年度末の異動シーズン。
今年の秋田県の公立学校の人事異動は、23日・日曜日に発表された(同日13時から記者会見が行われた)。※昨年の記事
土日に異動の発表が行われるとは異例のようにも感じる。過去にあっただろうか?
内示は20日だろう。翌21日は祝日、22日は土曜日といずれも閉庁日だし、年度末で後の日程がつかえているなどの理由で、24日以降にはできなくて、日曜に行ったのだろうか。
そのためか、放送時間が少ない日曜のローカルニュースでは、報道しない局もあった(少なくともNHKとABS)。
新聞掲載は、例年通り翌日24日・月曜。(魁の夕刊があった当時は、発表日の夕刊に掲載されていた。仮に今夕刊があっても、日曜は夕刊はなし。どうしていただろう)
今日の秋田魁新報は、1面の記事(例年より小さいような気がする)と3面の解説と11~15面に名簿を掲載。
今年度から、定年退職者の再任用が始まり、高等学校13人など計22人が再任用された。昔でも、高校では定年退職した先生が授業を教えていたことがあったけど、あれは非常勤講師だったんだね。
現在の角館高校と角館南高校が統合して開校する新しい角館高校は、現在の角館南の校長が就任。現・角館校長は退職。
全日制の教頭2名は、いずれも高校教育課主任指導主事から起用。定時制の教頭は秋田高校教諭が就任。現在の各学校の教頭は他校へ異動(校長昇任を含む)してしまう。
現在両校に勤務していて、引き続き新・角館高校所属となる先生も、異動扱いとなり、名簿に掲載された。
全日制の「教諭」では現・角館から23名、角館南から16名が異動した。そのうち、現・角館高校から異動する先生の表記方法。
魁
魁では、新任校・現任校どちらも「角館」と表記するので「角館 角館 氏名」という、事情を知らない人はわけが分からないことになっている。
一方、朝日新聞の別刷り「教員異動特報」
朝日。文字は小さめで、新聞本文とは違う書体
こちらは統合後の角館高校を「角館(新)」と表記しており、これのほうが分かりやすい。(それでも統合を知らない人は悩むか)
ちなみに名簿の記載順は、魁は職名順(校長→副校長・教頭→教諭など上から)にそれぞれ高校→中学校→小学校の順なのに対し、朝日では小学校→中学校→高校の学校種順(魁と逆の順)でそれぞれの中で職名順になっているのがおもしろい。
23日付秋田魁新報に、秋田市の2人の女性が亡くなったことを伝える記事がそれぞれ出ていた。訃報記事というより、ニュースのような扱いで。
・社会面「八橋人形最後の伝承者、77歳 道川トモさんが死去」
秋田市中央部・八橋(やばせ)地区の工芸品で200年以上前から作られているという土人形 「八橋人形」がある。
京都伏見の人形師が来て伝えたそうで、初めは華やかなものだったのが、明治後期からは落ち着いた色彩と土の量感を感じられるようなものに変化していった。
八橋の天神信仰にちなむ天神様の人形が代表的で、「おでんつぁん」として親しまれてきた。(参考:秋田市観光サイト アキタッチ)
※「おでんつぁん」は意味としては「天神さん」なんだろうけど、語源は「お殿さん」なんだろうか?
