麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

訪中譚⑤~長春その2

2007年11月28日 | 中国公演07
 長春の、最初の夜にシャワーが水だった、って話の続きです

 そもそもヒネったら当たり前にお湯が出るなんてことが「世界」で言えば珍しいわけで(と、言い切るのは乱暴すぎ?)、中国に限らず、海外では覚悟しなくてはいけません。
 長春着が22時過ぎで、美味しい水餃子を食べて呑んでですから、おそらく10月24日(水)零時を回った頃のことでしょう。
 そんな夜中にお湯を出せ!って方が無茶だよ、と、考えられなくもないのです。世界標準では。。。

 とにかく通訳の常虹さんが、あっちの部屋からこっちの部屋と飛び回っていたそうです。

「おそらく」とか「そうです」とか、推量&伝聞で語らなくてはならないのには訳があって、その頃僕は、皆を部屋に帰したあと、弊団制作の横川と通訳の朱海慶氏、全行程の受入担当・徐鋒くんと、一昨日も紹介した長春で我々の面倒をみてくれた包さん&厖さんが同じレストラン内の個室で、明日以降の打ち合わせをしているところに合流していたからです。

 そんなこんなで朝になり、仕込み日。

 ホテル(園東賓館)と同じ敷地内の劇場(東方大劇院)までテクテク歩くと、今度は暖房が入らないと言う。
 と言うのも、「明日、一斉に街(長春)に暖房が入ります」。
 なるほど、さすが社会主義国家です
 ところが翌日・・・「街には入りましたが、劇場の配管工事が終わらなかったので明日になります」と。確かに仕込みの最中に、トンカンカンコンギーギーブフォッと、金槌とのこぎりとバーナーの音が派手にしていたものナ。

 一方、ホテルのお湯は、部屋によって出たり出なかったり、あるいは皆が使わない早朝には出たゾなど・・・つまりは不具合がその後も続き、そうして劇場の暖房も、最終的には長春5日目の『恋森』開演前ギリギリにようやく入ったのだった。

 と。なんだか散々な所みたいですが、こんなことは小さなことで。。。いや、そう言い切るとまた語弊が出ます。プロの役者が、日中国交正常化35周年記念の舞台に立つのに、風邪でも引いたらどうする!と、厳しく先方に抗議しなければいけないという面もある。ただ、とすればプロなら“お湯が出ない、暖房が入らない”という中でも100%のパフォーマンスを見せなければとも考えられます。。。

 あれ?
 今度は「え?そんな風に内部で揉めたの?」と言われちゃうか?
 そーじゃなくて。例えば
 僕と橘さんの411号室は、3日目に念願のお湯に遭遇するも、4日目にシャワーノズルの根っこが破損。「明日直す」と言われるも、その夢(?)が叶うことなく去ることになる。
 けれども、そこで体調も管理しつつ、カタコトの中国語を交え服務員とやりとりしたりして、結構愉しませていただいた。
それこそ、海外公演の醍醐味じゃあないかしら。
 
 長春のホテルと劇場回りには何もなく、歩けばすごい砂埃で視界が効かないことに加え、目や喉のケアが大変だったりもしましたが、メンバーそれぞれ、街に繰りだしては、ちょいと離れた超市(スーパー)を見つけ、その1階で人だかりのできる安くて旨いマントウや其処此処の路地に出没する屋台の大きくて甘い焼き芋、「長春その1」にも書いたホテル裏の餃子館などなど美味いモノを見つけては、舌鼓を打ちまくった! さらにはタクシーで1メーターの街の中心に足を伸ばし、ウォールマートでお買い物e.t.c

 皆、アクシデントも含めて長春を大いにエンジョイしていました。
 そして何より、芝居へのリアクションが良かったのが長春
 
 その話は、次の機会に。。。
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訪中譚④~長春その1

2007年11月26日 | 中国公演07
 大連での『恋森』公演(10/22)の翌日は早くも移動!
 少し早めにホテルを出て、大連の見所をバスに乗り、駆け足で見、駅で各自昼食を取って、14:35発の列車で長春へ。

