春の彼岸に入った。
秋田では、お盆ほど独特の風習はないかと思う。思い浮かぶのは、
・万灯火(まとび)
秋田県北部の中央部寄りの山間部・北秋田市合川や上小阿仁村辺りで行われる行事。
大文字焼きのような、火で文字を作るもので、迎え火みたいなもの。(地域によってはお盆にも行う)
・木で作った造花
秋田県北部では、木で花を作って、春彼岸に墓前に供えるそうだ。割り箸のような棒に、薄く削った木で花弁を付け、鮮やかに着色するもの。
春が遅くて生花が手に入らなかったことが起源なんだろう。
毎年2月頃になると、大館だったか鷹巣だったかで、お年寄りの団体が作る作業をしている風景が報道される。
【2016年3月20日追記】2016年2月17日時点では、大館市のスーパー・いとくでは、造花が既に売られていた。
【22日追記】
テレビのニュースによれば、内陸北部の鹿角市には「オジナオバナ」という彼岸の風習があるとのこと。
万灯火のように明かりを灯したり、ワラで作った小屋を燃やしたり(秋田市の楢山かまくらにどことなく似ている)するらしい。
【25日さらに追記】「オジナオバナ」は「おじいさん、おばあさん」という意味で、すなわち「祖先」を表しているとのこと。
秋田市周辺では、生花やぼたもち(春はぼたもち、秋はおはぎと区別するとか)をお墓に供えるという、ごく一般的なやり方が主流だと思う。
雪深い年や場所では、雪の中からお墓を掘るという作業が必要なこともあるけれど。
2011年の秋彼岸に、たけや製パンが「彼岸だんご」なるものを販売しているのを知った。工藤パンなど他社でもおはぎ・ぼたもちとともに、あんこが入って白い(または緑色)団子を彼岸用に作っているのだった。
今年の春彼岸も、スーパーにはいろいろな彼岸菓子が並んでいる。彼岸だんごは、たけやのものは見ていないが、岩手の白石食品(シライシパン)の彼岸だんごがあった。白と緑がセットで、表面に粉がまぶされていた。
他には、上新粉で作った1口サイズの白い餅をあんこの中に入れた、いわゆる「しんこ餅(秋田限定の呼び方?)」があった。
スーパーでは白玉粉を特設売り場で売っていることもあるので、こういうタイプの餅を供える場合もあるのだろう。
とあるしんこ餅
能代市の「セキトのしんこ」、秋田市千秋公園の「あやめだんご」と同じようなもの。
【22日追記】
秋田の「しんこ餅」とは、餅とあんこの組み合わせではあるが、「赤福」のような「あんころ餅」とは少々違う。
餅はつるんとしていて粘りは若干少なく、あんこがやや液状で量が多いのが特徴か。「あんこの中に餅が浸かっている」ような感じ。
この餅は、秋田県内陸部にある業者の商品。
たけやのような大手メーカーでも、自前の店を構えるお菓子屋さんでもなく、小売店に卸すための商品を専門に作る比較的小規模の会社のようだ。
秋田にはこういう所がいくつかあって、その商品がスーパーでよく売られている。
で、この商品を買ったのは、商品名にびっくりしたから。
「彼岸」はいいけど右側のラベル
「だんし(餡)」?!
「だんご」じゃなく、「だん”し”」!
談志師匠を連想してしまった。
あるいは、ご先祖を敬う「彼岸男子」か?
某大手スーパーで買ったのだが、店頭の値札にも、レシートにも、
「ダンシあん」
局所的な方言とか、だんごとは別にそういう食べ物があるとかいうわけではなさそうで、単なるラベルの入力間違いではないかと思う。(もし、そういう言葉や食品が実在するのなら、教えてください)
スーパーさんにしてみれば、商品に「だんし」と表示されている以上、POPやPOSも「ダンシ」と入力せざるを得なかったのだろう。
【20日追記】コメントで教えていただいたように「だんし」という食べ物(呼び名)が存在するとのこと。詳細は後で調べてみますが、とりあえず「だんご」を間違えて「だんし」にしたのではないことが分かったので、訂正致します。(当記事の文面は勘違いしていた初回アップ時のまま残します)末尾の追記もご覧ください。
今日、店頭に並んでいた商品も、やはり「だんし」表記だったそうだ。
狙ってやっているのか?
