なかなかまとまらずに後回しになってしまっていたテレビの話。
2014年3月をもって、2つの長寿テレビ番組が終了した。※昨年末の記事
フジテレビ「森田一義アワー 笑っていいとも!」とTBS「はなまるマーケット」である。(以下、「いいとも」「はなまる」と略す場合あり)
笑っていいともは1982年10月4日から31年半・8054回、はなまるマーケットは1996年9月30日から17年半・4471回続いた。(比べてしまうとはなまるが見劣りするが、どちらも偉大だ)
終了の発表は、いいともが2013年10月22日火曜日のエンディングに、木曜レギュラーの笑福亭鶴瓶が突然現れて、タモリに「確かめに来た」と尋ねる形。はなまるは、11月6日水曜日の冒頭で岡江久美子が「まずは皆さんにご報告があります」として、3月で「ゴールを迎える」ことを明らかにした。
どちらも週5回の生放送の帯番組(はなまるの金曜日は録画の場合があったらしい)であり、しかも最初から最後まで司会者が変わらなかった上でこの年数続いたというのは、日本のテレビ史に特筆できることだと思う。
今回は、「はなまるマーケット」についての思い出。
ただし、熱心に見ていたわけではないので、断片的なものです。
※以下の内容は、個人的な思い出です。間違いや偏った感覚によるものも多々あるはずです。
※敬称の有無等については他意はありません
はなまるが始まった1996年は、アトランタオリンピックの有森裕子の「自分で自分を褒めたい」が流行語になり、プリクラ、アムラー、ルーズソックスなどが流行した年。
消費税率が3%から5%に上がり、長野新幹線と秋田新幹線が開業し、フジテレビがお台場に移転したのは、翌1997年のこと。パソコンやインターネットがやっと普及し始め、携帯電話を持たない人もまだ多かった頃。
はなまるマーケットを簡単に説明しておく。
TBSが自社のオウム真理教を巡る問題により、ワイドショーを全廃することとなった1996年秋に、朝のワイドショー「モーニングEye」の後継として始まった情報番組。(「モーニングEye」は12年続いた番組で、最後の司会は先日亡くなった山本文郎と現フリーの渡辺真理)
朝8時30分始まりで、2005年春までは10時20分、以降は9時55分までの放送。青森テレビなど一部ネット局は当初から9時55分で打ち切っていた(いわゆる「飛び降り」)。
最終的には多くの地方局にネットされ、他キー局のワイドショーから鞍替えする地方局もあった。秋田県のように、一切放送されなかった地域はきわめて少ないようだ。
司会は、岡江久美子と薬丸裕英。他に曜日ごとにタレント1名が「曜日レギュラー」、TBSの局アナ1名(初回から2004年までの斎藤哲也アナウンサーが印象的だが、後任者も2013年までは1人で担当。以後末期は曜日替わり)が出演。
時期によって若干の変更はあったが、番組の流れはとしては、以下のようなもの。※コーナー名は正式でなかったり「new」が付くなど異なる時期あり。
8時30分に出演者が並んで「オープニングトーク」で始まる。日常の小さな発見、週末にやったこと・出かけた場所の話、「新品のタオルを下ろす時、1回洗濯してから使うか」といった身近な話題。テロップで今日の記念日や誕生日の有名人が表示される。
アナウンサーがこの日の番組内容を紹介し、岡江の「今日も楽しく行きましょう。『はなまるマーケット』オープンです!」の声とともに、出演者が手のひらをくるっとやって(?)、タイトル画面。
【2017年12月27日追記】オープニングだったと思うが、薬丸さんが昔出演していた「2年B組仙八先生」の先生役・さとう宗幸氏の還暦祝いの会(2009年のはず)に出席した話をしたこともあった。
続いて、かつての「今日の目玉」、後の「とくまる」、現在のホームページでは「本日の特集」という名のメインコーナー。
料理、健康、旅行(観光地)などの中から、「味噌」とか「トマト」とか1つのテーマに絞って詳しく紹介。今はNHK「あさイチ」など、類似した番組もあるが、放送開始時は他ではなかったもので、これが主婦層に人気を呼んだのだろう。
特集は「はなまるアナ」と呼ばれる主にフリーアナウンサーが担当。初期から最後まで担当していた庄司麻由里(俳優 庄司永建さんの娘)、旗本由紀子、後期には時には夫妻で出演した富永美樹など。
【2016年8月26日追記】いつだったかは記憶にないが、このコーナーでおそらく麦茶について扱った時、「作った(抽出した)麦茶は、どのくらい保存できるか」というのをやっていて、煮出したものに比べて、水出しのほうが雑菌が繁殖しやすいから、当日中に飲み切るようにというのをやっていたのを覚えていて、水出し派の僕はずっと実行している。
【2016年10月3日追記】同じくいつだったかは記憶にないが、ナスだったか米ナスだったかを扱った時、米ナスの産地である秋田県上小阿仁村が取材されていた。農家の人に料理法を教えてもらったりしたのかな?
