麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

訪中譚⑫~武漢その2

2008年01月10日 | 中国公演07
 11月5日『臨時病室』仕込み。
 前日終わった地元・武漢の劇団=湖北省話劇院による『臨時病室』のセットがバレたあとに我々の仕込みが始まった。

 珞珈山劇院は小ぶりな良い劇場だった。
 道路から広い階段を上って劇場入口になるが「ああ、これから芝居を観る」って高揚感の沸く良いロケーション。
 栄えある『第8回中国芸術祭』ということで、そのアプローチには花が飾られ、それがまた美しかった。

 その⑪でも少し触れたけど『八芸祭』は、この日から16日間に渡って、武漢を中心とした湖北省6市で行われ、国内各地から選ばれた54の演目が、中国の舞台芸術の最高峰「文華賞」を競い、またアマチュアは芸術全般(舞台に加え絵画や書道など)の「群星賞」を目指す! その作品数は500以上。

 さらに海外からブロードウェイミュージカル『42番街』など10演目が招待され、その中に我々東演が含まれているというわけだ。
過去最大の規模。国内外から1万人以上が集ったそうだ。

 さて一方、劇場の中ではトラブルが続いていた。
 まず、芝居で使う病室のベッドマットレスが盗難に会い(干していたモノが消えたらしい)
 また、屋上のシーンで使う星空の仕掛けがNGに

 ところが天は我々を見捨てはしなかった
 ここ武漢では、冒頭書いた通り『臨時病室』をレパートリーとして持っているので、多少タイプは違うものの、話劇院から借りすることで凌ぐことができた。
無事、翌日に幕は開いたのだった

 街中に「八芸祭」のロゴが踊り、開場の頃にはロビーにグッズが並んだ。鹿のような、あるいは伝説の動物=麒麟のようなキャラクターのぬいぐるみやキーホルダーや記念のコインなど。

 赤い揃いのトレーナーを着たボランティアスタッフも劇場に入り、お祭りムードの中での公演となりました。

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訪中譚⑪~武漢その1

2008年01月09日 | 中国公演07
 漢口駅に寝台列車が滑り込んだのは、まだ朝も浅い時間でした。
 2007年11月4日、広いホームには我々日本人のほか、楽器を持った西洋人、勿論中国の方もいて・・・そう、芸術家たちが次々に改札に向かって歩いていく。

 第8回中国芸術祭
 3年に一度開かれる、中国はもとより世界中の芸術が集う祭典!
 07年は、ここ武漢で開催。
 演劇に絵画に工芸に・・・そうそう、日本からは茶道も招かれていると後から聞いた。とにかくあらゆるアートが集結する一大イベントに、東演も参加すべく、武漢にやって来たのダ!

 言い遅れましたが、武漢市は、中国語読みが「ウーハン」。湖北省の省都で、長江と漢水、二つの河で隔てられた「武昌」「漢陽」「漢口」の三鎮が並立した街だ。

 再び朝の漢口駅。
 僕達は、湖北省話劇院のメンバーや『臨時病室』の作家・沈さんの旦那様に出迎えていただき、租界の面影を残しながら急速に発展した漢口から橋を渡って、武昌に入った。ホテルは湖北省話劇院のテナントとして入っている「武漢路100城市旅店」。
 一見、ホテルの上層階に劇団が間借りしてるうようだが逆で、劇団の持ちビルの1階~7階をホテルに貸しているのだという。

 昼からは、その湖北省話劇院主催の歓迎昼食会が催され、美味しい食事とお酒で旧交を温めました。
 
 彼らは僕たちに先駆けて、その夜公演を控えていたのですが、李天佑役(東演では笹山が演じる患者さん)の王強国氏などは、白酒をグイグイやっていました・・・。

 で、その数時間後、彼らの芝居を観ることになるのだが、以前にも増して円熟した舞台になっていた。

 そうそう、中国でも数多く賞を取っている『臨時病室』。
 もともと登場人物は3人で、前述の笹山演じるおじいさんと、矢野泰子(劉大香/おばあさん)と、岸並万里子(王艶艶/看護婦)で東演は公演を重ねているが、なんと“本家”は5人芝居になっていた。
 おじいさんの学生時代のマドンナ、おばあさんの甥っ子が登場。
 