この路線は、かの満鉄が敷いた線路をそのまま走るというもの。

 大連に近い旅順を見られなかったのは残念でしたが、【重い歴史】の刻まれた線線路の上を揺られながら、日本が傀儡国家「満州」の首都・新京を置いた長春に着いたのは夜の22時に近かった。
 つまり9時間近い移動。

 駅には、吉林省演出公司の“ハイテンション経理”こと包さんと、同じく経理だが、こちらは穏やかな厖さん(元踊り手で現在は主任舞台技師)が出迎えてくれた。[*]
 ちなみに「公司(コンス)」は会社で、「総経理」が社長なので、経理=日本で言う「経理」ではない。辞書には「支配人、マネージャー、企業の責任者」とある。
 そして、ホテルに着くと、疲れを癒してくれるような出来たてのギョウザが!(&ビール
そう、このあたりといえば「ギョウザ」が名物。
 実際、以後ホテルでは全日朝食にギョウザが出たし、またホテル近くの餃子館が安くて旨かったので、キャスト・スタッフともに昼に夜にと、お世話になりまくった

 そうして明日の『臨時病室』仕込みを控えて、静かに夜は更ける・・・と思われたが、結果的には皆の印象に強く残る6dayは、この夜から始まるのであった。。。
まず部屋に戻ってシャワーを捻るとお湯がでない

 まあ、そのあたりは明日以降に
 
だと、短いので、以下[*]解説

 我々日本の演劇人と違い、中国で演劇を生業とするのは「国」に認められた、いわばエリートであり、もともとは行政単位の「劇場」に所属する「俳優」と「技術者」の集団だったわけである。
 それが昨今の社会状況の変化で、自己採算性も問われたりしてたりもするけれど、まあ、難しい話はさておき、だから例えば前述の「厖さん」の名詞には、「吉林省文化活動センター」内の「吉林省舞台専業技術センター」経理。あるいは「中国文芸演出物資協会常務理事」とか、皆モノモノしい役職がある。
 彼に限らず、どの公演地でも皆そうだ。
 そーゆーのに結構弱い敏腕Pだし、逆に向こうもそーゆーのがないと甘く見てくるので、次回行くときは、先般、なんとな~くの流れで就任した「日本新劇製作者協会理事」ってのを付けようと密かに誓うのだった!
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福さん生地を訪ねる~ちっチャ(イ)ナおはなし/壱

2007年11月22日 | 中国公演07
 大連は福さんの生まれた場所だ。

 福さんとは『恋でいっぱいの森』の共同演出を務め、一ヶ月に及ぶ全行程にも同行し、会場の条件の違う中で、もっとも作品が輝くように、小屋ごとにタクトを振ってくれた福原圭一さんのことだ

 そんな福さんは、今回、大連での公演を誰よりも楽しみにしていて、『臨時病室』が先に幕が開くも幸いして、その間に3歳までを過ごした大連を大いに闊歩していた。。。

 同じく『恋森』の振付のため大連入りしたみっちゃん先生(渡辺美津子さん)や、『恋森』出演で体の空いている弊団のベテラン豊泉らと数人で市場を見て愉しんでいた時のことだ。
「どうやら計り売りらしいが、どーやって買ったらいいのかなぁ」などとガヤガヤやっていた所に、「日本の方ですか?」と声を掛けられたという。

 声の主は中国人の女性。けれども、夫は日本人で、日本に住んだこともあり、その言葉は言われなければ外国籍と解らないほどのきれいな日本語だったとか・・・。

 この出会いがきっかけで、その日は彼女のガイドで苦労なく「昼食」にもありつけ、さらに翌日、福さんの記憶を辿って「生誕の地」を探すことになったそーな。。。

 で結果は・・・苦労はしたが見つけることはできず、でも、その中で様々な出会いがあり……ってな展開か、苦労の末、感動的に生地を発見するか、まぁどちらかなわけですが、な、なんと、後者だったそうです。

 もちろん、生まれた家はもうなかったけれど、恐らく、このあたりだろう、という所を目にして、福さんは劇場に戻って来られました。
 その日は『臨時』の中国公演初日(10/20)
 お世話になった彼女のご家族を、招待させていただきました。