味のほうは、若干甘さがくどい気もするが、後味は悪くなく、餅の具合も良好。
ドンキー・ホテー、お歩道橋、ジズム経験、に続く、おもしろ表示でした。
【22日追記】「だんし」について改めて。※ネットでざっと調べた情報です。誤り等があれば、ご指摘ください。
ネットで「だんし」と検索すると「男子」や「談志」も含んでしまうので、「彼岸 "だんし"」などで検索。
秋田の方言で「~です」などの丁寧な語尾として「~だんし(だんす)」を使う地域もあり、例えば仙北市では「定住応援情報 えぐきてけだんし(=よく来ていただきました=ようこそ)」というホームページを開設していて、そんなのも検索に引っかかってしまった。
まず、秋田県以外では、彼岸あるいは餅・だんごと関係した「だんし」は見当たらず、秋田独自の呼称だと思われる。由来は不明だが、「団子」の読み方違いか?
秋田県農林水産部農山村振興課「美しき水の郷あきた」ホームページ内の「美食・秋田の食文化」の「節句、春彼岸のお供え」の中に「春彼岸のお供え・だんし‥彼岸には、先祖の霊に花やだんごや餅を供える習わしがある。 」として、やや大きめのだんごにあんこをからませた写真が出ている。
余談だが、「おやき(米から作るもので、信州のとは別物)」も「春の彼岸のお供えや子供たちのおやつとして人気がある。 」そうだ。
「聞き書「秋田の食事」日本の食生活全集 5 」という書籍(藤田秀司 他編、1986年農文協)の目次がネットで見られたが、「県北米代川流域の食」 の項目だけに「だんし」が出ている。
ネットで調べると、県北部・大館市の製粉所が地元の風習として紹介してるし、自宅や実家で作るという方々も、大館近辺の方が多い感じ。
ただし、今回購入した「だんし」は内陸南部・大仙市大曲製造。
我が家はそちら方面にはほとんどゆかりがないとはいえ、恥ずかしいことにまったく知らなかった。
いろいろな方々のブログ等を拝見すると、「『だんしもち』と呼び、墓参に持って行って供えた」「彼岸の期間中毎朝作る家もある」「つぶあんやきなこ、ゴマをまぶすものもある」。だんごの形状は「まん丸」のほか「白玉だんごを大きくしたような、扁平で中央部が凹んだ」ものもある。
以上をまとめると、「だんし」とは単なる餅菓子の一種の呼び名ではなく、「彼岸に仏前・墓前に備える餅菓子」というニュアンスがある、というかニュアンスが強いように感じた。
辞書風に定義づければ、
「秋田県内陸北部などにおいて、米粉で作っただんごにあんこなどをかけた餅菓子の呼び名。主に彼岸の供え物」といったところか。(合ってますでしょうか?)
スーパーの彼岸の特設売り場に白玉粉が置かれるのも、小さな「白玉だんご」を作るためでなく、この「だんし」を作る需要に応えてのものかもしれない。
【23日さらに追記】タイミングよく、23日付秋田魁新報「にちよう遊学空間」面(16面)の連載「あきた風土民俗考(秋田県民俗学会副会長・齊藤壽胤=さいとうじゅいん)」の「50 団子と野老」が紹介されていて、非常に参考になった。
「県内では彼岸に作る団子を一般に「ダンス(ダンシ)」といい、黄粉をまぶしたり、餡をかけたりする。素(白)団子は少ない。」「彼岸の墓参りでは、団子が欠かせない供物とされている。」とあり、やはりだんしは「彼岸の」だんごという意味合いが高そう。「だんす」とも呼ばれるのか。
葬儀でも団子を供える地域があるようで、それは素団子で、場所によっては麦粉を使うらしい。
由利本荘市の深沢(旧大内町で、羽越本線と日本海の間の山側の集落のようだ。日沿道大内ジャンクション南側の国道105号線が交差する辺り)では「彼岸の入り日には小豆をまぶした団子、中日にはぼた餅、過ぎ日(終日)には豆の粉をかけた団子を先祖に手向けるという。」。【関連があるかは不明だが、大内の産直で売られていた彼岸のお菓子】