 日本側は皆目がテンになった・・・ 

 武漢での公演は5年前に続いて2度目。
 なのに、なんだか懐かしさを感じるのは何故だろう・・・。

 ツアー最大の7日間の逗留になるのだが、東演にとって“中国のフランチャイズ”と劇団員誰もが思う、この街でのお話し、これからたっぷりゆっくり語りましょう。
ちなみに翌日5日、大規模な「開会式」が行われ、東演からは代表の山田珠真子、制作の横川と、通訳を兼ねた能登剛が参加した!
 
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探し物は見つからない~ちっチャ(イ)ナおはなし/四

2007年12月25日 | 中国公演07
 旅の楽しみに「絵ハガキ」がある。
 普段お世話になっている方やお世話になりたい方へ、異国の地からのエアメール
 貰う方も嬉しいだろうが、出す方も楽しい

 今回、旅の序盤は時間がなくて、と言うか、絵ハガキは主に観光地でないと手に入らないので、ホテル-劇場の往復の制作にとってはなかなか入手が困難だったこともある。
 長春の溥儀の博物館に土産物屋が並んでいたが時間がなく、ようやく北京で絵ハガキを手にいれ、劇団員に割り振って書いてもらった。

 ハガキというのは、書いたら「切手」を貼って出すのが万国共通で、中国→日本は、4.5元。
 ところがこの4.5元の切手がなかなか手に入らなかった
 日本では、50円や80円の基本的なのは勿論、置いてない額の切手はないと言っていいと思うが、使われることの少ない4.5元が「没有(メイヨウ)」な局が多く、あっても10枚も買うと売り切れた。
 なので、また別の郵便局へ・・・。
 4元と0.1元を1枚ずつに0.2元を2枚ってふうに分けて買えばいいのですが、それだと切手が大きすぎて貼りきれないってことになり・・・できれば1枚で行きたかったのである。
 余りに見つからず、カシャコンカシャコンと機械に通すと、ハガキに赤いスタンプが押印される「切手なし」のでも数葉出したが、できれば異国情緒の「切手」をさ、貼りたいじゃありませんか…。
 それに絵ハガキは役者の手元で、僕の買う切手を待ちわびている場合、この手は使えない。

 それでだいぶ「中国郵政」を探す時間を要して、北京では結局出し切れず(何しろ150を超える枚数だったので…)武漢、そして上海でも切手探しの旅は続いたのだった。
 バス移動の窓からグリーンの看板(中国は看板もポストもグリーン)を見掛けても、いざ劇場やホテル近辺になかったりして・・・。
 武漢と上海の宿泊ホテルが切手を扱ってなかったことも大きかった。

 不思議なもので、探してる時は見つからず、どーでもいい時はよく目にするのだ。
 まさに井上陽水の世界

 郵便局に限らず、上海ではPCのマウスパッドを求めて歩き回った。
 
 素直にデパートにでも行けば良いのだが、より安くと思って街を歩いているうち「上海工科大学」に突き当たったので、意を決して学生を装いキャンパスへ。
 まあ、さすがに四十路越えて学生ってのはネ校門の警備の方にすれば助手や職員に見えたか?
 とにかく生協みたいなところで買えるだろうと潜入(?)するも、あえなく撃沈。その周辺には、マウスパッドに限らず学生生活に必要なモノが揃う店すら見あたらず・・・
草臥れ果てて、思わず日本から進出したラーメン店に入ってしまった。
 それも今では、楽しい冒険()           
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お迎え渋滞と中国サマザマ事情~ちっチャ(イ)ナおはなし/参

2007年12月22日 | 中国公演07
 長春のホテルと劇場のまわりは「学校」が多かった。小学校に中学校に、塾もあった。
 武漢もホテルから少し歩いた一角に大きな中学校があって“学校城下町”って感じでした。

