ここはガンディーが歳から歳まで住んでいた家の跡で、
現在は博物館になっている。入場は無料。
意外にも家は商店街の細道の中にあった。
100年近く前にガンディー少年は、ここで暮らしていたんだなぁ。
周りにはゴチャゴチャした小さな店が連なっているが、
ガンディーの父親はポルバンダル藩王国(当時)の宰相だったため、
立派な門のあるそれなりの屋敷であった。
入ると建物の前が中庭のようになっている。
左側に良く冷えた飲料水があったので一口のんだけれど、
味がイマイチだったのでやっぱりやめておいた。
管理人のような人が中に入れてくれた。
左側の部屋から順番に見る。
1869年10月2日の生誕から1948年1月30日に死去するまでの、
いろんな写真がたくさんあった。
これは両親と子供の頃の写真。
ガンディーが生まれた同じグジャラート州のポルバンダルと言う港町へ、
今回行こうかな・・・と思ったのだが、私はガンディーマニアではないので、
ドワルカに行く事にしてポルバンダルはパスしたのだった。
結論から言うとドワルカはつまらない町だったので、
ポルバンダルに行けばよかったと思った。
ガンディーはポルバンダルの小学校に入学後(インドの小学校は5歳~)、
父親がラージコット勤務になったためラージコットの小学校に入りなおしたが、
成績は悪かったらしい。
その上、素行も悪く煙草代を工面する為に召使の金を盗んだこともあった。
この頃のガンディーは肉食もしていたそうだ。、
その後、12歳でアルフレッド・ハイスクール(後日記載)に入学した。
インドは幼児婚の慣習があったため13歳でカストゥルバと結婚し、
16歳で父を亡くし、18歳でロンドンに渡り、
インナー・テンプル法曹院で法廷弁護士の勉強をした。
ネルーとガンディー。
国葬の様子。
出る時にアルフレッド・ハイスクールの場所を聞いた。
建物を出て左に真っすぐとの事だったが・・・
そこには見当たらなかった突き当りでまた聞き込んだ。
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現在は博物館になっている。入場は無料。
意外にも家は商店街の細道の中にあった。
100年近く前にガンディー少年は、ここで暮らしていたんだなぁ。
周りにはゴチャゴチャした小さな店が連なっているが、
ガンディーの父親はポルバンダル藩王国(当時)の宰相だったため、
立派な門のあるそれなりの屋敷であった。
入ると建物の前が中庭のようになっている。
左側に良く冷えた飲料水があったので一口のんだけれど、
味がイマイチだったのでやっぱりやめておいた。
管理人のような人が中に入れてくれた。
左側の部屋から順番に見る。
1869年10月2日の生誕から1948年1月30日に死去するまでの、
いろんな写真がたくさんあった。
これは両親と子供の頃の写真。
ガンディーが生まれた同じグジャラート州のポルバンダルと言う港町へ、
今回行こうかな・・・と思ったのだが、私はガンディーマニアではないので、
ドワルカに行く事にしてポルバンダルはパスしたのだった。
結論から言うとドワルカはつまらない町だったので、
ポルバンダルに行けばよかったと思った。
ガンディーはポルバンダルの小学校に入学後(インドの小学校は5歳~)、
父親がラージコット勤務になったためラージコットの小学校に入りなおしたが、
成績は悪かったらしい。
その上、素行も悪く煙草代を工面する為に召使の金を盗んだこともあった。
この頃のガンディーは肉食もしていたそうだ。、
その後、12歳でアルフレッド・ハイスクール(後日記載)に入学した。
インドは幼児婚の慣習があったため13歳でカストゥルバと結婚し、
16歳で父を亡くし、18歳でロンドンに渡り、
インナー・テンプル法曹院で法廷弁護士の勉強をした。
ネルーとガンディー。
国葬の様子。
出る時にアルフレッド・ハイスクールの場所を聞いた。
建物を出て左に真っすぐとの事だったが・・・
そこには見当たらなかった突き当りでまた聞き込んだ。
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