秋田市にわりと近いところでも団子を供える風習はあり、ぼたもちと共存しているのか。
※秋田市周辺でも「だんし」「だんす」とは呼ばなくても、だんごを供える場所や家庭はそれなりにあるようだ。
また、横手市谷地新田では「春の彼岸中に団子が凍れば稲が不作になる」とされ、能代市鳥形では死者に最初に供える「早団子」は「長寿で死んだ人のものは色が黒くなり、若い人は白いままだと」いわれた。それを後から墓に供えて長寿や咳止めの薬として「奪い合って食べる風習もあった」とか。団子に単なる供え物以上の霊力を見出しているようだ。
タイトルにある「野老」は「ところ」と読み、ヤマノイモ科のつる性多年草。江戸時代の紀行家・菅江真澄が湯沢で彼岸に供えたり食べたりしたのを記録しており、能代市上母体では「野老の細長い根ひげを紐として、先祖があの世に戻る時に土産に団子を背負っていくため」に「墓に団子と、山から掘ってきた野老を供える」そうだ。
「だんし」を通して風習とはさまざまあると感心すると同時に、せめて記録として後世に伝えていかないとならないと痛感させられた。
【9月23日追記】2014年の秋彼岸では、「だんし」を売っているのを見なかった。
春に売られていた店でも、おはぎメインで他にはまんじゅうやたけやの彼岸だんご程度。白玉粉などを特設コーナーで売っていた店はあり、家庭では作るところもあるのかもしれないが、一般的には「だんし」は春彼岸限定の風習なのだろうか。
【2015年3月25日追記】2015年春彼岸には「だんし」を見かけた。おはぎについてはこの記事にて。
※2016年春にも見かけたが、扱う店は以前より減ったような。イオンリテール秋田中央店では、毎年継続して販売。
さらに、2016年3月20日付秋田魁新報 週刊NIE欄の4コマ漫画「きりタン君」605話(こうまそうすけ絵・作)でも取り上げられた。「あんをからめたおもちのこと」「県北でよく作る」と説明され、「だんしなだけに男子が作るのよ」と、主人公が作らされるというオチ(実際にはそのような風習はないはず)。材料の袋には「もち粉」と書かれていた。
※2017年秋彼岸では、秋田市内店舗では見かけず。どちらかといえば春彼岸のものなんだろうか。
※2018年春彼岸、2019年春彼岸のイオン秋田中央店では、写真と同じものが売られた。
【2020年8月21日追記】
文化庁文化財部伝統文化課が2013年に発行した「平成二四年度・変容の危機にある無形の民俗文化財の記録作成の推進事業 阿仁地方の万灯火」に、同地域の春彼岸の風習が記述され、「春彼岸の墓参りの供物といえば「ダンシ」である。」として登場。
「直径三〜四センチほどに丸め、中央をへこましたものを作り、小豆餡やキナコ、ゴマなどをまぶしたものである。」として、大きめの白玉団子にしんこ餅のようにあんこがからまった写真も掲載。
また、「旧阿仁町の根子などでは、小豆餡を中に入れた大きめのものを作る。中に餡を入れると「ダンゴ」という」。
ダンシは小皿に2~3個盛って、仏壇、神棚、床の間などに供える。昔は重箱に大量に作り、親戚、無縁仏、六地蔵などにも供えたとのこと。
ほかに、雪深い地域なので、生花が手に入らなかった地域なので、木製の造花を供えるのは知っていたが、「花ダンゴ」といって色付けてさまざまな形(星や鳥等々)にしただんごを、ミズキの枝に刺して、墓に持っていく風習もあるとのこと。
春彼岸だけの行事である万灯火の記録なので、秋彼岸の言及は少ないが、阿仁では秋彼岸には墓参をしない地域もあるとのこと。農繁期であることも理由の1つらしい。