 さて中国には、給食や弁当という習慣はないらしく、お昼になると校内から揃いのジャージを来た子供らが飛び出してきて、ファストフード店などに押し寄せていた。それから余った時間にお買い物。

 なので、学校の回りは飲食店や文房具店、CDショップにオタクの店(?)まであった。オタクの店は武漢や北京、上海で見掛けたのだが、ガンプラ、テニ王やエヴァのグッズに、コスプレものまでと充実(?)していた。

(言うまでもなく我々のホテルや劇場との絡みで、大都市だから云々ではなく、これらのカルチャーは広く中国に広まっていると察しました。)

 なので以下の話もたまさか僕が見たのが長春ってだけで、チャイナ中で起きてる現象だと思われます。

 小学校の終わる時間、その周辺の一車線は「お迎え」の車で覆われ、その近辺が渋滞になり、タクシー等はクラクションを鳴らし…ってな風情になるのです。
 校門に鈴なりのお母さんお父さん。子供達を迎えるだけでなく、その後の塾や習い事への送迎も兼ねているようでした。

教育熱はいずこも同じです

 さて、5年前の訪中公演の際は、いかにも“中国”という頑強で古いタイプの自転車を大人達が乗っている中、子供達はマウンテンバイク等の新型にまたがっていたのが印象的でしたが、今回はジャージのブランド化が一層進み、繁華街での私服などは、もう日本と遜色ない勢いでした。
          
 さらに大人達のチャリ率が下がって、自動車7に原チャリ2.5、自転車は0.5ってな道路事情ではなかったでしょうか。

 これは矢野による北京でのレポートになるのですが、夕方は帰宅する中国人がタクシーを捕まえるので、まるで乗れないとのこと。ホテルのフロントもお手上げで、その時間は「流しを捕まえるしかない」と言われたそう。で、街に出て、止まったと思うと、脇から猛烈に中国人が来て、ワーワー言って乗ってしまうのだとか…。
                                  
 あ、大連でも、笹山たちがやはり帰宅時間にタクシーが捕まえられず、劇場からホテルまで路線バスで帰ったことがありましたネ。

 これらは中国が「自動車社会」に入った一例と言えましょう。
あ、そうそう。皆、中国に行く前には空気の悪さをかなり気にかけていたのですが、思ったほどではありませんでした。
 乾燥対策として掛けていたマスクは、長春の猛烈な砂埃にも役立ったり、5つの都市の中では盆地であり工業地帯である武漢のスモッグは気になったけれど、相対的には普通に生活できました。
 勿論、実際には汚染が進んでいるのでしょうが、日本のマスコミが流す強烈な映像にショックを受けていた僕らの行動範囲内で、それを目にすることはありませんでした。 
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訪中譚⑩~北京その4

2007年12月18日 | 中国公演07
 訪中レポートは基本的に、1都市3話。
 こぼれ話があれば別枠で語らせていただいておりますが…。北京には、日本から東演の芝居を観て、観光もしてというツアーに参加された方々との交流もあったので。。。その話をば。
                 
 11/2(金)、本団としては北京5日目。
 『恋でいっぱいの森』の本番日。キャスト・スタッフの劇場入りは午後一で、そこから開幕へのテンションを上げて行こう!という時間帯。

 僕はひとり(まあ正確にはタクシーなので運ちゃんと二人…)空港へ向かい、北京入りした御一行をお出迎え。
JL781の到着は、予定より早まると掲示板は語っていたけれど、結果的には遅れ気味に到着ロビーから出ていらっしゃいました。
 東京、神奈川、千葉は勿論、富山、静岡等、全国各地から結集された10代から70代まで年齢層も幅広い18名。
 それに添乗員さんと、武漢の「中国芸術祭」に劇団代表として列席する予定の弊団の山田珠真子を加えた20名。プラス僕と現地通訳さんで一路北京市内。。。

 まずは天安門。僕はここで劇場に移動。
 ツアーメンバーは市内観光をしてからの劇場入り。
 と、このペースで語ると万里の長城くらいの長さになるの・・・あ、うまい具合に話が出たが『恋森』を観劇いただいた翌日は、

