佐々木朗希が11番のユニフォームで
記者会見する映像を目にした。
11といえば、まーくんも同じ番号を
背に25年シーズンを戦う。
そのニュースで斎藤雅樹、上原浩治らも
背負ったと。確かに斎藤の番号だが、
雑草魂の上原は19のイメージしかない
メジャー4球団でも19で投げ続け、
日本復帰の2018年のみの11番で
翌年は慣れ親しんだ19をつけ、
結果的にその年に引退している。
そして。
アラカン世代には斎藤と同じ
サイドスローの高橋良昌が浮かぶ。
高知商から中央大を経て、
1966年、第2次ドラフト1位で
東映フライヤーズに入団。
15勝11敗で新人王に輝いた
というのは今回調べて知ったこと。
なんたって
そのドラフト年に生まれたから
物心ついたときは巨人の、
高橋一三(左腕の21番)と並び
私と同じ姓のピッチャーって認識で
応援していたわけである。
(当時はG党だった)
ちなみに本名は高橋善正だが、
1975年に登録名を〈良昌〉とし、
私のなかではこちらがしっくり。
またフライヤーズでは18番。
G軍に移籍した73年から11。
改名一年目の75年は53マウンド。
小川邦和と並びチーム最多登板で
中継ぎを担ったから、
よく目にもしたのだろうなぁ。
そうそう。
あの頃、父の運転する車の
後部座席でラジオから流れる
巨人戦を聴いたのも懐かしい。
ふてぶてしいマウンドさばきと
独特のフォームから繰り出す
切れ味鋭いシュートが印象的で
プロ11年で384試合に投げ、
うち先発は147試合。
通算60勝81敗7セーブ。
当時はホールドの記録自体なかった。
ひとことでいえば渋かった。
選手としては2球団だが、
コーチとして巨人、中日、日本ハム、
横浜大洋と歴任。社会人のシダックス、
東都六大学の中大でも指導。御年80。
阪神の村山実。
ザトペック投法の200勝投手で
阪神の永久欠番や
トルネードでメジャーでも活躍し
近鉄やレイズ、レッドソックスで
11を背負った野茂英雄ら
良い選手は沢山いるけれど、
私の中での〈11〉は高橋良昌なのだ。
……どうでも良い話だが
中学のバレー部の中1秋。
公式戦のベンチに初めて入った時の
白地に青ラインのユニフォームが
11番だった。