 さすがに30日間、しかも中国5都市を巡ったので、メンバーそれぞれに素敵な出会いを経験したことと思われますが“人生”という長い時間を背景にしているだけに、このエピソードは、なかなかなものでした。

 全て伝聞につき、少々あっさり書いたけれど。。。


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訪中譚③~大連その3

2007年11月21日 | 中国公演07
 10/20(土)19:30、『臨時病室』がまず先陣を切りました

 『臨時』は3人きりの会話劇、『恋森』はパラータで初演の作品なので、ともにでっかい劇場で、しかも海外でどんな反応をいただけるか、かなりドキドキの幕開けでしたが・・・
 開場前から、劇場のドアの向こうには多くの観客の姿が
 客席はほぼ満席。大連の演劇関係者、在住の日本人、日本語学校の団体鑑賞に加えて、多くの一般客が、ぞくぞくと客席へ!

 訪中ブログの初日に書いたように、日系企業が多く、その流れで日本語学校も多い「大連」という土地柄もあってか、大変熱心に観てもらえました。
   
 5年前の訪中公演で、携帯が鳴ると話しながら席を立ち、ロビーに出、終わると戻るというのがヘイッチャラだった中国を知る我々東演。
 携帯普及率がさらに伸びた今回、覚悟はしていたけれど。。。思ったほどではありません(?)でした。確かに、ゲームをしている子、おかしを食べながら話しているグループもあったけれど。

 でもそれって、特別“中国の日本語学校”に限らない世界共通のこと。
 様々な生徒がいて、ちょいと金のある親に無理に入れられて全然勉強する気のない子、ヤル気満々だったが思いのほか難しくて挫折している子、結構興味あるのだが真剣に見ると「マジメじゃん!」と言われちゃうから、つい悪い仲間とツルんじゃう子など。。。まあ、そういうことだと思います!
 全体からみれば、目立つけど、一部に過ぎません。

 海外公演経験豊富なスタッフからも「これだけ観てくれたのはスゴイよ!」とお褒めの言葉(?)をいただきました。



 あ、そうそう。ブログ1回に1日分のペースで行くと30回シリーズになるので、ボチボチ回転を速めて、一気に『恋森』(10/22)の舞台についても触れてしまうと、やはりミュージカルということで《見栄え》のするせいか、写メをバシバシ撮られました。
反応として、喜んでもらえている証拠なので嬉しくもあり、芸術鑑賞のマナーとして、どおよ?という気持ちもあり(細かく言えば、美術や照明、衣裳などの著作権の問題も発生するので…)、複雑ですが、お国柄というのもあるし・・・まずはスタートの大連、好評のうちに終了
 中国で言えば、完了(ワンラ)。

【長春公演レポートは、
  来週のアタマにお届け予定です。
  週の後半は中国のこぼれ話を
  ひとつくらい書けたら……、いいなあ。。。】
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訪中譚②~大連その2

2007年11月20日 | 中国公演07
 10月19日、大連での仕込み。
 ホテルからバスに乗り込んで、会場へ

 大連電視台大劇場は、テレビ局の局内(1階)にあり、歌謡ショーの公開録画等にも使われる小屋だ。
 乱暴に言えば、NHKホール。。。NHKホールは局内にないし、あれほど立派じゃないけど、つまりTV局所有で、かつ貸劇場でもあるって意味で…。
 ここで、しょっぱなから“中国的な”お出迎えを受けた

 爆竹での熱烈歓迎なら嬉しかったが、その日、大連で「全人代」の式典が開催されていて、劇場スタッフがまるごとそちらに行ってるから、音響室も空かなければ、バトンも降りて来ないという。。。日本ではありえないけど、中国ではさほど問題じゃない状態(?)で仕込みが開始された。。。「開始された」というか、具体的には、出来るところからやっていくしかない!という、そんな午前。

 今回、『臨時病室』『恋でいっぱいの森』とも大道具・小道具の一部を中国に発注していて、遥か上海からトラックに乗って無事についていたので、『臨時』のベッドや『恋森』の櫓、舞台面に敷くパンチカーペットなどなどに、日本から持ち込んだ衣裳に小道具など、そーゆー手の付けられるところから準備は進んでいったのだ。
 