2005年「五城目町史デジタルデータ」にも、春彼岸はダンシを作って墓参りするとある。秋彼岸は「春と変わりない」だけ記載。
【2020年9月14日付のコメントで、大館など県北部の彼岸餅事情を教えていただいたので、参照。】
※2020年秋彼岸に北秋田市鷹巣や大館の餅事情を見た。
【2021年8月15日追記】彼岸でなく8月お盆だが、山形県庄内地方では、「水餅」と言って、ついた餅を水に入れたものに、あんこや納豆をまぶして食べたり供えたりするとのこと。スーパーでも販売される。だんしに通ずるものがあるかもしれない。
秋田では、お盆ほど独特の風習はないかと思う。思い浮かぶのは、
・万灯火(まとび)
秋田県北部の中央部寄りの山間部・北秋田市合川や上小阿仁村辺りで行われる行事。
大文字焼きのような、火で文字を作るもので、迎え火みたいなもの。(地域によってはお盆にも行う)
・木で作った造花
秋田県北部では、木で花を作って、春彼岸に墓前に供えるそうだ。割り箸のような棒に、薄く削った木で花弁を付け、鮮やかに着色するもの。
春が遅くて生花が手に入らなかったことが起源なんだろう。
毎年2月頃になると、大館だったか鷹巣だったかで、お年寄りの団体が作る作業をしている風景が報道される。
【2016年3月20日追記】2016年2月17日時点では、大館市のスーパー・いとくでは、造花が既に売られていた。
【22日追記】
テレビのニュースによれば、内陸北部の鹿角市には「オジナオバナ」という彼岸の風習があるとのこと。
万灯火のように明かりを灯したり、ワラで作った小屋を燃やしたり(秋田市の楢山かまくらにどことなく似ている)するらしい。
【25日さらに追記】「オジナオバナ」は「おじいさん、おばあさん」という意味で、すなわち「祖先」を表しているとのこと。
秋田市周辺では、生花やぼたもち(春はぼたもち、秋はおはぎと区別するとか)をお墓に供えるという、ごく一般的なやり方が主流だと思う。
雪深い年や場所では、雪の中からお墓を掘るという作業が必要なこともあるけれど。
2011年の秋彼岸に、たけや製パンが「彼岸だんご」なるものを販売しているのを知った。工藤パンなど他社でもおはぎ・ぼたもちとともに、あんこが入って白い(または緑色)団子を彼岸用に作っているのだった。
今年の春彼岸も、スーパーにはいろいろな彼岸菓子が並んでいる。彼岸だんごは、たけやのものは見ていないが、岩手の白石食品(シライシパン)の彼岸だんごがあった。白と緑がセットで、表面に粉がまぶされていた。
他には、上新粉で作った1口サイズの白い餅をあんこの中に入れた、いわゆる「しんこ餅(秋田限定の呼び方?)」があった。
スーパーでは白玉粉を特設売り場で売っていることもあるので、こういうタイプの餅を供える場合もあるのだろう。
とあるしんこ餅
能代市の「セキトのしんこ」、秋田市千秋公園の「あやめだんご」と同じようなもの。
【22日追記】
秋田の「しんこ餅」とは、餅とあんこの組み合わせではあるが、「赤福」のような「あんころ餅」とは少々違う。
餅はつるんとしていて粘りは若干少なく、あんこがやや液状で量が多いのが特徴か。「あんこの中に餅が浸かっている」ような感じ。
この餅は、秋田県内陸部にある業者の商品。
たけやのような大手メーカーでも、自前の店を構えるお菓子屋さんでもなく、小売店に卸すための商品を専門に作る比較的小規模の会社のようだ。
秋田にはこういう所がいくつかあって、その商品がスーパーでよく売られている。
で、この商品を買ったのは、商品名にびっくりしたから。
「彼岸」はいいけど右側のラベル
「だんし(餡)」?!
「だんご」じゃなく、「だん”し”」!
談志師匠を連想してしまった。
あるいは、ご先祖を敬う「彼岸男子」か?