9時を過ぎた頃、もう1つのメイン「はなまるカフェ」。ゲストを呼ぶトークコーナー。「今日のおめざ」と「はなまるアルバム」が特徴的。
「今日のおめざ」は、ゲストが好きな食べ物を紹介し、トーク中にみんなで「おめざ(元は子どもの起床時に与える菓子類のこと)」として食べるもの。たまに「水」とか「自分(あるいは身内)が作った○○」みたいなのもあったし、朝から重い食事系があったりして、ホスト側は付き合って飲食するのが大変だったかもしれない。
一方、全国各地の隠れた銘菓的なものを取り上げることも多かった。それを全国各地の百貨店で販売する催事、「おめざフェア」が開かれている。(秋田ではやってないはずで、やってたとしても多くの客がチンプンカンプンだろう)
盛岡のカワトクでは、放送終了後の4月3日~9日に開催したし、他県でも開催されている。TBSホームページには「視聴者のみなさまへ感謝の気持ちを込めて、「おめざフェア」は4月からも全国の百貨店を巡回いたします! 」とある。【2015年の状況については末尾の追記参照】
「はなまるアルバム」は、ゲストが撮影した写真紹介。
当初はポラロイドカメラで撮影してタイトルを付けたもので、タイトルだけが見えるようにして数枚を掲出。写真を隠す紙を薬丸が剥がし、トークを進めていく。
末期には、デジタルカメラで撮影し、表示にはタッチパネルを使っていたようだ。
いいとものテレフォンショッキングと同じく、カレンダーにゲストの写真を貼っていた。(こちらはポラロイドかな?)
ほかには、2005年で終わっている「クイズママダス」。9時55分以降に編成されていた時期が多い。(終了に際して最後の2週間だけ復活した)
主婦などの視聴者と出演者がコンビになって回答するクイズコーナー。出演者内容は生活情報関連。
優勝者は、「は・な・ま・る・キャラクターはなまるくん」の5つの箱から1つを選んで、中の商品がもらえた。(「なるほど・ザ・ワールド」と同じ方式だが、箱はもっと質素)この箱は「はなまるボックス」と呼ばれ、斎藤哲也アナウンサーの激しいアクションと「カモン! はなまるボックス」の声とともに出てきていた。
最後は、岡江さんが「それではまた明日もはなまるでお会いしましょう。今日も1日はなまるな日をお過ごしください」と締めくくる。
こんな流れ。
僕が大学進学で青森に引っ越した時、楽しみの1つだったのが、秋田では見られない(当時は秋田ケーブルテレビも開局前)TBS系列の番組が見られること。
だからTBS系の青森テレビを好んで視聴していた。前も書いたけれど、「ビビッ!」というJNN共通のニュース速報の音に驚き、「筑紫哲也ニュース23」の井上陽水によるテーマ曲(1997年9月まで)で一日の終わりを実感したものだった。
入学時は、朝はまだ「モーニングEye」だったわけだが、1講目がない日はわりと見ていた記憶がある。
同時間帯の他局「生活ほっとモーニング」「ルックルックこんにちは」「スーパーモーニング」は、ほとんど見ていないはず。教育テレビの「ハッチポッチステーション」や「はじめ人間ゴン」は見ていたかな。
途中からはなまるが始まったが、放送第1回は、後期開始直前で秋田に帰っていて見られなかったのではないだろうか。
その後、モーニングEyeの流れで見るようになって定着し、1コマ目がなくてゆったりした朝を象徴する番組として認識していったように思う。
上記の通り、青森テレビでは途中の9時55分で終わっていた(「はなまるニュース」が終わった時点で「制作著作TBS」というテロップが強引に出ていたはず)が、そこで出掛ければ、10時20分からの2講目にはベストタイミングだった。
司会の2人は、当時は斬新であるとともに異例の人選にも感じられた。
薬丸さんが元シブがき隊なのは知っていた。「象印クイズ ヒントでピント」の回答者、はなまるより1年先に始まった「出没!アド街ック天国」の出演はあったが印象は薄く、「元アイドル」というのが強くて、果たしてふさわしいのか疑問だった。
岡江さんは、僕ははなまる開始以前には1つの番組での姿しか知らなかった。獏さんと結婚したことも知らなかったし、「連想ゲーム」の回答者だったのも(獏さんはよく覚えているけど)、愛の劇場「天まで届け(1991~2004年。はなまると掛け持ちだったのか)」も当時は意識していなかった。
知っていた1つの番組とは、少し時をさかのぼって、高校卒業前後。開局間もない秋田朝日放送(青森朝日放送でも)では、平日10~11時台に昔の連続ドラマを放送していた。AAB、ABAにとっては初めての放送だから「再放送」ではない。
その1つに、1980年にTBS花王愛の劇場で放送された「古都」があった。川端康成の小説が原作(最近は2005年にテレ朝が上戸彩主演で制作)。その主演が岡江さんだった。そんな女優さんが司会するのもまた、ふさわしいのか分からなかった。
【2020年5月3日追記】2020年に岡江さんが亡くなった。
その時の秋田朝日放送の報道で、岡江さんが秋田市の清酒高清水(秋田酒類製造株式会社)のCMに長く出ていたことを知った。
テレビCMも流れたそうで(県内でも、県外でも流れていたはず)、僕はまったく意識していなかったが、当時の秋田にいる人なら、けっこう知っているようだ。
「1976年から20年ほど」出ていて、毎年のように撮影していたそうで、はなまる開始頃には重複していたかもしれない。秋田出身の漫画家矢口高雄氏との共演もあった。(以上追記)
始まってみれば、よく言われるように「おじさんのようなおばさん」の岡江さん「おばさんのようなおじさん」のヤックンのコンビはうまくいっていたのではないだろうか。(一部週刊誌では仲が険悪なことが報じられ、2人で否定していたが)
今や岡江さん、薬丸さんといえば、女優と元アイドルというより、お2人とも「はなまる」だ。(秋田では「あの人は今」状態かも?!)
