教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

川で身動き取れないスナメリを救助 海に戻る【佐賀市

2020年12月13日 15時42分45秒 | デジタル・インターネット


川で身動き取れないスナメリを救助 海に戻る【佐賀市】

川で身動き取れないスナメリを救助 海に戻る【佐賀市】

(佐賀ニュース サガテレビ)

12日、佐賀市の川で身動きが取れなくなっていた1頭のスナメリが発見され救助されました。

12日午前、佐賀市八戸2丁目付近を流れる川で発見されたのは体長1.5メートルほどのスナメリとみられています。
近くの菓子店の男性と、情報を聞いてかけつけた男性の新聞記者の2人が正午ごろから冷たい川の中へ入り、救助を始めました。
救助した男性らによりますとちょうど干潮に近い時間で川が浅くなりスナメリは泥の上に乗りあげ弱っていたということです。
およそ2時間後に男性らによって小型の船に入れられクレーンを使って船ごと吊り上げられ保護されました。
このあと、スナメリは佐賀市川副町の戸ヶ里漁港に運ばれ海に戻されたということです。』
皆さんの努力で、救助されて本当に良かったですね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪の月別死者、早くも最多更新 82人、11月の78人超える

2020年12月13日 14時24分08秒 | ニュース
大阪の月別死者、早くも最多更新 82人、11月の78人超える
2020年12月12日 22時56分 (共同通信)
 
 
 
 
 
 大阪・ミナミの戎橋をマスク姿で歩く人たち=12日午後8時26分

大阪府は12日、過去3番目に多い429人の新型コロナウイルス感染と、感染者6人の死亡を発表した。12月の死者は82人となり、月間の死者として最多だった11月の78人を超えた。重症用病床の使用率は73・8%で、70%を超える状態が続く。

 毎日の新規感染者数が増加し始めたのは10月下旬。「大阪都構想」の住民投票を11月1日に控え、吉村氏や松井一郎大阪市長は連日、街頭演説に立った。府庁内からは「知事は都構想で頭がいっぱいだった」の指摘もある。
 時短営業の要請が出ている大阪市中央区の繁華街・ミナミは12日夜も多くの人でにぎわっていた。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪コロナ重症センター、15日から運用 吉村知事視察

2020年12月13日 10時14分19秒 | デジタル・インターネット
新型コロナウイルス最新情報
  • アピタル

大阪コロナ重症センター、15日から運用 吉村知事視察

新型コロナウイルス

久保田侑暉

 
 

 新型コロナウイルスの重症患者向けの臨時施設「大阪コロナ重症センター」が15日から運用を始める。大阪市の大阪急性期・総合医療センターの敷地内に建てられたプレハブ施設で、大阪府吉村洋文知事が7日に視察した。

 施設内には人工呼吸器を備えた30床のベッドを配置した。ただ、運用に必要な看護師約130人のうち80人ほどしか確保できていないため、運用病床数を絞る可能性がある。府は関西広域連合全国知事会防衛省に看護師の派遣を要請している。

 重症センター長を務める総合医療センターの藤見聡・高度救命救急センター長は報道陣に、全体の感染者数が減少傾向に入っても重症者数はその後1週間は増える傾向があるとした上で、「できるだけ早く(重症患者を)中等症病院に帰すための集中治療が必要だ」と答えた。吉村知事は「不十分なところもあるが、(設置を)判断してよかった」と話した。(久保田侑暉)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

jlj0011のblogカニ物語<本澤二郎の「日本の風景」(3933)

2020年12月13日 09時20分42秒 | ペットフード

カニ物語<本澤二郎の「日本の風景」(3933)
  • 2020/12/13 08:36
  • 0
  • 前の記事
  • ホーム
カニ物語<本澤二郎の「日本の風景」(3933)
<中原善正お嬢さんのカニ土産に感激、三度目の舌鼓!>
 カニの季節か?金曜日に会社役員だったO君が、高級菓子パンと食パンを持参してくれた。友人の善意に感激していると、今度は今日の日曜日に、中原さんのお嬢さんが、高級カニを宅送してくるという。これは人生3度目のカニ料理だ、久しぶりに舌鼓を打てそうだ。いつも気が滅入るような話題なので、今日は、つばの出るおいしい話をしたい?