某大手スーパーで買ったのだが、店頭の値札にも、レシートにも、
「ダンシあん」
スーパーさんにしてみれば、商品に「だんし」と表示されている以上、POPやPOSも「ダンシ」と入力せざるを得なかったのだろう。
【20日追記】コメントで教えていただいたように「だんし」という食べ物(呼び名)が存在するとのこと。詳細は後で調べてみますが、とりあえず「だんご」を間違えて「だんし」にしたのではないことが分かったので、訂正致します。(当記事の文面は勘違いしていた初回アップ時のまま残します)末尾の追記もご覧ください。
今日、店頭に並んでいた商品も、やはり「だんし」表記だったそうだ。
味のほうは、若干甘さがくどい気もするが、後味は悪くなく、餅の具合も良好。
【22日追記】「だんし」について改めて。※ネットでざっと調べた情報です。誤り等があれば、ご指摘ください。
ネットで「だんし」と検索すると「男子」や「談志」も含んでしまうので、「彼岸 "だんし"」などで検索。
秋田の方言で「~です」などの丁寧な語尾として「~だんし(だんす)」を使う地域もあり、例えば仙北市では「定住応援情報 えぐきてけだんし(=よく来ていただきました=ようこそ)」というホームページを開設していて、そんなのも検索に引っかかってしまった。
まず、秋田県以外では、彼岸あるいは餅・だんごと関係した「だんし」は見当たらず、秋田独自の呼称だと思われる。由来は不明だが、「団子」の読み方違いか?
秋田県農林水産部農山村振興課「美しき水の郷あきた」ホームページ内の「美食・秋田の食文化」の「節句、春彼岸のお供え」の中に「春彼岸のお供え・だんし‥彼岸には、先祖の霊に花やだんごや餅を供える習わしがある。 」として、やや大きめのだんごにあんこをからませた写真が出ている。
余談だが、「おやき(米から作るもので、信州のとは別物)」も「春の彼岸のお供えや子供たちのおやつとして人気がある。 」そうだ。
「聞き書「秋田の食事」日本の食生活全集 5 」という書籍(藤田秀司 他編、1986年農文協)の目次がネットで見られたが、「県北米代川流域の食」 の項目だけに「だんし」が出ている。
ネットで調べると、県北部・大館市の製粉所が地元の風習として紹介してるし、自宅や実家で作るという方々も、大館近辺の方が多い感じ。
ただし、今回購入した「だんし」は内陸南部・大仙市大曲製造。
我が家はそちら方面にはほとんどゆかりがないとはいえ、恥ずかしいことにまったく知らなかった。
いろいろな方々のブログ等を拝見すると、「『だんしもち』と呼び、墓参に持って行って供えた」「彼岸の期間中毎朝作る家もある」「つぶあんやきなこ、ゴマをまぶすものもある」。だんごの形状は「まん丸」のほか「白玉だんごを大きくしたような、扁平で中央部が凹んだ」ものもある。
以上をまとめると、「だんし」とは単なる餅菓子の一種の呼び名ではなく、「彼岸に仏前・墓前に備える餅菓子」というニュアンスがある、というかニュアンスが強いように感じた。
辞書風に定義づければ、
「秋田県内陸北部などにおいて、米粉で作っただんごにあんこなどをかけた餅菓子の呼び名。主に彼岸の供え物」といったところか。(合ってますでしょうか?)
スーパーの彼岸の特設売り場に白玉粉が置かれるのも、小さな「白玉だんご」を作るためでなく、この「だんし」を作る需要に応えてのものかもしれない。
【23日さらに追記】タイミングよく、23日付秋田魁新報「にちよう遊学空間」面(16面)の連載「あきた風土民俗考(秋田県民俗学会副会長・齊藤壽胤=さいとうじゅいん)」の「50 団子と野老」が紹介されていて、非常に参考になった。
「県内では彼岸に作る団子を一般に「ダンス(ダンシ)」といい、黄粉をまぶしたり、餡をかけたりする。素(白)団子は少ない。」「彼岸の墓参りでは、団子が欠かせない供物とされている。」とあり、やはりだんしは「彼岸の」だんごという意味合いが高そう。「だんす」とも呼ばれるのか。
葬儀でも団子を供える地域があるようで、それは素団子で、場所によっては麦粉を使うらしい。
由利本荘市の深沢(旧大内町で、羽越本線と日本海の間の山側の集落のようだ。日沿道大内ジャンクション南側の国道105号線が交差する辺り)では「彼岸の入り日には小豆をまぶした団子、中日にはぼた餅、過ぎ日(終日)には豆の粉をかけた団子を先祖に手向けるという。」。【関連があるかは不明だが、大内の産直で売られていた彼岸のお菓子】