その後、秋田ケーブルテレビが開局(1997年12月)して加入したので、秋田でもはなまるが視聴できるようになった(当初はテレビユー山形、後にIBC岩手放送経由)。
上記の通り、青森テレビでは9時55分までの放送で見られなかった「クイズママダス」も、岡江さんの「今日も1日はなまるな日をお過ごしください」も、初めて見たのは秋田でだったかもしれない。
卒業後はあまり見る機会がなく、たまに見ればテーマ曲やスタジオセット、曜日レギュラーが変わってしまって、違和感を覚えた。
2000年代には使われなくなった、格子状の木製の棚の中に小物が並ぶ初代セット、タイトルコール後のオープニング曲、「push push プーッシュ please please プリーーズ」というCM前のジングルこそ、僕にとってははなまるマーケットであり、平日朝を感じさせるものであった。
放送終了に当たり、最後の2週間だけ、曲は開始当時のものが復活した。
公式サイトやWikipediaには記載がないが、CM前の「push push プーッシュ」のジングルは、ユースケ・サンタマリアが歌う「ユースケの「サマー・ビーチジゴロ」」の一節。番組が始まってしばらく経ってから、はなまるカフェのゲストに呼ばれ、「(自分の曲を使っているのに)どうして今まで呼んでくれなかったんですか!」と本人が言っていた。
オープニングの金管楽器系の曲の名称も分からないが、あれもユースケさんの曲の伴奏の一部なんだろうか?
なお、タイトルコール前・オープニングトークのバックに流れる曲は「二人だけのデート(I Only Want To Be With You)」。2004年を境に歌手は異なっていたそうだが、印象になかった。
その他いろいろ。
・マーケットか 秋田か うどんか
はなまるの最終回の最後で、薬丸さんが「(番組が終わっても)『はなまる』という言葉を聞いた時は、この番組を思い出してください 」とあいさつした。
ほかに「はなまる」と聞いて連想するものといえば…
はなまるマーケットがネットされなかったこともあるが、秋田県民にとって「はなまる」といえば、秋田県のキャッチフレーズだった「秋田花まるっ」を連想するだろう。県全体のキャッチコピーではなくなった今も、一部では使用されている。
秋田花まるっとはなまるマーケット、どちらが先か?
秋田花まるっは1995年に制定(マークは1996年?)されているので、秋田のほうが先。
公式ホームページより。上にある顔が着ぐるみにもなった「はなまるくん」(正式な名前ではない?)
(再掲)「秋田花まるっ」のマーク。制定はこちらが先
では、後で始まった番組名が「はなまるマーケット」となったのは、単なる偶然か、あるいは「どうせ秋田県では放送されないんだから…」なんてことだったのか。今となってはどっちでもいいか。
讃岐うどんのチェーン店「はなまるうどん」もある。
こちらは2000年に最初の店舗ができたそうなので、秋田よりもマーケットよりも後。
【17日追記】首都圏などで展開する「花まる学習会」という学習塾があるそうだ。1993年に「花まる勉強会」の名で始まったので、秋田よりも先になる。
・レギュラーゲスト
はなまるを最初に見て、おかしいと思ったのが「レギュラーゲスト」という言い回し。
当初は、オープニングの冒頭は司会の2人だけで、曜日レギュラーとアナウンサーは岡江さんに呼ばれて後で入ってくる形だった。その時、岡江さんは「今日のレギュラーゲストは、早見優ちゃんです」などと言っていた。
「レギュラーゲスト」って、常連客か? と思ったものだが、いつの間にか使わなくなった。末期の公式ホームページや最終回の岡江さんは「曜日レギュラー」、画面のテロップでは氏名の上に「○曜レギュラー」と表現。
【2018年7月15日追記】NHK秋田放送局の夕方のローカル番組「ニュースこまち」内の「秋田弁de川柳」コーナーには、選者・講評・解説者として、秋田で活動する詩人(兼ローカルタレント?)のあゆかわのぼる氏が出演する。コーナーが始まった2015年前後は「レギュラーゲストのあゆかわのぼるさん」と紹介されていたが、後に呼ばれなくなった(単に「ゲスト」?)。
【2021年10月1日追記】相反するものが一体化した言葉という点では、大学の時の「選択必修科目」も同じだ。提示された複数の中(弘前大では使っていなかったが「科目群」と呼ぶ大学もある)から、一定数以上を選んで必ず受けないと(単位を取らないと)卒業できない科目のこと。例えばこの10科目の中から、5科目以上など。2020年代でも多くの大学に存在するようだ。学生時代の僕はなんの違和感もなく受け入れていた言葉だった。「レギュラーゲスト」と同じく、はたから見ればおかしく感じる人もいるだろう。
・ハプニング集?