 09:30 ツアーメンバーがホテルを出発
 10:00 劇団宿泊ホテルで合流
    (劇団より選抜メンバー?がツアーバスに移動)
 11:00 万里の長城到着(散策-昼食等)
 15:00 万里の長城出発
 17:00 夕食交流会
    (俳優は若干名参加/他のメンバーは移動の準備)
         
 ってなスケジュールで交流しました。
 僕にとっては初めての万里
 だのに、下から見上げると、悲しいかな、絶景の中でも特にいい位置に「北京五輪」のコマーシャルの看板。
 嗚呼、中国らしいよね、このセンス
 ちなみに、売店でも盛んに五輪公式グッズを販売しているのですが、例えば諏訪温泉に行って長野五輪のグッズを買うだろうか?(…絶対に買わないってことはないだろうが
時期的に長春(10月下旬)と、この万里の長城で“寒さ対策”が必要だなぁと予測していたのですが、いやあ、最高の天気で、暑かったくらいです。

 観光地恒例の「帽子1000円」「バッチ1000円」攻撃。。。最初2個1000円があっと言う間に3個、5個と増えて行くのです。あれも、その瞬間はコマリモノですが、今となっては楽しい思い出です。

 健脚組は、かなり先の方まで行ったとか。
 ※詳しくは「役者のブログ」にて。

 キャスト・スタッフは、この日の夜行(21:00北京西駅発)で武漢へ移動するため、夕食交流会は余り時間が取れませんでしたが、アワビダケ等の豪華な食事を楽しみながら、それぞれの移動地(ツアー組は翌日北京観光後に大連へ…)への無事を願いながらの会食となりました。

 さあ来年12月、ブラジル公演を予定する東演は、決定次第ツアーの準備に入りますヨ。
 ご期待あれ
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訪中譚⑨~北京その3

2007年12月17日 | 中国公演07

 ツアーにも慣れて、時間的余裕ができた上に、その時間を使える“モノ”が沢山あるのも北京でした。
 
 洋服を買ったり、北京ダックを食べたり
 京劇や話劇を楽しむメンバーも、多くいました。

 能登は中国語を解することもあって、話劇(ストレートプレイ)を2本観ました。岸並、古田、原野、古賀が1本。…僕も1本観ました。
 京劇を2本観たのは客演の橘さん(文化座)。
 1本目を音響(臨時病室)の板津くんと、2本目は南保、江上と。

 話劇組は、中国の最高峰「北京人民話劇院」へ。
 王府井を北にズンズン進んだ首都劇場・・・中国話劇の聖地だけに、その前に立っただけで、ある感慨が体を貫きました
 英国のNT(ウォーター・ルーのほとりのナショナル・シアター)、ロシアのモスクワ芸術座(バックヤードまで行けたのは新館だったけど…)に続き、世界に冠たる劇場にまたひとつ足を踏み入れることができました。

 首都劇場・大劇場では、巨匠・林兆華演出の『白鹿原』(ベストセラー小説『白鹿原』の舞台化)。
 10/30に僕と能登が、11/1に古田、原野、古賀が。
 同小劇場では『我不是李白』。11/1に能登、岸並が観劇。
 なんと、入口でいきなり演出家に出くわすという幸運
 おっと、これは10/30の『白鹿原』の話です。
 能登が、日本で林兆華演出作品に関わった縁で旧知ということもあり、ロビー中程までエスコート頂く栄誉にも浴しました

 舞台面から上手下手に溢れ出す豪勢なセット。劇中には本物の羊が大挙出演(?)するなど、仕掛けの多いスペクタクルな展開で観客を引き付けました。

 また客席のお行儀がとても良くて、5年前そして今回と経験したことは何だったのか?と思わないでもありませんでしたが、我々の購入した席が僕らの公演のS席に近い280元で、これが『白鹿原』では3番目のチケット。つまり、かなりのアッパーグレードの方しか観劇できない作品というわけで…。
正直、すっかり中国の物価に慣れた僕は、このチケット購入に結構勇気がいりました
 なんたって、夜みんなでタラフク食って呑んで20~30元でいけちゃうわけですから、その感覚で言えば日本の28000円! まぁ気分としては、気合入れてオペラに行く…って勢いとでも言えましょうか。
                              
