教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

トランプは夕食会に招待した安倍昭恵さんを通じて、「日本のDS=安倍派」の抱き込みを考えているだろう。裏金問題でガタガタにされた安倍派を、トランプが立て直すかもしれない。もちろん政治利用のために

2024年12月15日 14時59分33秒 | 国際・政治
 
 

トランプは夕食会に招待した安倍昭恵さんを通じて、「日本のDS=安倍派」の抱き込みを考えているだろう。裏金問題でガタガタにされた安倍派を、トランプが立て直すかもしれない。もちろん政治利用のために

2024年12月14日 08時51分32秒 | 政治
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
トランプは夕食会に招待した安倍昭恵さんを通じて、「日本のDS=安倍派」の抱き込みを考えているだろう。裏金問題でガタガタにされた安倍派を、トランプが立て直すかもしれない。もちろん政治利用のために

◆〔特別情報1〕
 毎日新聞は12日、「米誌『今年の人』にトランプ氏 『皆、トランプの時代を生きている』」という見出しをつけて次のように報道した。
「米誌タイムは12日、恒例の『今年の人』にドナルド・トランプ次期米大統領(78)を選んだと発表した。『最も熱狂的な支持者から、最も厳しい批判者まで、我々は皆、トランプの時代を生きている』と評した。タイム誌は、米大統領選での勝利、司法闘争、暗殺未遂事件などトランプ氏を巡る出来事を列挙。『我々は、ポピュリズムが復活し、公的機関への不信感が拡大し、リベラルの価値観がよりよい生活につながるという信頼がむしばまれているのを目撃している。トランプ氏はそうしたもの全ての代理人であり、受益者でもある』と指摘した。 トランプ氏は初当選した2016年にも『今年の人』に選ばれていた。【ワシントン秋山信一】」
 聴衆を前に、暗殺目的の銃撃の弾が飛び、ほんの一瞬のわずかに頭を動かしたことで未遂に終わった強運と、耳たぶを負傷し流血しながら拳を振りかざした不屈の精神を世界に見せつけた瞬間から、世界は間違いなく「トランプ色」に塗り替えられていっている。
 来年の就任式に向けて表も裏も、準備が整いつつある。「トランプの時代」が始まろうとしている。
 そうしたなか、驚きのニュースが飛び込んできた。読売新聞は13日、「安倍昭恵さん、晋三氏が亡くなった後もトランプ氏と定期的に電話…『マール・ア・ラーゴ』で夕食会へ」という見出しをつけて次のように報道した。
【ワシントン=阿部真司】米CNNは12日、米国のトランプ次期大統領が安倍晋三・元首相の昭恵夫人と15日に夕食会を開くと報じた。フロリダ州にあるトランプ氏の邸宅『マール・ア・ラーゴ』で開かれ、メラニア夫人も同席するという。
事情に詳しい関係者の話として伝えた。報道によると、安倍元首相が2022年7月に銃撃されて亡くなった後、トランプ氏と昭恵氏は親密な関係を保ってきた。トランプ氏が定期的に電話をかけ、近況を尋ねているという。夕食会は2人のやり取りで決まった」
日本からはまだ、誰が大統領就任式に招かれるのかわからないなかでの、安倍昭恵さん夕食会招待の報道について、国際情勢に精通する情報通は次のように語った。
これは、間違いなく政治利用だ。トランプは昭恵夫人を通じて、「日本のDS=安倍派」の抱き込みを考えているだろう。裏金問題でガタガタにされた安倍派を、もしかするとトランプが立て直すかもしれない。

板垣英憲「情報局」ご購読の皆さまへ~「ブロくる」閉鎖に関し
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韓国の大混乱に自民党内は、皆がビビッた。同じことが起きないようにと、戦々恐々『謙』の字を戒め、石破は補正予算案提出に臨んだ。ところが、妙に笑顔が絶えないのが岸田前首相。麻生と組み再登板を狙っている

2024年12月15日 14時56分26秒 | 国際・政治
 
 

韓国の大混乱に自民党内は、皆がビビッた。同じことが起きないようにと、戦々恐々『謙』の字を戒め、石破は補正予算案提出に臨んだ。ところが、妙に笑顔が絶えないのが岸田前首相。麻生と組み再登板を狙っている

