丸トークが飛び交う。みんな少しずつ心に何かを持っている。でも逞しいお年ごろ。「今度、美味しいもの食べに行こう。」と、誘われると二つ返事で出かけるのである。おや、最近その時間もないのでは。