 話を戻せば、やはり役者は巧い。
 ただ巧すぎて、伝わってくるエネルギーが…まあ、これは小劇場育ちの僕の感想で、うちのベテラン陣が観れば反応は違ってくるだろう…。

 まだまだ沢山語りたいところだが、長くなるのでこのへんで。
 一言でいえば、とても勉強になったのは確かです

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訪中譚⑧~北京その2

2007年12月12日 | 中国公演07
 北京での芝居が一番締まっていた
 (『臨時病室』『恋でいっぱいの森』ともに)

 観た人間の一致した感想です。既に書いたように、僕は物販対応でチラ見しかできていないので、制作の横川や、観劇ツアーとともに中国入りした弊団代表の山田、『恋森』演出の福原氏など複数の言葉を総合した結果です。

 会場の「民族文化宮大劇院」が、日本の最終調整を行った幸文化センター(川崎市)と同じ舞台面の大きさ※で、キャパシティーも、大連や長春のようにバカでかくないので、芝居に適した空間であったこと。
    (※幸でのGPは『恋森』だけでしたが…)

 また、それと連動するのですが、大きな会場で芝居が大味になっていたのを、北京での本番までの短い時間の中で修正できたという点。
 それには、ツアーも3都市目に入り、仕込み(照明や音響を含めた舞台を作る作業)にも慣れて、芝居の稽古に時間を割けるようになったことも作用しています。

 そりゃあ、旅公演ですから。。。
 例えばこの北京では通訳さんの1人が、ちょっと日本語勉強したことある程度の女性で、全くオハナシにならないので帰ってもらった
。。。なんて事件(?)もありながら、日本の優秀な外部スタッフの頑張りでクリアして行ったわけです。
 ちなみに、もう1人の学生さんは、日本にも長く住んでいて、黙ってれば日本人と言ってもいいほど素晴らしい発音とイントネーション(&顔形もネ)で、大変戦力になったのですが……。

 北京といえば、劇場への入場の際、空港の保安検査ようなゲートをくぐっていたのが印象的でした。
 五輪を前にした措置なのでしょうか?

 芝居が締まっていた話は冒頭にしましたが、実は集客が一番少なかったのも北京でした。

 娯楽が多いというか、芝居は勿論、映画やライヴ等々、他にも出し物が多いことが、まずあるでしょう。
 また現地受入先の「北京索有文化伝播有限公司」の熱心さが見受けられなかった気が僕にはしました。ほかにも仕事を抱えて忙しいのでしょうが、少なくとも僕はそのカンパニーの人間と会いませんでした。

 完全な呼び屋なのでしょう。「大連芸隆演出有限公司」もその類で、同公司・女社長からも感じたことですが、完全にビジネスとして、我々の舞台を「商品」と見る、ある意味プロの方々とは、どうも東演は合わないようです。

 前段の通訳の選定からもやる気のなさがよく分かる、というのは厳しいでしょうか? 逆に、それじゃプロじゃない!とも言えますが

いや、他人様のことは置いて、我々東演は確かに、もっとビジネスライクな部分も待たねば、と、日々反省はしています。本当はそーゆーところで勝負していかないといけないと。
 でも、生の舞台やってる人間として、生身の人間としての付き合いって、やっぱ大事だよな、とも思います。それに甘えるのではなく・・・。

 いくら生身だからって、ゴルフや買物をゴチになる…とかゆ~、どこぞの国のオエライ人の「オツキアイ」じゃなくてね、勿論。

 ありゃ、いつもとトーンが違う??? 