番組終了に当たって、かつての映像が何度か使われたようだが、以前「ハプニング大賞」みたいなので見ておかしかったのがいくつかある。(終了時にも放送されたかは不明)
薬丸さんは、はなまるは「放送期間は半年」という話で司会を引き受けたため、その翌年に1か月間に渡る名古屋公演をスケジュールに入れていたそう。しかし、はなまるが続いたため、その間は名古屋と二元中継で対応した(おそらく1997年7月頃のようだが、実際に見た記憶はない)。
その時、岡江さんが「名古屋に行っている薬丸くんを呼んでみましょう。名古屋くーん」と呼び掛けてしまったことがあった。
薬丸さんは「名古屋章です」と返したんだっけ? ※名古屋章は2003年に亡くなった俳優・声優
もう1つ。薬丸さんの思い出話で、小学生の時、授業で「どんより」という言葉を使って文章を作ることになり、冴えないクラスメイトが指名された。(当然「どんよりとした空」くらしか答えはない)
彼は「うどんより蕎麦が好き」と答えて、クラスの人気者になったという話。
・1996年9月30日の第1回の特集は「味噌」(はなまるアナは、進行役の斎藤哲也アナウンサーが掛け持ち)、カフェのゲストは山田邦子。
・最多出演ゲストは陣内孝則の10回。陣内さんは、いいともの「テレフォンショッキング」にも20回ほど出ているそうで、和田アキ子に次いで、藤井フミヤ、浅野ゆう子と並ぶ出演回数の多さ。
・1997年8月7日に視聴率首位
・政治家の小渕優子は元TBS社員で、はなまるのアシスタントディレクターをしていた。番組最終回では「1997年に退社」としていたが、Wikipediaでは父の首相就任に伴って1998年に退社したように書いている。
・最近はそうでもなかったようだが、一時期、特集コーナーでVTR中に流れるBGMに、フジテレビのアニメ「ちびまる子ちゃん」のBGMが時々使われていた。中でも、いわゆる「花輪くんのテーマ」が多かった気がする。(まる子のBGMはCD化されているが、現在は廃盤【2018年7月15日補足】その後2015年頃に、日本コロムビアの復刻シリーズ「ANIMEX1200」の1つとして再発売。)
・冒頭から特集にかけては、ライオンが単独でスポンサーで、「生コマ」こと生コマーシャルがあった。
生コマとは番組本体と同じスタジオから、生放送でCMを流すもの。昔はよくあって、個人的には「3時のあなた」のものを連想する。
今は少なくなっていて(生コマ風の録画したCMというのはあるが)、他にははなまるの裏であるフジテレビ「とくダネ!」で花王がスポンサーで行われている。
はなまるの生コマは、出演者が多いのが特徴。老若男女5人ほど(多少入れ替わりはあるが固定されていて、モーニングEye当時からの人もいたはず)で、うち2~3人が同時に出るドラマ仕立てのものが多い。
はなまる終了後どうなるかと思っていたら、後継の「いっぷく!」もライオンがスポンサーを継続(時間は30分ほど早くなった)、生コマも以前と変わりなく続いている。
上記の通り、後継番組は「いっぷく!」。
TOKIOの国分太一などが司会で、8時00分スタートになった。
内容的には、はなまると大して違わない気がする。特に「いっぷく!トーク」なるトークコーナーでは、「おもたせ」というゲスト持参の食べ物が紹介されるなど、はなまるカフェと酷似している。【29日追記】「いっぷく!ファミリー」という名で曜日レギュラーがいるのも同じ。
【11月2日追記】その後、「いっぷく!」放送から半年経った2014年秋に、報道寄りの内容にリニューアル。トークコーナーはなくなった。
ちなみに薬丸さんは、はなまるが終わった次の月曜から、テレビ東京(とBSジャパンでも一部放送)の9時台~11時台の「生活情報マーケット なないろ日和!」というはなまるとよく似ていそうな番組の司会、いいともの後継番組「バイキング」の木曜レギュラーなど、精力的。
いいともは、さらに断片的な思い出ばかりだけど、自分の記録用としていずれまた。
【2015年3月28日追記】はなまるの後継番組「いっぷく!」は、上記追記の通り、半年後の2014年10月に報道メインの内容にリニューアル。しかし、さらに半年後の2015年3月27日で放送終了。わずか1年で終わってしまった。
3月30日からは「白熱ライブ ビビット」が開始。モーニングeye以来のワイドショーらしい。司会はいっぷくから国分太一が続投(契約上の制約があり、代えられないのだとか)。(【2015年4月1日追記】ライオンの生コマーシャルも継続)
また、はなまる終了後も開催されていた、各地の百貨店の物産展「おめざフェア」の後継企画として、岩手では2015年4月に「じゃじゃじゃグルメフェア」として実施することになった。土曜朝のローカル情報番組名にちなむもの。
TBSホームページによれば、2015年春以降も、岩手以外の各地では「オールTBSおめざ感謝祭」として継続していて、青森市のさくら野でも開かれる。
