麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

沖縄の思ひ出。その4

2006年06月19日 | 身辺雑記
 今日は沖縄がらみの人の話。

 僕を離島巡りに連れ回したのは当時のバイト先で知り合った人。のちに料理や旅のライターに転身するのだが、とにかく謎に満ちた人だった。バイト先の会社自体が若かったから部長といっても20~40代の若い管理職だったが、彼ら彼女らにタメ口ではない対等な居方を、しかも自然にする人だった。株の配当がかなりあったり、旅好きでマイルも貯まっていたらしく、僕は往復のエアー代ごちでした。・・・おっとこの人の話で終わっちまうゾ。

 あの頃、彼を含め沖縄に魅せられた人が沢山いた。勿論今も多くいるのでしょうが、当時はバブル期で、大きな会社にお勤めの方々が長い有給を取り、外国のバカンスよろしく「何もしないこと」を愉しんでいたのが印象的でした。

 東演に拾われる前で、まだ小さな劇団の制作をバイトしながらやってた僕のような貧乏旅行組も、また沢山いて、その中の何人かは、後に住み着いてしまいました。
 ミンサー織りを修得するために石垣に根付いた娘は、おみやげ屋だの学校の臨時職員だので糊口をしのぎ、たまに上京して個展を開いたりすると、会って僕に「情報」をもたらしていたが、ついに昨年帰京。
 彼女の相棒♀は、竹富の水牛観光会社に潜り込んで、絵を買いたりしてたが、どうやらまだ住み続けているらしい。15年くらいは経つのだろうか…。

 国内外、旅先で会った人は皆「良い人」だが、沖縄はまた格別いい。ガリレオには申し訳ないが絶対に「あの地」に流れる時間は別物だ。一昨日は三線(サンシン/沖縄三味線)の先生のレッスンがあったが、あの音色だけでも時間がゆったりと感じられる・・・。楽器なのか、それを使う人なのか、何の魔法なんだ???

 宮古島で出会った、自らもトライアスロンを走るタフで親切な消防士さんは元気だろうか? 勤務中のため、その愛妻と愛息に島を案内してもらい、年に3日しか現れない幻の島=八重干瀬の話なども、その時きいた。
 宮古は、トライアスロンに加えビーチバレーの大会開催、プロ野球のキャンプなど町おこしが盛んで、内地の大手によるリゾートホテル整備も早かった。
 東洋一と言われる「前浜ビーチ」のある下地地区や、上野地区など島の南に現在は瀟洒なホテル群が林立しているようだが、僕の訪れた頃は、まだ旧市街というか島の西側にあたる「平良港周辺」がカッチョ良かった。狭い路地に傾いた飲食店が、とあるアジアの貧民窟って風情で残っていて・・・今もあるのかな?
 島の活性化を考えれば前者に重きが置かれるのだろうけれど、たまに立ち寄る旅人は、我が儘勝手なことを言ってしまう。
 あれ? 結局「人」の話がウヤムヤ
 
 「沖縄に魅せられた人」と言えば、今まさに東演の役者達がそうだ。「まだ見ぬ夢の国」というところだろうが……。
 
コメント
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