その最後の作者が22日に亡くなった。
「道川家では代々、八橋人形を制作。トモさんは母親が亡くなってから20年以上、最後の職人」「体調の悪化で約2年前から人形を作っていない」とのこと。
【2014年10月30日追記】10月23日付朝日新聞秋田版で、国民文化祭に連動した展示会と後継について報道されていた。
「八橋地区には明治の頃まで(略・八橋人形を)制作、販売する店が軒を連ねたという。」
「戦後には道川家、遠藤家、高松家の3軒のみとなり、1980年代後半には道川トモさんだけに。」
「約20年前、当時の県民芸協会長らが、後継者を育てようと半年間の養成講座を開いた。(略)主婦10人が道川さんの指導を受けたが、結局、後継者は出なかった。」
「25年ほど前、道川さんに2年間、弟子入りし、店に作品を並べてもらえるまでになったが、破門されてしまった。」女性もいて、「先生は職人気質で、(略)他の仕事と掛け持ちの私を認めてくれなかった。」と話す。
没後、素焼きの人形や型は残っていて、親交のあった人が整理・保管しているので、八橋人形の復活は可能で、絵付け体験が行われているという。
【2015年6月25日追記】2015年に12名の有志により「八橋人形伝承の会」が発足し、6月24日から道川さんの親族の家を「八橋人形伝承館」とした工房で活動を開始した。遺族の了承を受けて90種類の型と800体の製作途中の人形を引き受け、週3回活動する。(2015年6月25日付秋田魁新報社説および秋田市地域面より)
【2018年11月21日追記】その後、2019年の年賀郵便切手・82円(くじ付き/なしとも)の絵柄に、八橋人形の亥がデザインされた。順調に復活が進み、秋田県外にも認知されつつあるようだ。
(以上追記)
・秋田市地域面「98歳の「看板娘」逝く 温かいもてなし、入浴客に愛される 「新屋温泉」高橋社長の母・マツさん」
秋田市南西部・新屋の公立美大や秋田西中のそばに、「福祉健康新屋温泉」がある。製材所の敷地内にある温泉で、塩分(とヨウ素もだっけ?)が多くて茶色いお湯と製材所らしく木材をふんだんに使った建物が特徴。
製材所の先代社長が、ここでは温泉など出ないと言われながらも1996年に見事に掘り当てたものの亡くなり、三男が後を継いで2003年に温泉施設を開業した。
その先代社長夫人が、10日に老衰で亡くなった。
1916年に五城目町の呉服屋の長女として生まれ、大曲女学校(現・大曲高)卒後、20歳で結婚。
温泉開業後は、「2012年に体調を崩すまで」「毎日、玄関に立」ち、お客に「いらっしゃいませ」「ありがとうございました。またおいでくださいませ」と声を掛けるなど、「看板娘」として親しまれた。
僕も何度か行ったことがあるが、たしかにおばあさんが玄関の奥のほうにいらして、声を掛けてくれた。
ここ数年は行っていないので、しばらくお目にかかっていなかったし、体調を崩されたのも知らなかったが、そんなお歳だったのか。
今年の秋田県の公立学校の人事異動は、23日・日曜日に発表された(同日13時から記者会見が行われた)。※昨年の記事
土日に異動の発表が行われるとは異例のようにも感じる。過去にあっただろうか?
内示は20日だろう。翌21日は祝日、22日は土曜日といずれも閉庁日だし、年度末で後の日程がつかえているなどの理由で、24日以降にはできなくて、日曜に行ったのだろうか。
そのためか、放送時間が少ない日曜のローカルニュースでは、報道しない局もあった(少なくともNHKとABS)。
新聞掲載は、例年通り翌日24日・月曜。(魁の夕刊があった当時は、発表日の夕刊に掲載されていた。仮に今夕刊があっても、日曜は夕刊はなし。どうしていただろう)
今日の秋田魁新報は、1面の記事(例年より小さいような気がする)と3面の解説と11~15面に名簿を掲載。
今年度から、定年退職者の再任用が始まり、高等学校13人など計22人が再任用された。昔でも、高校では定年退職した先生が授業を教えていたことがあったけど、あれは非常勤講師だったんだね。
現在の角館高校と角館南高校が統合して開校する新しい角館高校は、現在の角館南の校長が就任。現・角館校長は退職。
全日制の教頭2名は、いずれも高校教育課主任指導主事から起用。定時制の教頭は秋田高校教諭が就任。現在の各学校の教頭は他校へ異動(校長昇任を含む)してしまう。
現在両校に勤務していて、引き続き新・角館高校所属となる先生も、異動扱いとなり、名簿に掲載された。
全日制の「教諭」では現・角館から23名、角館南から16名が異動した。そのうち、現・角館高校から異動する先生の表記方法。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/20/f221748036e52420a2641d497aa9d6c2.jpg)
魁では、新任校・現任校どちらも「角館」と表記するので「角館 角館 氏名」という、事情を知らない人はわけが分からないことになっている。
一方、朝日新聞の別刷り「教員異動特報」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/eb/06c79e7a1655805556964ae6bccd8606.jpg)
こちらは統合後の角館高校を「角館(新)」と表記しており、これのほうが分かりやすい。(それでも統合を知らない人は悩むか)
ちなみに名簿の記載順は、魁は職名順(校長→副校長・教頭→教諭など上から)にそれぞれ高校→中学校→小学校の順なのに対し、朝日では小学校→中学校→高校の学校種順(魁と逆の順)でそれぞれの中で職名順になっているのがおもしろい。
23日付秋田魁新報に、秋田市の2人の女性が亡くなったことを伝える記事がそれぞれ出ていた。訃報記事というより、ニュースのような扱いで。
・社会面「八橋人形最後の伝承者、77歳 道川トモさんが死去」
秋田市中央部・八橋(やばせ)地区の工芸品で200年以上前から作られているという土人形 「八橋人形」がある。
京都伏見の人形師が来て伝えたそうで、初めは華やかなものだったのが、明治後期からは落ち着いた色彩と土の量感を感じられるようなものに変化していった。
八橋の天神信仰にちなむ天神様の人形が代表的で、「おでんつぁん」として親しまれてきた。(参考:秋田市観光サイト アキタッチ)
※「おでんつぁん」は意味としては「天神さん」なんだろうけど、語源は「お殿さん」なんだろうか?