2014年3月をもって、2つの長寿テレビ番組が終了した。※昨年末の記事
フジテレビ「森田一義アワー 笑っていいとも!」とTBS「はなまるマーケット」である。(以下、「いいとも」「はなまる」と略す場合あり)
笑っていいともは1982年10月4日から31年半・8054回、はなまるマーケットは1996年9月30日から17年半・4471回続いた。(比べてしまうとはなまるが見劣りするが、どちらも偉大だ)
終了の発表は、いいともが2013年10月22日火曜日のエンディングに、木曜レギュラーの笑福亭鶴瓶が突然現れて、タモリに「確かめに来た」と尋ねる形。はなまるは、11月6日水曜日の冒頭で岡江久美子が「まずは皆さんにご報告があります」として、3月で「ゴールを迎える」ことを明らかにした。
どちらも週5回の生放送の帯番組(はなまるの金曜日は録画の場合があったらしい)であり、しかも最初から最後まで司会者が変わらなかった上でこの年数続いたというのは、日本のテレビ史に特筆できることだと思う。
今回は、「はなまるマーケット」についての思い出。
ただし、熱心に見ていたわけではないので、断片的なものです。
※以下の内容は、個人的な思い出です。間違いや偏った感覚によるものも多々あるはずです。
※敬称の有無等については他意はありません
はなまるが始まった1996年は、アトランタオリンピックの有森裕子の「自分で自分を褒めたい」が流行語になり、プリクラ、アムラー、ルーズソックスなどが流行した年。
消費税率が3%から5%に上がり、長野新幹線と秋田新幹線が開業し、フジテレビがお台場に移転したのは、翌1997年のこと。パソコンやインターネットがやっと普及し始め、携帯電話を持たない人もまだ多かった頃。
はなまるマーケットを簡単に説明しておく。
TBSが自社のオウム真理教を巡る問題により、ワイドショーを全廃することとなった1996年秋に、朝のワイドショー「モーニングEye」の後継として始まった情報番組。(「モーニングEye」は12年続いた番組で、最後の司会は先日亡くなった山本文郎と現フリーの渡辺真理)
朝8時30分始まりで、2005年春までは10時20分、以降は9時55分までの放送。青森テレビなど一部ネット局は当初から9時55分で打ち切っていた(いわゆる「飛び降り」)。
最終的には多くの地方局にネットされ、他キー局のワイドショーから鞍替えする地方局もあった。秋田県のように、一切放送されなかった地域はきわめて少ないようだ。
司会は、岡江久美子と薬丸裕英。他に曜日ごとにタレント1名が「曜日レギュラー」、TBSの局アナ1名(初回から2004年までの斎藤哲也アナウンサーが印象的だが、後任者も2013年までは1人で担当。以後末期は曜日替わり)が出演。
時期によって若干の変更はあったが、番組の流れはとしては、以下のようなもの。※コーナー名は正式でなかったり「new」が付くなど異なる時期あり。
8時30分に出演者が並んで「オープニングトーク」で始まる。日常の小さな発見、週末にやったこと・出かけた場所の話、「新品のタオルを下ろす時、1回洗濯してから使うか」といった身近な話題。テロップで今日の記念日や誕生日の有名人が表示される。
アナウンサーがこの日の番組内容を紹介し、岡江の「今日も楽しく行きましょう。『はなまるマーケット』オープンです!」の声とともに、出演者が手のひらをくるっとやって(?)、タイトル画面。
【2017年12月27日追記】オープニングだったと思うが、薬丸さんが昔出演していた「2年B組仙八先生」の先生役・さとう宗幸氏の還暦祝いの会(2009年のはず)に出席した話をしたこともあった。
続いて、かつての「今日の目玉」、後の「とくまる」、現在のホームページでは「本日の特集」という名のメインコーナー。
料理、健康、旅行(観光地)などの中から、「味噌」とか「トマト」とか1つのテーマに絞って詳しく紹介。今はNHK「あさイチ」など、類似した番組もあるが、放送開始時は他ではなかったもので、これが主婦層に人気を呼んだのだろう。
特集は「はなまるアナ」と呼ばれる主にフリーアナウンサーが担当。初期から最後まで担当していた庄司麻由里(俳優 庄司永建さんの娘)、旗本由紀子、後期には時には夫妻で出演した富永美樹など。
【2016年8月26日追記】いつだったかは記憶にないが、このコーナーでおそらく麦茶について扱った時、「作った(抽出した)麦茶は、どのくらい保存できるか」というのをやっていて、煮出したものに比べて、水出しのほうが雑菌が繁殖しやすいから、当日中に飲み切るようにというのをやっていたのを覚えていて、水出し派の僕はずっと実行している。
【2016年10月3日追記】同じくいつだったかは記憶にないが、ナスだったか米ナスだったかを扱った時、米ナスの産地である秋田県上小阿仁村が取材されていた。農家の人に料理法を教えてもらったりしたのかな?