     では頭を冷やして、次回は中国で芝居を観て
     お勉強した話を
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訪中譚⑦~北京その1

2007年12月11日 | 中国公演07
 久しぶりの訪中公演ネタです
 30日間のツアーの12日目のお話です。

 10月29日(月)、中国新幹線で北京に入城。

 まずは「北京」の地形的な特徴から。。。

 北京の街は、東西と南北に格子状に路が通っているから、大変解りやすい。中心に天安門や故宮があり、その周辺に高架式の環状道路が幾重にも作られている。もちろん、その環状を繋げる放射状の道路もある。
 イメージとしては環7や環8が高架になっていて、それを246や青梅街道が繋いでいる体だ。
 地下鉄は、天安門と故宮の間を東西に突っ切る1号線、それを日本の中央線とすれば山手線のように丸く走るのが2号線…という作りだ。

 それを踏まえての、我々の動きです。

北京中心部の地図で言うと、右下にあたる鉄道の「北京駅」から北上して良きところで西へ。左上=北京動物園の近くにバスは辿り着いたことになる

 「間もなくホテルです」とバスは高架から降りてビルの間を抜ける・・・と、皆から大きなどよめきが!
 そこには巨大なイトーヨーカドーが

 中国に入って二週間弱。まだ日本が恋しいには早く、第一、これまでにもマイカルなどの日系企業や外資系企業(ウォールマートやカルフール等)を見てきた。
 でも、それは車窓からだったり、交通機関を使わないと行けない環境。
 どよめきは「ホテルのそば」ってのがミソだった
 加えて時間。北京に入ったのが一時過ぎで、遅いお昼をどうしようか…というところだったから。

 結果。チェックインの後、ほとんどの人がヨーカドー詣でをした。
 ミネラルウォーターや夜食用のパンやカップ麺(公演が終わってバラして帰ると零時を回っているので…)などを買い、さらには最上階にあった「吉野屋」に手を出すメンバーも、結構いたようです。

 かくいう僕も、向学の為にいただきました。

 中国のヨシギュウの味は、ほぼ日本と一緒。物価から考えれば当然高め。
 またトレーに敷かれた紙によれば、北京だけで58店舗! すごい勢いで進出してました。

 と。まるで芝居の話をしないうちに「北京1」は終了しそうだな
 え~い、いっそ、それならままよ。

 かの有名な王府井が銀座とするなら、良く言えば渋谷と言えなくもない繁華街「西単」のすぐ近くの「民族文化宮」が公演会場。

 デパートや、若者のファッションやアクセサリーを扱うテナントの集合ビル(中国版109?)も近くて、やはり首都は過ごしやすかった。

 3ツ星ながらホテルもなかなか良くて、3か所目にして、ついにWキーがお目見え!(それまではツインでも鍵一つで、やはり不便
 お湯もジャンジャン出るし、フロントでは英語も通じた! 特に朝食は結果的には全行程で一番良かった。 
バイキングの品数も豊富で、味もGood
 逆に言えば、北京に物資が(勿論その前提として人が…)どっと集中しているってことなのだ。

 オリンピックを前にした北京。
 そこでの反応は・・・明日
 
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中国の寅さんに会う~ちっチャ(イ)ナおはなし/弐

2007年12月03日 | 中国公演07
 長春では2作品の公演が終わった翌日、1日オフがありました。
10月28日・日曜日

 希望者を募って、「偽満皇宮」と名付けられた清朝最後の皇帝・溥儀の宮廷を再現した博物館を見て、その後、長春の郷土料理に舌鼓を打ちながら、吉林省演出公司はじめ長春の演劇界の方々と交流、大いに愉しみました。

 長春料理を味わったのは、郊外までバスでかなり走った、広大な敷地のレストラン。
 店内は森を思わせる装飾で、椅子がブランコになってる席もあったり、なかなか面白い作りの「大鵝島色生態美食園」。我々は奧の50名ほど入る個室に通されました。

 「鵝」という鳥の料理や、薬用人参を使ったスープ、勿論、数種類の餃子、それから長春滞在中、我々を大いに喜ばせてくれた白菜などを美味しくいただきました。

 『男はつらいよ』シリーズで「フーテンの寅」の声を担当している俳優さん・胡連華さんも、その中にいました。
 我々の舞台も観に来てくれた彼は、とてもエネルギッシュに東演の舞台成果に触れ、さらには十八番の「寅さん」はじめ彼が担当する「声」で宴を盛り上げてくれました。