その最後の作者が22日に亡くなった。
「道川家では代々、八橋人形を制作。トモさんは母親が亡くなってから20年以上、最後の職人」「体調の悪化で約2年前から人形を作っていない」とのこと。
【2014年10月30日追記】10月23日付朝日新聞秋田版で、国民文化祭に連動した展示会と後継について報道されていた。
「八橋地区には明治の頃まで(略・八橋人形を)制作、販売する店が軒を連ねたという。」
「戦後には道川家、遠藤家、高松家の3軒のみとなり、1980年代後半には道川トモさんだけに。」
「約20年前、当時の県民芸協会長らが、後継者を育てようと半年間の養成講座を開いた。(略)主婦10人が道川さんの指導を受けたが、結局、後継者は出なかった。」
「25年ほど前、道川さんに2年間、弟子入りし、店に作品を並べてもらえるまでになったが、破門されてしまった。」女性もいて、「先生は職人気質で、(略)他の仕事と掛け持ちの私を認めてくれなかった。」と話す。
没後、素焼きの人形や型は残っていて、親交のあった人が整理・保管しているので、八橋人形の復活は可能で、絵付け体験が行われているという。
【2015年6月25日追記】2015年に12名の有志により「八橋人形伝承の会」が発足し、6月24日から道川さんの親族の家を「八橋人形伝承館」とした工房で活動を開始した。遺族の了承を受けて90種類の型と800体の製作途中の人形を引き受け、週3回活動する。(2015年6月25日付秋田魁新報社説および秋田市地域面より)
【2018年11月21日追記】その後、2019年の年賀郵便切手・82円(くじ付き/なしとも)の絵柄に、八橋人形の亥がデザインされた。順調に復活が進み、秋田県外にも認知されつつあるようだ。
(以上追記)
・秋田市地域面「98歳の「看板娘」逝く 温かいもてなし、入浴客に愛される 「新屋温泉」高橋社長の母・マツさん」
秋田市南西部・新屋の公立美大や秋田西中のそばに、「福祉健康新屋温泉」がある。製材所の敷地内にある温泉で、塩分(とヨウ素もだっけ?)が多くて茶色いお湯と製材所らしく木材をふんだんに使った建物が特徴。
製材所の先代社長が、ここでは温泉など出ないと言われながらも1996年に見事に掘り当てたものの亡くなり、三男が後を継いで2003年に温泉施設を開業した。
その先代社長夫人が、10日に老衰で亡くなった。
1916年に五城目町の呉服屋の長女として生まれ、大曲女学校(現・大曲高)卒後、20歳で結婚。
温泉開業後は、「2012年に体調を崩すまで」「毎日、玄関に立」ち、お客に「いらっしゃいませ」「ありがとうございました。またおいでくださいませ」と声を掛けるなど、「看板娘」として親しまれた。
僕も何度か行ったことがあるが、たしかにおばあさんが玄関の奥のほうにいらして、声を掛けてくれた。
ここ数年は行っていないので、しばらくお目にかかっていなかったし、体調を崩されたのも知らなかったが、そんなお歳だったのか。