 カニ料理の一度目は倅の輝夫が、孝行息子になって、正月前に沢山買いこんで、家族団らんビールで乾杯しながら、胃袋を膨らませた。そんな幸せな時をくれた。有名な上海ガニも何度か食べたが、記憶に残っていない。量が少ないせいであろうか。

 二度目は、北海道最北端の稚内市で、たらふく食べたものだから、記憶から消えることはない。カニ料理を嫌いな人はいないだろうが、小ぶりのカニだと、昔話になるが、たとえ料亭の膳に出ても、仲居さんに手伝ってもらわないと食べられなかった。だいたいが食べた気がしない。しかしながら、北海道のそれはロシア漁民から輸入したものに違いないから、カニは大ぶりである。

 今回は3度目だ。食べないうちから、舌から唾が出てくるではないか。これは、血税を使っての美食三昧の菅や安倍には、どう転んでも味わうことが出来ない味だろう。

<金田英行君(当時衆院議員)の講演会後の宴会でカニの刺身!>
 金田君とは、中大法学部学生の一部が学んだ白門研究会の寮で知り合った。白門とは、東大の赤門に対抗する意味が込められて付けたものらしい。
 お茶の水駅近くの有斐閣という法律専門の出版社で、アルバイトをしたことがある。そこで初めてココアという飲み物を知った。よく本郷の東大の赤門をくぐり、小さな三四郎池をのぞいた。東大法学者の原稿取りである。北京大学校内の巨大な湖水・無名湖と比較は出来ない。

 白門研究会は、柳沢という教授が主宰していたもので、寮が確か松戸市の江戸川沿いにあった。旧遊郭を買い取って、6畳一間に学生2人を押し込んで、司法試験と公認会計士の試験勉強をさせてくれた。当時、遊郭の意味も知らなかった。
 そこで友達が3人できた。金田英行、高野利雄、曽我部浩の3君である。彼らは相応に研究室に潜り込んで、意味不明の分厚い法学本とにらめっこ、丸暗記といういかがわしい勉強に熱中していた。筆者は家庭教師や卒業するために、単位を取るべく、御茶ノ水まで通学していて、研究室での勉強どころの騒ぎではなかった。

 唯一の取柄は、同大で一番人気で知られた、渥美東洋ゼミにうまく合格、そこに潜り込んだことで、刑事訴訟法をたしなんだことくらいで、胸を張れることなど何もない。当時は学生運動も賑わしく、教室入り口前は勉強机の山でふさいでいたため、休講が多かった。

 家庭教師でうれしかったことは、品川区の幼稚園経営者の森さん宅で、両親が苦学生思いのためらしく、夕食まで出してくれた。膳にマグロの刺身が乗った時は、大いに満足した。マグロの刺身など、縁がなかった貧乏学生だったせいである。それこそ、出来の悪い安倍の額を叩いたという、現東北復興相のようなことなど考えられないことだった。

 さて色白で男前の金田君は、自分で自慢するほどの自信家。事実、国家公務員上級職に合格、郷里の北海道開発庁に入って、まもなく頭角を現わした。高官の娘を嫁さんにしたことも、出世に貢献したものだろう。長官秘書官を経て、政界入りした。

 派閥の要人周りに汗をかいていたころ、議員会館で彼の事務所が目に入った。もう堂々の衆院議員である。「講演を頼む。安いけど」という依頼が、カニ料理に結びついた。日本の最北端・宗谷岬というものだから、二つ返事で応じた。

 カニの種類は知らないが、カニの刺身が存在していることに何よりも驚いた。

<日本の最北端・宗谷岬で流氷のCDいただく>
 地図を開くと、北海道稚内市である。講演を終えての大宴会が、カニ料理店だったらしく、金田後援会幹部らが「食べろ」「飲め」と催促してくれるものだから、断る理由などなかった。

 この時だけは、腹がカニで膨らんだ。翌日宗谷岬に立った。彼方のサハリンは、かすんでいて見えなかった。むろん、流氷の季節ではなかったのだが、流氷という歌のCDをいただいた。

 ネットを見ると、金田君は衆院4期でバッジを外している。初めて気づいたのだが、これは筆者の息子の医療事故と関係していたろう。永田町に目を向ける余裕をなくしていたせいである。人間は家族の不幸が一番きつい。