 そうそう、盛り上がったといえば・・・この日は弊団の豊泉由樹緒の誕生日だったので、ナイショでバースデーケーキを用意してもらい、皆でお祝いもしました。

 
 前回の訪中公演は3都市で1回ずつ「誕生日」のキャストがいたのだけれど、今回は、ここ長春の豊さんと武漢で照明さんが2人の2回…おっと、上海で地元の徐くんが誕生日だったナ。
 まあ、そのへんの話は武漢や上海に譲るとして、譲れない話を最後に。
 我々の部屋の担当の女性服務員の中に
以前東演にいた村田美代子さんにそっくりの方がいて、いや、とにかく顔や背格好が似ているだけでなく、チョット控えめな佇まいなど、醸し出す雰囲気も一緒で、最初はテーブル毎にひそひそ「似ているネ」的だったのが、興も乗って、後半は「ミヨちゃん、ミヨちゃん」と話しかけるは、記念撮影はするわ・・・。

 はちきれんばかりのお腹と思い出を持って、訪中譚はいよいよ「北京篇」に突入です
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訪中譚⑥~長春その3

2007年12月02日 | 中国公演07
 長春ではスタンディング・オベーション
 それもオールスタンディングという歓迎を受けた。

 悲しいかな、僕はその現場を見ていない

 理由は最後にくっつけるが、それでもそれを確認するには余りある、観劇後のロビーの活況と熱気!


 恐らく純朴な土地柄と土臭い東演の芝居がマッチしたのだろう。大きな会場ゆえ、少々芝居が大味になっていたようだが、小屋によって芝居は変わるし、芸術至上主義<観客の喜び・・・(決して客席に媚びを売るのではなく)・・・ましてや言葉の通じない異国である。 

 ここで客席にいられない理由。。。
 このツアー用に、上海※が作ったパンフレットと『恋森』のCD。
 当然、中国側で売ってくれると思っていた。

 初日の大連でも、アシスタント程度にオフの俳優(『臨時』に出演せず、またスタッフワークにもつかない『恋森』キャスト)をお願いして、僕はバックヤードや客席のチェックに走り回っていた。
 ところが、いざ蓋を開けたら中国側スタッフが、関係者を見れば挨拶に行ってしまう「お手伝い」程度で、言葉の通じない俳優たちが“笑顔”だけを武器に対応している。

 で、大連の『恋森』から“販売員・ガオチャオ”の誕生となる!
ちなみにGao-Qiaoは高橋の中国語読み。

 開演前-休憩-終演後、ロビーで冊書目(ce-shu-mu)=パンフレットとCDを売るのであった! 『臨時』は前述のように空いている役者もいて心強いが、『恋森』は出払っている(?)ので、『臨時』の音響の板津くんに手伝ってもらいつつ、さらには通訳してくれた学生さん&その友人まで引きずり込んで健闘しました。

 中国語で、しかもすごい勢いで話されて最初はチンプンカンプンだったのが経験を積んだ上海あたりではオオムネ意味は掴めるくらいになった。が、それに応える術がない、という寂しさはあった。

 東演も10年くらい前から販売パンフレットをやめて、リーフレットを全員に配布しているのだが、中国でも無料リーフが一般的らしく、「ええ、無料じゃないの!」って声は多かった! そういう場合は、とりあえず「対不起(dùi bù qǐ)=すみません」と謝ります。

 話を戻そう。
 おざなりでないスタンディングオベーションに自信を得、同時に修正点は冷静にチェックし、いよいよツアーは、首都・北京へ!

 移動は中国新幹線=CRH「和諧号」を利用!
 なかなかの乗り心地でした

※今回の全行程のコーディネートを担当した「上海美演出経紀有限公司」の指揮のもと、DCのプレス及びパンフレットのデザイン編集印刷をした。
 勿論、録音は日本で行い、パンフの基本データも日本からメールで送信。
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