2024年12月13日 09時03分12秒 | 政治
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
韓国の大混乱に自民党内は、皆がビビッた。同じことが起きないようにと、戦々恐々『謙』の字を戒め、石破は補正予算案提出に臨んだ。ところが、妙に笑顔が絶えないのが岸田前首相。麻生と組み再登板を狙っている

◆〔特別情報1〕
 時事通信は12日、「石破首相、今年の漢字に『謙』 『金』には『政治を象徴、残念』」という見出しをつけて次のように報道した。
「石破茂首相は12日、自身が考える『今年の漢字』について『謙』を挙げた。衆院選で自民、公明両党が過半数に満たない少数与党になったことを踏まえ、『謙虚にひたすら己をむなしくして、いろんな方の意見を素直に承るということだ。特に後半、この言葉をかみしめながら過ごしている』と語った」
 韓国のような政治の大混乱を招かないようにとの思いが滲み出ている。
 尹大統領の「ご乱心か」ともとれる「戒厳令」発布を巡って、繰り返される弾劾訴追など大混乱が続く隣国・韓国を横目に、日本の国会では28年ぶりに予算案が国会提出後に修正され、野党の協力を得る形で可決した。
 朝日新聞は12日、「補正予算案が衆院通過 与党、維新、国民民主の賛成多数 年内成立へ」という見出しをつけて次のように報道した。
「予算案は立憲民主党の提案の一部を取り入れる修正の上、可決された。国会提出後の予算案の修正は1996年の第1次橋本龍太郎内閣以来、28年ぶり」
 この流れについて自民党内部に精通する情報通は次のように語った。
 とにかく韓国の大混乱に自民党内は、皆がビビッた。合わせ鏡のように、同じことが起きるのではないかと、皆が怖がっている。為政者にとって最も恐ろしいのは、民衆の反乱ということを、あらためて思い知らされている。韓国だけではない、突然のアサド政権崩壊もしかり、民衆の反乱が世界の潮流となりつつある。それだけに、あんなことにならないようにと、戦々恐々の思いで補正予算案提出に臨んでいた。
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ユニチカ撤退で影響企業2万社か 繊維事業、帝国データバンク調査

2024年12月15日 14時49分39秒 | ニュース

経済

共同通信

ユニチカ撤退で影響企業2万社か 繊維事業、帝国データバンク調査
ユニチカ大阪本社の看板=大阪市

 

2024年12月06日 17時41分
共同通信
 
 帝国データバンクは6日、ユニチカの繊維事業撤退で影響を受ける可能性のある企業が2万社近くに上るとの調査結果を発表した。直接取引しているのは664社、2次的な取引先は1万8506社。ユニチカは繊維事業を2025年8月までに売却する方針だが、不調に終わった場合は全国に影響が広がる恐れがある。
 繊維事業は、土木や建築、インテリアに用いる産業繊維のほか、生活雑貨や寝装に使う衣料繊維があり、裾野が広い。帝国データバンクは「売り先がなくなったり調達で苦戦を強いられたりする企業も出てくる懸念があり、注視が必要だ」としている。
  • 帝国データバンク
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「コロナ禍で京都の料亭は1軒もつぶれていない」というウワサは本当か? 老舗料亭の三代目が語る、創業「一代目」と「ぼん」の経営の違い

2024年12月15日 14時31分11秒 | ニュース


 

「コロナ禍で京都の料亭は1軒もつぶれていない」というウワサは本当か? 老舗料亭の三代目が語る、創業「一代目」と「ぼん」の経営の違い

「コロナ禍で京都の料亭は1軒もつぶれていない」というウワサは本当か? 老舗料亭の三代目が語る、創業「一代目」と「ぼん」の経営の違い

「コロナ禍で京都の料亭は1軒もつぶれていない」というウワサは本当か? 老舗料亭の三代目が語る、創業「一代目」と「ぼん」の経営の違い

(集英社オンライン)

世界中の美食を食べ歩き、味覚そのものを研究するアカデミーを作り、「日本料理店」として現在まで本店・支店で併せて7つものミシュランの星を獲得し続けている「料理界のカリスマ」こと、「菊乃井」の村田吉弘氏。

そんな村田氏の近著『ほんまに「おいしい」って何やろ?』より、コロナ禍以降の料亭、料理屋の在り方について一部抜粋、再構成して分析する。

京都の料亭は「コロナ禍」でもつぶれなかった?

どなたかの演説で「人生には上り坂、下り坂だけやなしに、まさか、という坂がある」というのがありました。

この話がえらく受けたようで、いろんなところでこの「まさか」というのが使われているようですが、2020年2月の横浜港に寄港した国際クルーズ船騒動から始まった3年間の「コロナ禍」は、日本中の人々に、さまざまな形の「まさか」を味わわせたことやと思います。

「まさか」、言い換えれば「想定外」。私らにとって、ほんとに「お上(政府)」が「家から出るな」「旅行に行くな」「飲食店に行くな」と言いだすとは思いませんでした。

こんな事態、想像できるわけがありません。「まさか」中の「まさか」、「想定外」の100乗です。

日本中の町がひっそりと静まりかえり、コンサートの歌声が消え、祭りのワッショイがなくなり、飲食店から「おいしい!」「乾杯!」の歓声が聞こえなくなりました。

とりわけ、飲食業などは、コロナ流行の大もとのように言われて、非常に悔しい思いをした同業者も多かったと思います。

そうして、「コロナ禍」が当初の予想より長引くうちに、多くの飲食店が店を畳みました。皆さん、できる限りの努力をされた末の、苦渋の決断だったに違いありません。

そうしたなかで、京都の料亭、料理屋はやめたところが1軒もない、という話が、まるで奇跡を語るかのように広まっていったと聞いています。

「コロナ禍」によって、インバウンドをはじめ観光客が激減する状況を鑑みれば、観光都市・京都などは相当打撃を受けているだろう、京都の飲食業は大変だろうと、皆さんが思われるのも無理のないところ。

ですから、京都の料理屋、料亭が1軒もつぶれんのは何でや、と疑問に思われるのも当然のことです。でもそれは、噂でも、奇跡でもなく、まぎれもない事実です。京都にとっては、普通のこと、奇跡でも何でもありません。

逆に言えば、コロナ禍の観光客激減によって、久しぶりに京都の人のための京都の街が戻って来た、ということだったのかもしれません。

外国人客を4割以上取らない

先に、京都の料理屋、料亭は町衆と共にある、という話をさせてもらいましたが、その京都の町衆は、「コロナ禍」のなかでこんなことを言うてました。

「コロナのこんな時期やけど、カウンターやなくて座敷やったらええんちゃうか」

「大勢で行くな言われてるけど、嫁さんと2人やったらええのんちゃうか」

小池百合子都知事が聞いたら目をむくかもしれませんけど、こんなふうな、いかにも京都の人間が考えそうなことを言いながら、私らの店に来てくれるお客さんが「それなり」にいたわけです。

まあ、街もいい具合にすいてるし、店の予約も取りやすいし、ということで、コロナ禍の間もそういったお客さん達にしっかり支えていただきました。

2023年5月の5類移行から、コロナも一段落、しかも円安やということで、京都はまた、あっという間に外国人でいっぱいになってしまいました。でも、これは以前からですが、私らは外国人客を4割以上取らないことにしています。

なぜか。答えはシンプルです。そうじゃないと、地元のお客さん、日本のお客さんにうちの店を楽しんでもらえなくなる。地元の人、日本のお客さんが入れない店って、いくら流行っていても、それはおかしいのとちゃうか、と思てます。

まあ、えらそうに言うわけではありませんが、そういうふうに決めておかないと「外国人のための施設」になってしまう。私は、それはあかんわ、と思う方なんです。

いまは、外国からのお客さんがぎょうさんお金を払ってくれる。向こうの人にしてみれば、日本に来たら円安の時代ですから何でも安い。

私もこの前台湾に行ってきましたが、日本の国力の低下を実感してきました。昔は円高でしたから台湾にしろシンガポールにしろ何でも安く買えるという感覚でしたが、いまは全く逆。向こうの人達が日本に来て、京都に来て、どんどん円を使うてくれはる。

ですから、外国人を相手にした方が店は儲かります。当然の話です。

でも、そうやって儲かって何やねん、という話もあります。私は、こっちの話の方に乗ります。儲かっても、それは何のためやねん、誰のためやねん、というわけです。

創業の「一代目」さんと老舗の「ぼん」

儲かったからといって、利益をぎょうさん出したところで、どうするんや、税金にみんな持っていかれるだけやないか、というわけですが、私が見るところ、こういう話は京都では「一代目」の店、つまり「創業者の店」で多いように思います。

結局、京都の料理屋の「一代目」の人達は、たとえば外国の人ばかりを相手にした商売して、お客さんがいっぱいになって、「一人前になったら、かっこいい外国車に乗りたいな」といった夢をかなえた。そういう夢を励みにして商売をやってきたんや、というわけです。

一生懸命やって、お金が入ってくるようになると、フェラーリを3500万円で買ったりする。祇園のクラブに行って、毎日のように酒飲んだりするようになる。そして、結局、国税に入られてぎょうさん税金を取られたりするわけです。

あんた、そんなにほうけている場合とちゃうでと、言うてあげたのに、懲りもせずにまた新しい彼女を作ってみたり、そういうことをする。

それも創業者で、一代で一生懸命やってきて、金儲けて独り立ちした、だからそういうことがやりたいというのは、私もよくわかるんですよ。わかりますけど、「一生懸命」の、その方向性が違うんやないか、ということなんです。

その点、いわゆる老舗の「ぼん」連中はどうかと言うと、ちょっと違ってきます。

「ぼん」連中は、何代も続いている家の子やから「ぼん」じゃないですか。大体が、お金のある家の子。それがみんな、ちっこい車に乗って走り回ってる。

「お前、この前買うた言うてたBMWのでかいやつはどうしてんねん」と訊いたら、「あんなのでこの街は走れませんよ」と言う。「あんなの停めるところもないし、大変ですよ」と言う。さらに「走れたら充分。これで充分ですわ」とか言って涼しい顔してる。

先のフェラーリ買うたとかいう人らと別に、この「ぼん」らはそんなことに価値を求めていない。細い路地が多い街を走るんやったら、これで充分。走るんやったらちっこい車で充分、いや、その方がいいと言うんです。

それくらい、創業者、一代目でブイブイ言わしてる若い連中と、京都の「ぼん」連中は持ち味も価値観も相当違う。

そこで、この連中をごちゃ混ぜにしたら、ちょっとおもしろい化学反応が起こるかもしれんなと思って、そういう機会を作ったんですが、失敗しました。うまくいきませんでした。やっぱり、合わないんです。

合わない、というのは、こういうことです。

一代目でやってきた連中は、「お前らがへらへら学生やってる時に、俺らは歯を食いしばって頑張ってきたんや」という思いが強烈にある。「お前らに決して負けへん」と思っているわけです。

一方、「ぼん」連中は何も思っていない。何も意識してないから、「あの人らは言葉に圧がある」とか、果ては「こわい」とか言う。「こわいやろな」と思います。創業者、一代目の連中は、「いけいけ」「攻撃的」、英語で言うたら「アグレッシブ」ですからね。

「ぼん」連中は皆それなりに、同志社とか立命館、そこらへんの大学ぐらいは出ているわけで、下手したら大学院に行って、皆それなりのものを見て、聞いて、この商売を継いでいる。あんまり「アグレッシブ」やらの気持ちは持ったことのない連中です。

そんなこんなで、「ぼん」連中は何も意識してへんけど、一代目の連中はかなり意識している。こういうわけです。


文/村田吉弘

ほんまに「おいしい」って何やろ?

村田 吉弘
ほんまに「おいしい」って何やろ?
2024/9/26
1,980円(税込)
248ページ
ISBN: 978-4087817591
著者の村田氏は、京都の老舗料亭「菊乃井」の跡取りとして生まれ、「ほんまにおいしいものって何や?」ということを追及して70余年。
世界中の美食を食べ歩き、味覚そのものを研究するアカデミーを作り、「日本料理店」として現在まで本店・支店で併せて7つものミシュランの★(星)を獲得し続けている「料理界のカリスマ」である。
アラン・デュカスをはじめフランス料理のカリスマ・シェフたちとの交流も深く、アカデミーの仲間たちとともに「和食」をユネスコの無形文化遺産にも押し上げた。
広島サミットの料理は各国首相に絶賛された。料理界を代表する文化人として史上初めての黄綬褒章を受け、文化功労者にもなり、「京都の伝統や日本文化のご意見番」としても知られている。
そんな村田氏も若き頃は、フランス料理のシェフをめざして行ったパリで放浪生活を送り、ソルボンヌの学食やフランス料理のレストランで受けた人情の温かさに感動する。
やがてフランス料理の文化的な奥深さに感じ入り、自分がなすべき仕事は「日本料理」と自覚する。
日本に帰ってきたあとは、修行先で包丁を突き付けられるほどのいじめにあうが、人の嫌がることを率先して引き受け何倍も働き、次第に周囲に実力を認められていく。
初めて店長を任された新店に閑古鳥が鳴く中、夜の商売のお客から大会社の会長まで、皆から何かを教えられ、やがて一流の料理人として、経営者として成長していく。
昨今の、おおげさに「うま~い、おいしい」を繰り返すテレビのグルメ番組や、「お金さえだせば、おいしいものを食べられる」と勘違いするグルメ・ブームには、ぴしゃり!とダメだしをしつつ、身近な給食や家庭の手料理まで「おいしさの本質」を追及し、後進を育てている。
抱腹絶倒! 歯に衣を着せぬ食の世界と波乱万丈な人生を語り、食の本質、食の未来を熱く迫る! (豪華カラー口絵つき!)


 
 
 
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「コロナ禍で京都の料亭は1軒もつぶれていない」というウワサは本当か? 老舗料亭の三代目が語る、創業「一代目」と「ぼん」の経営の違い

2024年12月15日 14時25分51秒 | ニュース
 

「コロナ禍で京都の料亭は1軒もつぶれていない」というウワサは本当か? 老舗料亭の三代目が語る、創業「一代目」と「ぼん」の経営の違い

「コロナ禍で京都の料亭は1軒もつぶれていない」というウワサは本当か? 老舗料亭の三代目が語る、創業「一代目」と「ぼん」の経営の違い

「コロナ禍で京都の料亭は1軒もつぶれていない」というウワサは本当か? 老舗料亭の三代目が語る、創業「一代目」と「ぼん」の経営の違い

(集英社オンライン)

世界中の美食を食べ歩き、味覚そのものを研究するアカデミーを作り、「日本料理店」として現在まで本店・支店で併せて7つものミシュランの星を獲得し続けている「料理界のカリスマ」こと、「菊乃井」の村田吉弘氏。

そんな村田氏の近著『ほんまに「おいしい」って何やろ?』より、コロナ禍以降の料亭、料理屋の在り方について一部抜粋、再構成して分析する。

京都の料亭は「コロナ禍」でもつぶれなかった?

どなたかの演説で「人生には上り坂、下り坂だけやなしに、まさか、という坂がある」というのがありました。

この話がえらく受けたようで、いろんなところでこの「まさか」というのが使われているようですが、2020年2月の横浜港に寄港した国際クルーズ船騒動から始まった3年間の「コロナ禍」は、日本中の人々に、さまざまな形の「まさか」を味わわせたことやと思います。

「まさか」、言い換えれば「想定外」。私らにとって、ほんとに「お上(政府)」が「家から出るな」「旅行に行くな」「飲食店に行くな」と言いだすとは思いませんでした。

こんな事態、想像できるわけがありません。「まさか」中の「まさか」、「想定外」の100乗です。

日本中の町がひっそりと静まりかえり、コンサートの歌声が消え、祭りのワッショイがなくなり、飲食店から「おいしい!」「乾杯!」の歓声が聞こえなくなりました。

とりわけ、飲食業などは、コロナ流行の大もとのように言われて、非常に悔しい思いをした同業者も多かったと思います。

そうして、「コロナ禍」が当初の予想より長引くうちに、多くの飲食店が店を畳みました。皆さん、できる限りの努力をされた末の、苦渋の決断だったに違いありません。

そうしたなかで、京都の料亭、料理屋はやめたところが1軒もない、という話が、まるで奇跡を語るかのように広まっていったと聞いています。

「コロナ禍」によって、インバウンドをはじめ観光客が激減する状況を鑑みれば、観光都市・京都などは相当打撃を受けているだろう、京都の飲食業は大変だろうと、皆さんが思われるのも無理のないところ。

ですから、京都の料理屋、料亭が1軒もつぶれんのは何でや、と疑問に思われるのも当然のことです。でもそれは、噂でも、奇跡でもなく、まぎれもない事実です。京都にとっては、普通のこと、奇跡でも何でもありません。

逆に言えば、コロナ禍の観光客激減によって、久しぶりに京都の人のための京都の街が戻って来た、ということだったのかもしれません。

外国人客を4割以上取らない

先に、京都の料理屋、料亭は町衆と共にある、という話をさせてもらいましたが、その京都の町衆は、「コロナ禍」のなかでこんなことを言うてました。

「コロナのこんな時期やけど、カウンターやなくて座敷やったらええんちゃうか」

「大勢で行くな言われてるけど、嫁さんと2人やったらええのんちゃうか」

小池百合子都知事が聞いたら目をむくかもしれませんけど、こんなふうな、いかにも京都の人間が考えそうなことを言いながら、私らの店に来てくれるお客さんが「それなり」にいたわけです。

まあ、街もいい具合にすいてるし、店の予約も取りやすいし、ということで、コロナ禍の間もそういったお客さん達にしっかり支えていただきました。

2023年5月の5類移行から、コロナも一段落、しかも円安やということで、京都はまた、あっという間に外国人でいっぱいになってしまいました。でも、これは以前からですが、私らは外国人客を4割以上取らないことにしています。

なぜか。答えはシンプルです。そうじゃないと、地元のお客さん、日本のお客さんにうちの店を楽しんでもらえなくなる。地元の人、日本のお客さんが入れない店って、いくら流行っていても、それはおかしいのとちゃうか、と思てます。

まあ、えらそうに言うわけではありませんが、そういうふうに決めておかないと「外国人のための施設」になってしまう。私は、それはあかんわ、と思う方なんです。

いまは、外国からのお客さんがぎょうさんお金を払ってくれる。向こうの人にしてみれば、日本に来たら円安の時代ですから何でも安い。

私もこの前台湾に行ってきましたが、日本の国力の低下を実感してきました。昔は円高でしたから台湾にしろシンガポールにしろ何でも安く買えるという感覚でしたが、いまは全く逆。向こうの人達が日本に来て、京都に来て、どんどん円を使うてくれはる。

ですから、外国人を相手にした方が店は儲かります。当然の話です。

でも、そうやって儲かって何やねん、という話もあります。私は、こっちの話の方に乗ります。儲かっても、それは何のためやねん、誰のためやねん、というわけです。

創業の「一代目」さんと老舗の「ぼん」

儲かったからといって、利益をぎょうさん出したところで、どうするんや、税金にみんな持っていかれるだけやないか、というわけですが、私が見るところ、こういう話は京都では「一代目」の店、つまり「創業者の店」で多いように思います。

結局、京都の料理屋の「一代目」の人達は、たとえば外国の人ばかりを相手にした商売して、お客さんがいっぱいになって、「一人前になったら、かっこいい外国車に乗りたいな」といった夢をかなえた。そういう夢を励みにして商売をやってきたんや、というわけです。

一生懸命やって、お金が入ってくるようになると、フェラーリを3500万円で買ったりする。祇園のクラブに行って、毎日のように酒飲んだりするようになる。そして、結局、国税に入られてぎょうさん税金を取られたりするわけです。

あんた、そんなにほうけている場合とちゃうでと、言うてあげたのに、懲りもせずにまた新しい彼女を作ってみたり、そういうことをする。

それも創業者で、一代で一生懸命やってきて、金儲けて独り立ちした、だからそういうことがやりたいというのは、私もよくわかるんですよ。わかりますけど、「一生懸命」の、その方向性が違うんやないか、ということなんです。

その点、いわゆる老舗の「ぼん」連中はどうかと言うと、ちょっと違ってきます。

「ぼん」連中は、何代も続いている家の子やから「ぼん」じゃないですか。大体が、お金のある家の子。それがみんな、ちっこい車に乗って走り回ってる。

「お前、この前買うた言うてたBMWのでかいやつはどうしてんねん」と訊いたら、「あんなのでこの街は走れませんよ」と言う。「あんなの停めるところもないし、大変ですよ」と言う。さらに「走れたら充分。これで充分ですわ」とか言って涼しい顔してる。

先のフェラーリ買うたとかいう人らと別に、この「ぼん」らはそんなことに価値を求めていない。細い路地が多い街を走るんやったら、これで充分。走るんやったらちっこい車で充分、いや、その方がいいと言うんです。

それくらい、創業者、一代目でブイブイ言わしてる若い連中と、京都の「ぼん」連中は持ち味も価値観も相当違う。

そこで、この連中をごちゃ混ぜにしたら、ちょっとおもしろい化学反応が起こるかもしれんなと思って、そういう機会を作ったんですが、失敗しました。うまくいきませんでした。やっぱり、合わないんです。

合わない、というのは、こういうことです。

一代目でやってきた連中は、「お前らがへらへら学生やってる時に、俺らは歯を食いしばって頑張ってきたんや」という思いが強烈にある。「お前らに決して負けへん」と思っているわけです。

一方、「ぼん」連中は何も思っていない。何も意識してないから、「あの人らは言葉に圧がある」とか、果ては「こわい」とか言う。「こわいやろな」と思います。創業者、一代目の連中は、「いけいけ」「攻撃的」、英語で言うたら「アグレッシブ」ですからね。

「ぼん」連中は皆それなりに、同志社とか立命館、そこらへんの大学ぐらいは出ているわけで、下手したら大学院に行って、皆それなりのものを見て、聞いて、この商売を継いでいる。あんまり「アグレッシブ」やらの気持ちは持ったことのない連中です。

そんなこんなで、「ぼん」連中は何も意識してへんけど、一代目の連中はかなり意識している。こういうわけです。


文/村田吉弘

ほんまに「おいしい」って何やろ?

村田 吉弘
ほんまに「おいしい」って何やろ?
2024/9/26
1,980円(税込)
248ページ
ISBN: 978-4087817591
著者の村田氏は、京都の老舗料亭「菊乃井」の跡取りとして生まれ、「ほんまにおいしいものって何や?」ということを追及して70余年。
世界中の美食を食べ歩き、味覚そのものを研究するアカデミーを作り、「日本料理店」として現在まで本店・支店で併せて7つものミシュランの★(星)を獲得し続けている「料理界のカリスマ」である。
アラン・デュカスをはじめフランス料理のカリスマ・シェフたちとの交流も深く、アカデミーの仲間たちとともに「和食」をユネスコの無形文化遺産にも押し上げた。
広島サミットの料理は各国首相に絶賛された。料理界を代表する文化人として史上初めての黄綬褒章を受け、文化功労者にもなり、「京都の伝統や日本文化のご意見番」としても知られている。
そんな村田氏も若き頃は、フランス料理のシェフをめざして行ったパリで放浪生活を送り、ソルボンヌの学食やフランス料理のレストランで受けた人情の温かさに感動する。
やがてフランス料理の文化的な奥深さに感じ入り、自分がなすべき仕事は「日本料理」と自覚する。
日本に帰ってきたあとは、修行先で包丁を突き付けられるほどのいじめにあうが、人の嫌がることを率先して引き受け何倍も働き、次第に周囲に実力を認められていく。
初めて店長を任された新店に閑古鳥が鳴く中、夜の商売のお客から大会社の会長まで、皆から何かを教えられ、やがて一流の料理人として、経営者として成長していく。
昨今の、おおげさに「うま~い、おいしい」を繰り返すテレビのグルメ番組や、「お金さえだせば、おいしいものを食べられる」と勘違いするグルメ・ブームには、ぴしゃり!とダメだしをしつつ、身近な給食や家庭の手料理まで「おいしさの本質」を追及し、後進を育てている。
抱腹絶倒! 歯に衣を着せぬ食の世界と波乱万丈な人生を語り、食の本質、食の未来を熱く迫る! (豪華カラー口絵つき!)
 
 
 
 
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