麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

補フェニックス(後半)

2017年12月23日 | スポーツ
いったい何時までアメフトを書く?
と、自分自身に問いたくもなるが。


三つ目のルーツ校・早稲田大学が
チーム名を「ビッグベアーズ」と言い、
それが学祖の大隈重信からだと知り
熊じゃなく「隈」だよ。でもまあ、
そんなこたぁ百も承知で音からの、
要するに駄洒落なわけである。
こりゃもっと世に広めたいぞ!
と勝手に責務さえ芽生えちゃって、
兎にも角にも四日続けての「鎧球」っす。

蛇足ながらアメリカン・フットボール
の漢字表記が「鎧球」です。

早大の鎧球部は、ベアーゆえか、
長い眠りから覚めたのは21世紀。
アメフトルーツ校が、2002年
ついに甲子園ボウルに進出します。
奇しくも相手は「西の早稲田」
立命館パンサーズ。10、15年と
三度ぶつかるも3敗。しかし、
2年前は1点差の惜敗だった。
そして昨年は「王者」関学の前に
散ったけれど、近年の戦国・関東で
存在感を発揮しているのは確かだ。

そう、ここで久しぶりに題名にもある
「フェニックス」に戻るけれど。
赤い悪魔とも呼ばれた日大が、
長く東のアメフト界に君臨していた。

対して西は関学ファイターズ。
1949年から実に33年連続で
甲子園ボウルに出場し、その間に
関西リーグ145連勝という、
とんでもない記録も樹立している。
大学日本一28回はもちろん最多だ。

ただ東西の両雄の直接対決・・・
両校のチームカラーから
「赤と青の戦い」と言われる
・・・では、日大17勝、関学8勝、
(両校優勝2)と、日大が圧倒!
とも取れるのだが。
1990年を最後に優勝から遠退いた
フェニックスに対して、
2000年以降だけ取っても
ファイターズは7回の戴冠だ。

二校を取っ払って見ても、
東西の大学王者の戦績は
西40勝、東28勝、4分。
2000年以降なら東は僅か4勝。
今年の日大が凱歌をあげるまで、
法政大学オレンジが気を吐き、
00、05、06年に優勝したのみ。
と、完全なる西高東低。

逆に1990年までは東が24勝、
西18勝(3分)と上回っていた。
不死鳥・日大復活を機に、
関東勢の復権を期待したい。

で。ライスボウル
学生代表vs社会人代表。
21日にも少し書いたけれど。
学生オールスターから現行の
日本一決定戦に移行した頃は、
学生が強かったのです……。

08年、立命館パンサーズの勝利を
最後に「大人の厚い壁」に弾かれ、
通算では社会人の22勝12敗に。

さて。年明け3日は??
まあ順当に行けば富士通です。
でも。
日大は関学戦も下馬評は低かった。

ちなみに富士通には日大OBが12人。
日大主将山崎(DL)も、来春から
フロンティアーズの一員に加わる。

そうそう。
QBの説明から始まったんだったな。
DLとは、ディフェンスライン。
攻撃側が、股下からボールを出し、
それを受けたQBがパスしたり、
自ら走ったりするわけですが、
その前に並ぶ守備側の最前線がDL。

サッカーが4-4-2とか3-5-1-1とか
フォーメーションによって、
ディフェンダー、ミッドフィルダー、
フォワードの数が変わるように、
アメフトも、例えば、このDLが
オーソドックスなら4人並び、
ランに対応するなら5人等々、
様々な形がある・・・このあたりが、
一般的にチンプンカンプンな点で
また、面白くもあるわけだが……。

でも。
「鎧球」の話は一度おしまいにします。
コメント
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