9時を過ぎた頃、もう1つのメイン「はなまるカフェ」。ゲストを呼ぶトークコーナー。「今日のおめざ」と「はなまるアルバム」が特徴的。
「今日のおめざ」は、ゲストが好きな食べ物を紹介し、トーク中にみんなで「おめざ(元は子どもの起床時に与える菓子類のこと)」として食べるもの。たまに「水」とか「自分(あるいは身内)が作った○○」みたいなのもあったし、朝から重い食事系があったりして、ホスト側は付き合って飲食するのが大変だったかもしれない。
一方、全国各地の隠れた銘菓的なものを取り上げることも多かった。それを全国各地の百貨店で販売する催事、「おめざフェア」が開かれている。(秋田ではやってないはずで、やってたとしても多くの客がチンプンカンプンだろう)
盛岡のカワトクでは、放送終了後の4月3日~9日に開催したし、他県でも開催されている。TBSホームページには「視聴者のみなさまへ感謝の気持ちを込めて、「おめざフェア」は4月からも全国の百貨店を巡回いたします! 」とある。【2015年の状況については末尾の追記参照】
「はなまるアルバム」は、ゲストが撮影した写真紹介。
当初はポラロイドカメラで撮影してタイトルを付けたもので、タイトルだけが見えるようにして数枚を掲出。写真を隠す紙を薬丸が剥がし、トークを進めていく。
末期には、デジタルカメラで撮影し、表示にはタッチパネルを使っていたようだ。
いいとものテレフォンショッキングと同じく、カレンダーにゲストの写真を貼っていた。(こちらはポラロイドかな?)
ほかには、2005年で終わっている「クイズママダス」。9時55分以降に編成されていた時期が多い。(終了に際して最後の2週間だけ復活した)
主婦などの視聴者と出演者がコンビになって回答するクイズコーナー。出演者内容は生活情報関連。
優勝者は、「は・な・ま・る・キャラクターはなまるくん」の5つの箱から1つを選んで、中の商品がもらえた。(「なるほど・ザ・ワールド」と同じ方式だが、箱はもっと質素)この箱は「はなまるボックス」と呼ばれ、斎藤哲也アナウンサーの激しいアクションと「カモン! はなまるボックス」の声とともに出てきていた。
最後は、岡江さんが「それではまた明日もはなまるでお会いしましょう。今日も1日はなまるな日をお過ごしください」と締めくくる。
こんな流れ。
僕が大学進学で青森に引っ越した時、楽しみの1つだったのが、秋田では見られない(当時は秋田ケーブルテレビも開局前)TBS系列の番組が見られること。
だからTBS系の青森テレビを好んで視聴していた。前も書いたけれど、「ビビッ!」というJNN共通のニュース速報の音に驚き、「筑紫哲也ニュース23」の井上陽水によるテーマ曲(1997年9月まで)で一日の終わりを実感したものだった。
入学時は、朝はまだ「モーニングEye」だったわけだが、1講目がない日はわりと見ていた記憶がある。
同時間帯の他局「生活ほっとモーニング」「ルックルックこんにちは」「スーパーモーニング」は、ほとんど見ていないはず。教育テレビの「ハッチポッチステーション」や「はじめ人間ゴン」は見ていたかな。
途中からはなまるが始まったが、放送第1回は、後期開始直前で秋田に帰っていて見られなかったのではないだろうか。
その後、モーニングEyeの流れで見るようになって定着し、1コマ目がなくてゆったりした朝を象徴する番組として認識していったように思う。
上記の通り、青森テレビでは途中の9時55分で終わっていた(「はなまるニュース」が終わった時点で「制作著作TBS」というテロップが強引に出ていたはず)が、そこで出掛ければ、10時20分からの2講目にはベストタイミングだった。
司会の2人は、当時は斬新であるとともに異例の人選にも感じられた。
薬丸さんが元シブがき隊なのは知っていた。「象印クイズ ヒントでピント」の回答者、はなまるより1年先に始まった「出没!アド街ック天国」の出演はあったが印象は薄く、「元アイドル」というのが強くて、果たしてふさわしいのか疑問だった。
岡江さんは、僕ははなまる開始以前には1つの番組での姿しか知らなかった。獏さんと結婚したことも知らなかったし、「連想ゲーム」の回答者だったのも(獏さんはよく覚えているけど)、愛の劇場「天まで届け(1991~2004年。はなまると掛け持ちだったのか)」も当時は意識していなかった。
知っていた1つの番組とは、少し時をさかのぼって、高校卒業前後。開局間もない秋田朝日放送(青森朝日放送でも)では、平日10~11時台に昔の連続ドラマを放送していた。AAB、ABAにとっては初めての放送だから「再放送」ではない。
その1つに、1980年にTBS花王愛の劇場で放送された「古都」があった。川端康成の小説が原作(最近は2005年にテレ朝が上戸彩主演で制作)。その主演が岡江さんだった。そんな女優さんが司会するのもまた、ふさわしいのか分からなかった。
【2020年5月3日追記】2020年に岡江さんが亡くなった。
その時の秋田朝日放送の報道で、岡江さんが秋田市の清酒高清水(秋田酒類製造株式会社)のCMに長く出ていたことを知った。
テレビCMも流れたそうで(県内でも、県外でも流れていたはず)、僕はまったく意識していなかったが、当時の秋田にいる人なら、けっこう知っているようだ。
「1976年から20年ほど」出ていて、毎年のように撮影していたそうで、はなまる開始頃には重複していたかもしれない。秋田出身の漫画家矢口高雄氏との共演もあった。(以上追記)
始まってみれば、よく言われるように「おじさんのようなおばさん」の岡江さん「おばさんのようなおじさん」のヤックンのコンビはうまくいっていたのではないだろうか。(一部週刊誌では仲が険悪なことが報じられ、2人で否定していたが)
今や岡江さん、薬丸さんといえば、女優と元アイドルというより、お2人とも「はなまる」だ。(秋田では「あの人は今」状態かも?!)