秋田市にわりと近いところでも団子を供える風習はあり、ぼたもちと共存しているのか。
※秋田市周辺でも「だんし」「だんす」とは呼ばなくても、だんごを供える場所や家庭はそれなりにあるようだ。
また、横手市谷地新田では「春の彼岸中に団子が凍れば稲が不作になる」とされ、能代市鳥形では死者に最初に供える「早団子」は「長寿で死んだ人のものは色が黒くなり、若い人は白いままだと」いわれた。それを後から墓に供えて長寿や咳止めの薬として「奪い合って食べる風習もあった」とか。団子に単なる供え物以上の霊力を見出しているようだ。
タイトルにある「野老」は「ところ」と読み、ヤマノイモ科のつる性多年草。江戸時代の紀行家・菅江真澄が湯沢で彼岸に供えたり食べたりしたのを記録しており、能代市上母体では「野老の細長い根ひげを紐として、先祖があの世に戻る時に土産に団子を背負っていくため」に「墓に団子と、山から掘ってきた野老を供える」そうだ。
「だんし」を通して風習とはさまざまあると感心すると同時に、せめて記録として後世に伝えていかないとならないと痛感させられた。
【9月23日追記】2014年の秋彼岸では、「だんし」を売っているのを見なかった。
春に売られていた店でも、おはぎメインで他にはまんじゅうやたけやの彼岸だんご程度。白玉粉などを特設コーナーで売っていた店はあり、家庭では作るところもあるのかもしれないが、一般的には「だんし」は春彼岸限定の風習なのだろうか。
【2015年3月25日追記】2015年春彼岸には「だんし」を見かけた。おはぎについてはこの記事にて。
※2016年春にも見かけたが、扱う店は以前より減ったような。イオンリテール秋田中央店では、毎年継続して販売。
さらに、2016年3月20日付秋田魁新報 週刊NIE欄の4コマ漫画「きりタン君」605話(こうまそうすけ絵・作)でも取り上げられた。「あんをからめたおもちのこと」「県北でよく作る」と説明され、「だんしなだけに男子が作るのよ」と、主人公が作らされるというオチ(実際にはそのような風習はないはず)。材料の袋には「もち粉」と書かれていた。
※2017年秋彼岸では、秋田市内店舗では見かけず。どちらかといえば春彼岸のものなんだろうか。
※2018年春彼岸、2019年春彼岸のイオン秋田中央店では、写真と同じものが売られた。
【2020年8月21日追記】
文化庁文化財部伝統文化課が2013年に発行した「平成二四年度・変容の危機にある無形の民俗文化財の記録作成の推進事業 阿仁地方の万灯火」に、同地域の春彼岸の風習が記述され、「春彼岸の墓参りの供物といえば「ダンシ」である。」として登場。
「直径三〜四センチほどに丸め、中央をへこましたものを作り、小豆餡やキナコ、ゴマなどをまぶしたものである。」として、大きめの白玉団子にしんこ餅のようにあんこがからまった写真も掲載。
また、「旧阿仁町の根子などでは、小豆餡を中に入れた大きめのものを作る。中に餡を入れると「ダンゴ」という」。
ダンシは小皿に2~3個盛って、仏壇、神棚、床の間などに供える。昔は重箱に大量に作り、親戚、無縁仏、六地蔵などにも供えたとのこと。
ほかに、雪深い地域なので、生花が手に入らなかった地域なので、木製の造花を供えるのは知っていたが、「花ダンゴ」といって色付けてさまざまな形(星や鳥等々)にしただんごを、ミズキの枝に刺して、墓に持っていく風習もあるとのこと。
春彼岸だけの行事である万灯火の記録なので、秋彼岸の言及は少ないが、阿仁では秋彼岸には墓参をしない地域もあるとのこと。農繁期であることも理由の1つらしい。
2005年「五城目町史デジタルデータ」にも、春彼岸はダンシを作って墓参りするとある。秋彼岸は「春と変わりない」だけ記載。
【2020年9月14日付のコメントで、大館など県北部の彼岸餅事情を教えていただいたので、参照。】
※2020年秋彼岸に北秋田市鷹巣や大館の餅事情を見た。
【2021年8月15日追記】彼岸でなく8月お盆だが、山形県庄内地方では、「水餅」と言って、ついた餅を水に入れたものに、あんこや納豆をまぶして食べたり供えたりするとのこと。スーパーでも販売される。だんしに通ずるものがあるかもしれない。