初めてグジャラート州を訪ねた。
東京でヒンディー語を少し習っていた時に一緒だったKさんが、
ガンディーの勉強するために昨年から住んでいるからだ。
その大学の名前はグジャラート・ヴィディヤピートと言い、
アーメダバード市内にある。
Kさんは大学内の寮にインド人のルームメイトと一緒に住んでいたが、
図々しくもそこに居候をさせてもらった。
お陰で普通では見れない大学生活をも垣間見れたし、
Kさんがガンディーイズムを継承して、
質素な暮らしをしていることも解り、
この現代において未だにこのような生活があったのかと驚いた。
上部写真は大学の門の内部から俗世間を見たところ。
構内には学生の他、先生やボランティアの方々など多数住んでおり、
イタリアやドイツなど欧米人も何人かいた。
なんでもこの大学への日本人留学生は3人目で、
他の二人は大東文化大学の篠田隆教授と
ヒジュラ研究の第一人者である國弘暁子サンとの事。
私のヒンディー語は自分のやりたい事が言える程度の
旅行者レベルに毛が生えた程度なのだが、
(週1回×1年間の学習では、そんなもの)
Kさんは私と違ってヒンディー語も上級レベルであった。
授業は英語、ヒンディー語に加えてグジャラーティ語の3ヶ国語で行われるそうで、
すでにグジャラーティ語もマスターしていた。
のちにKさんも偉い学者になるかもしれない。
偶然にも私の滞在が学位授与式の日取りと重なり、
学校の偉い人の計らいで招待されてしまった。
卒業生は白い民族衣装をまとい、男性はガンディー帽を被っている。
学長によるスピーチ。
この方はガンディーと生活を共にされた最後の一人で、
唯一ガンディーイズムによる成功者と言われているらしい。
こちらは、な・・・なんとガンディーのお孫さん。
普段は西ベンガル州にお住まいで、
この日のためにいらっしゃたそうだ。
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東京でヒンディー語を少し習っていた時に一緒だったKさんが、
ガンディーの勉強するために昨年から住んでいるからだ。
その大学の名前はグジャラート・ヴィディヤピートと言い、
アーメダバード市内にある。
Kさんは大学内の寮にインド人のルームメイトと一緒に住んでいたが、
図々しくもそこに居候をさせてもらった。
お陰で普通では見れない大学生活をも垣間見れたし、
Kさんがガンディーイズムを継承して、
質素な暮らしをしていることも解り、
この現代において未だにこのような生活があったのかと驚いた。
上部写真は大学の門の内部から俗世間を見たところ。
構内には学生の他、先生やボランティアの方々など多数住んでおり、
イタリアやドイツなど欧米人も何人かいた。
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なんでもこの大学への日本人留学生は3人目で、
他の二人は大東文化大学の篠田隆教授と
ヒジュラ研究の第一人者である國弘暁子サンとの事。
私のヒンディー語は自分のやりたい事が言える程度の
旅行者レベルに毛が生えた程度なのだが、
(週1回×1年間の学習では、そんなもの)
Kさんは私と違ってヒンディー語も上級レベルであった。
授業は英語、ヒンディー語に加えてグジャラーティ語の3ヶ国語で行われるそうで、
すでにグジャラーティ語もマスターしていた。
のちにKさんも偉い学者になるかもしれない。
偶然にも私の滞在が学位授与式の日取りと重なり、
学校の偉い人の計らいで招待されてしまった。
卒業生は白い民族衣装をまとい、男性はガンディー帽を被っている。
学長によるスピーチ。
この方はガンディーと生活を共にされた最後の一人で、
唯一ガンディーイズムによる成功者と言われているらしい。
こちらは、な・・・なんとガンディーのお孫さん。
普段は西ベンガル州にお住まいで、
この日のためにいらっしゃたそうだ。
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