<プーチンに騙されて騙されても気付かない愚か者首相>
 北海道を旅すると、日本人はだれでも北方領土問題が脳裏をかすめてくる。ソ連抑留問題もそうだが、北方4島問題である。前者は、中国の配慮の深さに頭が下がるだろう。中国からの帰還兵の多くは、その後に何度も訪中し、感謝の旅をしている。

 我が安倍晋三は、数えきれないほどロシアの独裁者・プーチンと会談したが、領土問題は一歩も前進しなかった。むしろ、軍事基地化で大きく後退した。もはや打つ手なしだ。買い取る方法しかないだろう。

 安倍はじゃれる猫に等しかった。それでも、安倍外交を宣伝する自民党関係者の気が知れない。愚か者以下であろう。宗男にいいように弄ばれたものであろうが、もしも金田君がいたらこんな恥さらしの外交は、早く打ち切っていたであろう。彼は、故郷の旭川に戻ったのだろうか。

<会いたい曽我部博君も松戸の旧遊郭の白門研究会の寮で>
 一番親しくなったのは曽我部君で、おとなしく人懐こい友人として、人間として最高の好人物だった。いつも細い目を、いっそう細めて笑ってくれる。そばにいて、疲れるということがなかった。

 遊郭の一室に囲われた研究生にとって、仲間同士飲み食いする機会は一度たりともなかった。「赤門に負けるな」の意気込みからというよりは、そんな余裕などなかった。

 研究室は薄暗く、そこに板で仕切った長椅子のような机が並んでいたが、ついぞここが学生で埋まっていたという記憶がない。下宿代わりに潜り込んできた、学生や卒業生もいたらしい。近くを流れる江戸川を散策したという記憶もない。ロマンスどころでなかったのだ。

<大平正芳さん似の銅像の顔・相模原市大病院の御曹司>
 曽我部君は、結婚式に呼んでくれた。友人代表として、しゃべるように催促されて閉口した。当時、政治部記者として大平派を担当していた。
 細い目が大平さんに似ていたことから、彼も「銅像になる人物」と持ち上げてしまったのだが、果たして受けたのかどうか。

 彼の父親は精神科医で、神奈川県相模原市で大きな病院を経営していたようだ。高度成長期の日本で、精神を病んでいる人たちが多くいることを証明していたのだが、当時の政治記者はそうしたことに関心を持たなかった。

 おそらく曽我部君は、父親の後、後継者として経営にタッチする運命に置かれていたはずである。数年前に懐かしく思い、はがきを出したが返ってきた。亡くなったのか、田舎に移転したのか。

<努力家・高野利雄君は名古屋高検検事長の出世頭>
 ネットで高野利雄を開くと、彼のニュースがいっぱい出てくる。検察仲間では出世した方であろう。

 研究室でも彼は抜群の努力家だった。毎朝そこにこもり、それを夜の10時ごろまで続けていたようだ。大変な努力家で、司法試験のために中大に入学したような学生だった。
 当時の中大の授業料は一番安かった。多くは貧乏な若者が殺到していた大学で、愛校歌の替え歌に「ボロは着てても心は錦」というのがある。現在にぴったりである。

 しかし、検事の世界に入った高野君は、この枠をはみ出している。東京地検特捜部副部長や同検事正、名古屋高検検事長も。このポストから、今の検事総長の林真琴は栄転している。

 驚いたことに、日本相撲協会理事までしている話題の人物でもあった。国技と喧伝する相撲の源流は、草原の騎馬民族で、肉食のモンゴル相撲だ。ずっと以前から、モンゴル相撲に制覇された国技である。

<黙々と研究室に潜り込んで勉強、勉強の日々>
 普通の学生は、女性にあこがれる年齢である。この時に机にへばりつくことは、健康な男子にとって無理である。司法試験どころではない。むしろ、学生結婚した方が、勉強に熱が入るかもしれない。

 いえることは、精神的に過酷な環境下で、必死で丸暗記に成功した人物が、難関を突破するわけだから、そんな人物が司法を操っている?となると、民意や日本国憲法順守に徹するのは、至難の業であろう。今の林真琴の、怪しげな対応からも見てとれそうだ。
 いまも冬場に茶色の丹前を着込んで、研究室に入る高野君を思い出すことが出来る。カニ物語が、3人の友人の紹介になってしまった。
2020年12月13日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする