広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

卒業式の歌

2014-03-11 23:55:51 | その他もろもろ
今日で東日本大震災から3年。
3年前ほどではないが、今年も秋田は春はまだ遠く感じる天候だった。
心情は1年前と同じ。まだまだ避難生活を余儀なくされる人がたくさんいたり、原発事故の後始末もできていないのに、オリンピックだ原発再稼働だなんて言っていいのだろうか。



卒業式(卒業証書授与式)シーズン。
卒業式で歌う歌といえば、どんなものが思い浮かぶでしょう?
正統派は「蛍の光」と「仰げば尊し」だけど、今は少数派か。
最近は1991年に埼玉県秩父市立影森中学校の先生たちが作った合唱曲「旅立ちの日に」など、新しい曲が好まれているらしい。


僕の場合、振り返ってみれば「仰げば尊し」は歌ったことがないはず。(高校の記憶が抜け落ちてしまっているけど、たぶん…)
歌ったのは、以下のような曲。
幼稚園の卒園式では「おもいでのアルバム(作詞:増子とし、作曲:本多鐵麿)」。
NHK「みんなのうた」でも放送された「♪いつのことだか 思いだしてごらん あんなことこんなこと あったでしょう」。

曲の発表は古く、1959(昭和34)年とのこと。作詞者、作曲者とも、保育園や幼稚園の園長。作詞者はクリスチャン(キリスト教系の園というわけではない?)だったといい、作曲者はお寺の住職だから仏教系の園だったのだろう。
当初は細々と歌われていたのかもしれないが、「みんなのうた」で1981(昭和56年)から2年連続で放送されて、広まったようだ。その頃には作曲者は既に他界されていた。僕が幼稚園を卒園したのは、まさにその放送直後だった。
※1981年版はダーク・ダックス、1982年版は芹洋子が歌う。どちらも編曲は服部克久だがアレンジは異なる。アニメーションは同じ。両バージョンとも1983年以降現在まで何度も再放送されている(今年はなし)。

「おもいでのアルバム」は長い歌で、7番まである。プロローグ(♪いつのことだか)・春・夏・秋・冬・冬・エピローグ(♪1年中を)という構成。
5番と6番で2回「♪冬のことです」が出てくる。5番は「♪もみの木飾ってメリークリスマス」とクリスマスを祝う情景、6番は「♪寒い雪の日にあったかい部屋で」と冬の日常風景が歌われている。
当初は、6番はなかったそうだ。キリスト教系ではない園にも配慮して、6番が後から作られたという。作詞作曲者が現場を知る関係者ならではの配慮だ。
でも、実際のところキリスト教系以外の園でもクリスマス行事はやっているのではないだろうか。(僕はキリスト教系幼稚園で七五三をやったし…)

みんなのうたでは、時間の都合(いわゆる「尺」)からか1番、2番(春)、7番だけが歌われていた。(鈴木康彦によるアニメーションは、3~6番の歌詞にもちなんだものもダイジェスト的に出てくる。サンタクロースの鼻がでかく、衣装が若干おかしいのが印象にある)
僕の幼稚園でも、園児に全部覚えさせるのは難しいから、どこか端折っていたかもしれない。
ちなみに、「みんなのうた」を含めてよく知られた歌詞では2~6番の歌い出しは「♪○のことです」だが、レコード会社の違いか「♪○のころ(頃)です」という歌詞になっている場合もあるらしい。

最近は「大きくなっても(作詞作曲:柚 梨太郎)」という歌が人気だそうだ。


僕が小学生の真っ最中だった1985年には、「みんなのうた」で「ありがとう さようなら」という曲が放送された。(僕の記憶では「ありがとう・さようなら」と中黒が入っていたはずだが、みんなのうたの公式ページでは半角スペース)ちょうど今月、Eテレで再放送されている。

作詞:井出隆夫(「にこにこぷん」作者・挿入歌作詞)、作曲:福田和禾子(「北風小僧の寒太郎」等多数)と、いかにも当時のNHKらしいコンビの作品。1984年から始まった教育テレビのチョーさんの「たんけんぼくのまち」のテーマ曲もこのコンビ。
歌は、男女デュエットで中井貴一、吉田直子(東京放送児童合唱団)。中井貴一とは、今のNHKとしては「サラメシ」でご活躍のあの中井さんで、当時23歳。
映像は、木造校舎内外のスチール写真を中心とした実写。合成でサッカーボールが飛んでくる(画面上を移動するだけ?)のが、インパクトがあった。

卒業に当たって先生やともだちに「ありがとう さようなら」を伝えるだけのシンプルな内容だが、それは卒業生の気持ちの本質でもあり、いい歌だと思う。言っていることは「仰げば尊し」とほぼ同じか。
これを卒業式で歌った小学校もあるようだ。


この頃から、歌ではなく「呼びかけ」というものを行う学校も出てきたと思われる。
「僕たち」「私たちは」「この学校を卒業します」などと、児童が声を合わせて(あるいは部分的に一人で)発声し、ストーリーを語っていくもの。陣内智則のコントにも出てくる。


僕の小学校の卒業式では、呼びかけはなく(卒業式以外のイベントではやったことがあった)、「卒業式の歌(オペレッタ演奏会形式による)」というのを歌った。これは、知る人ぞ知る卒業式ソング。
以下この曲名は「卒業式の歌」と表記します。(以下参考:「Excite Bit・15分強! 全員参加の壮大な『卒業式の歌』って?」http://www.excite.co.jp/News/bit/E1237218955213.html)

構成・作詞:小林純一、作曲・編曲:西崎嘉太郎で、20年ほど前に刊行された教育研究社「卒業の歌 ピアノ伴奏集」に載っていたそうだ。その後、「行事の歌 ピアノ伴奏集」にも掲載されたが、どちらも絶版になっているとのこと。(作られたのは、それよりさらに以前。昭和40年代には存在したようだ)
ネットで見ると、全国的に卒業式で歌ったという思い出をけっこう見かけ、今年も歌っている学校がちらほら存在する。歌詞とメロディは覚えていても無味乾燥なタイトルで、記憶にない人も多いようだ。
秋田市立では、昭和末期において少なくとも2つの小学校では歌っていた。
【2015年3月7日追記】秋田のローカルタレント石垣正和氏が、卒業式の思い出として、小学校で歌ったことを話していた。ということは、石垣さんの出身地である羽後町の小学校で、昭和40年代(?)には歌われていたのだろう。【2015年9月11日追記】石垣さんは1962年3月25日生まれだとか。となると、小学校卒業は1973=昭和48年度(1974年3月)。

「オペレッタ形式」は訳せば「歌劇」ということになるか。実際には、踊りや振付はなく、ピアノ伴奏による合唱形式。
特徴的なのは、歌詞もメロディも違う複数の曲を組み合わせて構成されており、卒業式に出席する全員が歌う場面があることだろう。
ざっとこんな構成。
プロローグ(全員)「♪うららかに 春の光が降ってくる」
1~3年生「♪仲良く遊んでくださった 6年生のお兄さん」
4・5年生「♪良い日この日 あなたがたは この学校をご卒業」
先生(と父兄・来賓)「♪君たちよ 光は空に満ちている」
卒業生「♪春夏迎える数 六たび」~「仰げば尊し」1番
エピローグ(全員)「♪美しく 春の光が降ってくる」~蛍の光(1番を歌唱後、ハミング)
卒業式の出席者がそれぞれ卒業生を歌で送り、それに卒業生が応える内容。(在校生のパートの後にも、卒業生が「♪ありがとう君たち」「♪さよなら君たち」と応える短いフレーズがある)
さらに仰げば尊しも蛍の光も含まれていて、この歌1つで卒業式で歌うべき歌(国歌、校歌は別として)が済んでしまうのです!
ただし、プロローグ・エピローグ以外はどれも2番まであり、長い。上記参考リンクには、通しで歌うと15分以上かかるとある。

僕の小学校では、在校生で卒業式に参列するのは、たしか4年生以上だけだった。低学年はお休み。【16日補足】3年生以下の総称としては「下学年」かな。
たしか僕が5年生の時に、学校としても初めてこの「卒業式の歌」を歌うことになったようで、その年は、ほぼ譜面通りにそのまま歌った。ただし、低学年がいないため、1~3年生のパートを4年生が、4・5年生のパートを5年生だけが歌うように振り替えた。(最後の蛍の光はなかったかも)

すると、子どもでも分かる問題点が、いくつか発生した。
・低学年のパートを4年生が歌うのは、若干無理がある
・先生のパートになると、とたんに声量が小さくなり、しらけてしまう(1人大声で歌っていた先生もいたけれど)
・内包される「仰げば尊し」の歌詞全般のほか、「六年の学業を終えて」「春夏迎える数(かず) 六度(むたび)」など、小学生には難解だったり、「運動場(→グラウンド)」「この講堂(→式場は体育館)」など実態とそぐわない歌詞がある
・各パートも、また全体的にも、長すぎる

そんな反省点を踏まえて、僕たちが卒業した翌年度は、次のように改善された。
・「1~3年生」「先生」のパートをカット
・在校生は「4・5年生」のパートだけ(つまり譜面の表記通り)で、1番のみ
・「卒業生」のパートをカットし、「巣立ちの歌(作詞:村野四郎、作曲:岩河三郎)」に差し替え
・以上により、大幅な時間短縮を実現
つまり、元々の「卒業式の歌」から残ったのは、プロローグとエピローグ、4・5年生のパートだけということになる。エピローグの割り振りも若干変更された。
「仰げば尊し」を含む卒業生のパートは見る影もなくカットされ、これはもう学校オリジナルの構成といってもいいかもしれない。

それでも、音楽の先生によるピアノ伴奏がたいへんそうだったし、プロローグとエピローグの「♪桜よ かおれ」が秋田では時期的に早くてふさわしくないとも感じる。
エピローグの最後では、「♪お幸せに」「♪さよならさよなら ごきげんよう(淀川さんと小堺さんみたいだけど)」と、卒業生以外の参列者と卒業生が別れの言葉を掛けあってクライマックスを迎えるが、ここは旅立ちにふさわしいいい雰囲気。【12日追記】プロローグとエピローグの「♪良い日よ 良い日よ 良い日よ 良い日よ 良い日今日は」はちょっとしつこい。


「卒業式の歌」は、全国的に散発的に歌う学校が存在する(もしくは存在した)。特に昭和40~50年代には盛んだったようで、熊本、島根、福井、長野などではわりとメジャーだったような情報もある。
僕の小学校のように、部分的なカットや歌詞の差し替え(学校に合わせた“替え歌”など)、さらに呼びかけの挿入が行われることも少なくないようだ。
僕の小学校のように、初めて歌ったのが昭和末期というのは、遅いほうだろう。今思えば、その前後の年に音楽専科だった先生が退職されたり、別の音楽の先生が担任を外れて教務主任になり、さらに教頭・校長が代わったりといった異動があったので、そんなことが関係していたのかもしれない。
卒業式で歌った歌でいちばん印象に残るのが、小学校での「卒業式の歌」だった。

【2024年11月10日追記】2024年11月10日放送のテレビ朝日「ナニコレ珍百景」で、ゲストの伊集院光(1967年、東京都荒川区出身)が、自分の学校では歌ったが、他校では誰も知らない歌があったとして、「卒業式の歌」の下学年パートと先生パートを歌ってみせた。自分のラジオ番組で話したところ、全国から5件ほど、知っているという声が寄せられたとのこと。ナニコレの字幕では「おそらく「卒業式の歌(オペレッタ演奏会形式による)」」と補足あり。


中学校では、送る側は「蛍の光」、卒業生は「巣立ちの歌」。
「巣立ちの歌」は「♪花の色 雲の影」が歌い出しで、1965年の作。当時(昭和末期~平成初期)ではわりとメジャーだったはず。
小学校でも歌ったので代わり映えしなかったのと、比較的淡々とした歌詞で、あまり強い印象に残らない曲かもしれない(悪くはないけれど)。

上記の通り、高校の卒業式はまったく記憶にない。
2年生の時の担任が「うちの高校の卒業式は『お涙ちょうだい』ではない式で、こういうのも悪くない」と言っていた記憶はあるので、淡々としたシンプルな式だったのだろう。
以上、思い出話でした。(尻切れとんぼ)
コメント (8)
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