その後、秋田ケーブルテレビが開局(1997年12月)して加入したので、秋田でもはなまるが視聴できるようになった(当初はテレビユー山形、後にIBC岩手放送経由)。
上記の通り、青森テレビでは9時55分までの放送で見られなかった「クイズママダス」も、岡江さんの「今日も1日はなまるな日をお過ごしください」も、初めて見たのは秋田でだったかもしれない。
卒業後はあまり見る機会がなく、たまに見ればテーマ曲やスタジオセット、曜日レギュラーが変わってしまって、違和感を覚えた。
2000年代には使われなくなった、格子状の木製の棚の中に小物が並ぶ初代セット、タイトルコール後のオープニング曲、「push push プーッシュ please please プリーーズ」というCM前のジングルこそ、僕にとってははなまるマーケットであり、平日朝を感じさせるものであった。
放送終了に当たり、最後の2週間だけ、曲は開始当時のものが復活した。
公式サイトやWikipediaには記載がないが、CM前の「push push プーッシュ」のジングルは、ユースケ・サンタマリアが歌う「ユースケの「サマー・ビーチジゴロ」」の一節。番組が始まってしばらく経ってから、はなまるカフェのゲストに呼ばれ、「(自分の曲を使っているのに)どうして今まで呼んでくれなかったんですか!」と本人が言っていた。
オープニングの金管楽器系の曲の名称も分からないが、あれもユースケさんの曲の伴奏の一部なんだろうか?
なお、タイトルコール前・オープニングトークのバックに流れる曲は「二人だけのデート(I Only Want To Be With You)」。2004年を境に歌手は異なっていたそうだが、印象になかった。
その他いろいろ。
・マーケットか 秋田か うどんか
はなまるの最終回の最後で、薬丸さんが「(番組が終わっても)『はなまる』という言葉を聞いた時は、この番組を思い出してください 」とあいさつした。
ほかに「はなまる」と聞いて連想するものといえば…
はなまるマーケットがネットされなかったこともあるが、秋田県民にとって「はなまる」といえば、秋田県のキャッチフレーズだった「秋田花まるっ」を連想するだろう。県全体のキャッチコピーではなくなった今も、一部では使用されている。
秋田花まるっとはなまるマーケット、どちらが先か?
秋田花まるっは1995年に制定(マークは1996年?)されているので、秋田のほうが先。
公式ホームページより。上にある顔が着ぐるみにもなった「はなまるくん」(正式な名前ではない?)
(再掲)「秋田花まるっ」のマーク。制定はこちらが先
では、後で始まった番組名が「はなまるマーケット」となったのは、単なる偶然か、あるいは「どうせ秋田県では放送されないんだから…」なんてことだったのか。今となってはどっちでもいいか。
讃岐うどんのチェーン店「はなまるうどん」もある。
こちらは2000年に最初の店舗ができたそうなので、秋田よりもマーケットよりも後。
【17日追記】首都圏などで展開する「花まる学習会」という学習塾があるそうだ。1993年に「花まる勉強会」の名で始まったので、秋田よりも先になる。
・レギュラーゲスト
はなまるを最初に見て、おかしいと思ったのが「レギュラーゲスト」という言い回し。
当初は、オープニングの冒頭は司会の2人だけで、曜日レギュラーとアナウンサーは岡江さんに呼ばれて後で入ってくる形だった。その時、岡江さんは「今日のレギュラーゲストは、早見優ちゃんです」などと言っていた。
「レギュラーゲスト」って、常連客か? と思ったものだが、いつの間にか使わなくなった。末期の公式ホームページや最終回の岡江さんは「曜日レギュラー」、画面のテロップでは氏名の上に「○曜レギュラー」と表現。
【2018年7月15日追記】NHK秋田放送局の夕方のローカル番組「ニュースこまち」内の「秋田弁de川柳」コーナーには、選者・講評・解説者として、秋田で活動する詩人(兼ローカルタレント?)のあゆかわのぼる氏が出演する。コーナーが始まった2015年前後は「レギュラーゲストのあゆかわのぼるさん」と紹介されていたが、後に呼ばれなくなった(単に「ゲスト」?)。
【2021年10月1日追記】相反するものが一体化した言葉という点では、大学の時の「選択必修科目」も同じだ。提示された複数の中(弘前大では使っていなかったが「科目群」と呼ぶ大学もある)から、一定数以上を選んで必ず受けないと(単位を取らないと)卒業できない科目のこと。例えばこの10科目の中から、5科目以上など。2020年代でも多くの大学に存在するようだ。学生時代の僕はなんの違和感もなく受け入れていた言葉だった。「レギュラーゲスト」と同じく、はたから見ればおかしく感じる人もいるだろう。
・ハプニング集?