 そうそう、その中国製パンチは、日本で使用していたものとは随分違うフエルト地で、使っていくうち伸びちゃうので少々困った。
 中国に同質のものがないとは思わないが、予算と合わなかったのかも…。

 結局、係りの人はお昼前には来て、もろもろ動き出すことが出来たのだが・・・(※)

 さて、テレビ局というと華やいだ印象だが、共産圏では国抱えのせいか、悪い意味での公務員気質が残っていて、客席も汚いし、楽屋も掃除している気配なし。
 『臨時』に出演する矢野泰子が、楽屋の引き出しを開けたら、灰皿がわりに使われていたのだとか……。
(ちなみに全館禁煙です

 今、中国のテレビ事情は、各局自主採算が謳われていて、コマーシャルもバンバン入る激しい競争があり、ニュースキャスターなんかもカッチョいいのだけど、まあ、末端では・・・ということでしょうか。

 とにかく、日本の優秀な外部スタッフの頑張りで、初日の仕込みを終え、いよいよ幕は開くのであった・・・。

 ※=前日書いたように、ツアー全体を「上海美演出経紀有限公司」が担当し、大連の現地制作は「大連芸隆演出有限公司」が担っていました。このパターンは5都市とも同様。
 前述の、人がいないという場合も、日本側スタッフ→日本制作→通訳→上海美→大連芸隆→劇場という流れになるわけで、こんなこと一つ取っても海外公演は大変なのダ。

  
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訪中譚①~大連その1

2007年11月19日 | 中国公演07
 10月18日、東演としては二度目の中国公演に総勢33名で出発。
 02年同様2作品を持っての巡演の、始まりは大連。

 大連は、今や中国有数の貿易港で、近年の成長は国内のみならず世界からも注目されている。街には様々な国籍の人々が闊歩していた。
 中でも日本は地理的に近く、また歴史的背景もあって、多くの日本企業や日系企業が進出しているそうだ。

 奇しくも『恋でいっぱいの森』の共同演出を務め、今回の全行程をともにした福原圭一氏が、大連生まれだったりするのだが、そのへんのエピソードについては後日詳しく書こう…。

 さて、大連周水子国際空港にて、『恋森』の翻訳及び全行程の通訳を務める朱海慶氏(日本在住、本業は画家、書家)と本公演の総受入団体「上海美演出経紀有限公司」の徐君らに迎えられ、降り立てば、生憎の雨。。。パラパラ程度の、バスで5分のホテルに着く頃にはやむほどの雨。。。は、ところが、これ以降帰国の日まで、ほぼ一ヶ月降ることがなかった。
 手続きを終え、空港を出たのは16時過ぎ。この日は明日に備え、各自、荷を解き、周辺を散策(スタッフは打ち合わせのために劇場へ)して過ごした。

 歩いても空港まで10分かからない、その名も大連国際机場賓館が宿泊先。カンのめぐりの良い方はお気づきでしょう。机場が中国語の「空港」。
 4ツ星で、2階のレストランはなかなか豪勢だったが、フロントは小銭が不足ぎみらしく、両替に苦心した。僕と橘さんは粘って3000円を日円→中国元に出来たが、そのあとの面々はまとめて1万円にしてのエクスチェンジとなった。

 やっぱ両替すると、気分がグッと海外っぽくなる!
 ただ、大連とはいえ市内からは車で30分ほど離れた場所で、ホテルの向かいは団地風の集合住宅。いわゆるベッドタウン。
 コンビニや超市(スーパー)を覗いて、夕食は近くのレストランで、戌の肉などを食しました。
  
 コンビニ。。。チェーンではなく、地元のよろず屋風。。。の隣は、美容院の内装工事をしていたが、わずか200Mほどのエリアに理容院&美容院が他にも4~5軒あった。
 結果的に大連に限らず、中国はどこも床屋が多かった。しかもかなり遅い時間まで開いていた。…まぁ床屋のグルグルはあるが鏡も椅子もなく、肌を露わにしたお姉ちゃん達が座っている、いわゆる風俗店もあったのだが、大連のホテル回りは全て、ちゃんとした店(?)でした。

 そんなこんなで、大陸初日は静かに暮れて行った・・・。
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