番組終了に当たって、かつての映像が何度か使われたようだが、以前「ハプニング大賞」みたいなので見ておかしかったのがいくつかある。(終了時にも放送されたかは不明)
薬丸さんは、はなまるは「放送期間は半年」という話で司会を引き受けたため、その翌年に1か月間に渡る名古屋公演をスケジュールに入れていたそう。しかし、はなまるが続いたため、その間は名古屋と二元中継で対応した(おそらく1997年7月頃のようだが、実際に見た記憶はない)。
その時、岡江さんが「名古屋に行っている薬丸くんを呼んでみましょう。名古屋くーん」と呼び掛けてしまったことがあった。
薬丸さんは「名古屋章です」と返したんだっけ? ※名古屋章は2003年に亡くなった俳優・声優
もう1つ。薬丸さんの思い出話で、小学生の時、授業で「どんより」という言葉を使って文章を作ることになり、冴えないクラスメイトが指名された。(当然「どんよりとした空」くらしか答えはない)
彼は「うどんより蕎麦が好き」と答えて、クラスの人気者になったという話。
・1996年9月30日の第1回の特集は「味噌」(はなまるアナは、進行役の斎藤哲也アナウンサーが掛け持ち)、カフェのゲストは山田邦子。
・最多出演ゲストは陣内孝則の10回。陣内さんは、いいともの「テレフォンショッキング」にも20回ほど出ているそうで、和田アキ子に次いで、藤井フミヤ、浅野ゆう子と並ぶ出演回数の多さ。
・1997年8月7日に視聴率首位
・政治家の小渕優子は元TBS社員で、はなまるのアシスタントディレクターをしていた。番組最終回では「1997年に退社」としていたが、Wikipediaでは父の首相就任に伴って1998年に退社したように書いている。
・最近はそうでもなかったようだが、一時期、特集コーナーでVTR中に流れるBGMに、フジテレビのアニメ「ちびまる子ちゃん」のBGMが時々使われていた。中でも、いわゆる「花輪くんのテーマ」が多かった気がする。(まる子のBGMはCD化されているが、現在は廃盤【2018年7月15日補足】その後2015年頃に、日本コロムビアの復刻シリーズ「ANIMEX1200」の1つとして再発売。)
・冒頭から特集にかけては、ライオンが単独でスポンサーで、「生コマ」こと生コマーシャルがあった。
生コマとは番組本体と同じスタジオから、生放送でCMを流すもの。昔はよくあって、個人的には「3時のあなた」のものを連想する。
今は少なくなっていて(生コマ風の録画したCMというのはあるが)、他にははなまるの裏であるフジテレビ「とくダネ!」で花王がスポンサーで行われている。
はなまるの生コマは、出演者が多いのが特徴。老若男女5人ほど(多少入れ替わりはあるが固定されていて、モーニングEye当時からの人もいたはず)で、うち2~3人が同時に出るドラマ仕立てのものが多い。
はなまる終了後どうなるかと思っていたら、後継の「いっぷく!」もライオンがスポンサーを継続(時間は30分ほど早くなった)、生コマも以前と変わりなく続いている。
上記の通り、後継番組は「いっぷく!」。
TOKIOの国分太一などが司会で、8時00分スタートになった。
内容的には、はなまると大して違わない気がする。特に「いっぷく!トーク」なるトークコーナーでは、「おもたせ」というゲスト持参の食べ物が紹介されるなど、はなまるカフェと酷似している。【29日追記】「いっぷく!ファミリー」という名で曜日レギュラーがいるのも同じ。
【11月2日追記】その後、「いっぷく!」放送から半年経った2014年秋に、報道寄りの内容にリニューアル。トークコーナーはなくなった。
ちなみに薬丸さんは、はなまるが終わった次の月曜から、テレビ東京(とBSジャパンでも一部放送)の9時台~11時台の「生活情報マーケット なないろ日和!」というはなまるとよく似ていそうな番組の司会、いいともの後継番組「バイキング」の木曜レギュラーなど、精力的。
いいともは、さらに断片的な思い出ばかりだけど、自分の記録用としていずれまた。
【2015年3月28日追記】はなまるの後継番組「いっぷく!」は、上記追記の通り、半年後の2014年10月に報道メインの内容にリニューアル。しかし、さらに半年後の2015年3月27日で放送終了。わずか1年で終わってしまった。
3月30日からは「白熱ライブ ビビット」が開始。モーニングeye以来のワイドショーらしい。司会はいっぷくから国分太一が続投(契約上の制約があり、代えられないのだとか)。(【2015年4月1日追記】ライオンの生コマーシャルも継続)
また、はなまる終了後も開催されていた、各地の百貨店の物産展「おめざフェア」の後継企画として、岩手では2015年4月に「じゃじゃじゃグルメフェア」として実施することになった。土曜朝のローカル情報番組名にちなむもの。
TBSホームページによれば、2015年春以降も、岩手以外の各地では「オールTBSおめざ感謝祭」として継続していて、青森市のさくら野でも開かれる。